上京した友人

蛾次郎

第1話

「有名になるかもしれねえから、とりあえずサインもらっておこうかな」

プロのミュージシャンになるため上京する親友に私は頼んだ。

演奏している時以外、控えめな性格の親友は、サインなんて書いたこと無いからと気恥ずかしそうに断った。

それでも私は、記念に貰っておきたいと思い、コンビニで5枚入りのサイン色紙とマジックペンを買って、親友に懇願した。

「マジで?…じゃあ…一応…」

親友は、照れ臭そうに色紙とマジックペンを持った。

すると、ペン先が色紙の表面に触れた瞬間、親友は取り憑かれたようにサインを書き始めた。

その様は、ちゃんとサイン用意してんじゃねえかと弄れない程の迫力で、地元のライブハウスで演奏している時と同じ気迫が迸っていた。

気がつくと色紙は真っ黒になり、2枚目、3枚目に突入していた。

最後の5枚目に行ってもまだ足りない勢いで書き殴る親友は、私の着ていた白いシャツに続きを書き始めた。

一心不乱にサインを書く親友を止める事が出来なかった私の全身はサインで埋め尽くされた。

数分後、親友の手が止まり、普段の表情に戻った。

ふとサインを見渡すと、最初の1枚目から私のスニーカーのつま先に至るまで、字が崩れ過ぎて1文字も読めなかった。

私は、色紙や服や顔の一つ一つを指差し、何が書いてあるのかを尋ねた。

よく聞くと内容は、出会い系のバナー広告に載っていそうな言葉だった……。


あれから20年。

自宅の玄関には、彼があの時書いた黄ばんだ5枚のサイン色紙が飾ってある。

あの時着ていたシャツとパンツとスニーカー、捨てなければ良かった…。


(おわり)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

上京した友人 蛾次郎 @daisuke-m

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ