喫茶観覧車で焦がされました

いすみ 静江

あなたは直観を信じますか

「もう、大学二年生の春を迎えたのね」


 雪原ゆきはら深優みゆは、桜満開のアーチを潜りながら、花びらに頬を打たれた。


「今日は花散らしとならないかしら」


 腰まである髪を高く結い上げる。

 仕上げは、猫を三匹細工した金色のバレッタだ。


「気分転換にストレートにしたの。誰か気が付いてくれないかな」


 何となく、未だソバージュのくりくりした感じがある気がしてならない。

 ふと手を翳すと、桜が止まったことが分かった。


「このアーチを潜って、入学式にお母さんと来たのよね」


 あずま大学は、東北にある。

 引っ越しの際、母に一人暮らしへの手を借りていた。

 間もなく、家のこともあるからと、夜行バスで神奈川へ帰って行った。

 それから、五月には、持病の喘息が悪化し、さいとう医院へ発作を起こす度に駆け込んむようになる。

 けれども、点滴を打つばかりで、快癒とは行かない。

 後藤ごとう教授から、厳しい言葉があった。


「キミ、もう来なくていいよ」


 ショックは隠せないだろう。


「私、本当に具合が悪かったのにね」


 それでも欠席はしないで、がんばって勉強した。

 特待生となれたので、理学部を退学にはなっていない。


「部活でもしようかな? 昨年は、管弦楽部で腐った人偏関係を見たから嫌がっていたけれども」


 桜の広場で、各部活や同好会の勧誘を行っていた。

 とても気になるのがあったのだ。

 それは、コミック研究会。


「漫画、好きなのよね」


 机に男性の学生が詰めていたが、ここで声を掛ける勇気がない。

 それでも、後ろ髪を引かれた。


 翌日の午後に、心理学の休講が掲示板で確認された。


「うーん。張り紙があった筈」


 桜のアーチに部活用掲示板があった。

 昨日よりも葉が目立って来た桜を愛でながら、ポスターを探す。


「あらら。コミック研究会は、『廃部にしないで! そこのあなた、お願いします!』だって。楽しい所かも知れないわね」


 花びらを踏み行く。

 涼しいアーチの中は、根雪の残る学校によく似合うと思った。

 アーチを抜けて、左の駐輪場へ行くと、そこが同好会用の建物だ。

 二階へ上がり、ノックをする。


「あれ? 聞こえなかったかな?」


 再びノックをすると、内側からノックがあって、引き戸が開いた。


「はい。コミック研究会です」


「う……。雪原深優です」


「中へどうぞ。俺しかいないけれども」


 本気でこの方しか居ないのかな。

 長椅子に腰掛けることを勧められたので、ガタガタと座る。

 大学ノートを渡された。


「入会希望だったら、ここに名前を書いてくれる?」


「はい」


 氏名にふりがなを丁寧に書く。


「へえ、ゆきはらみゆさんって、いいお名前だね。俺は、近江おうみ太陽たいよう。四年生だよ」


 何だか静まり返ってしまう方向かな。


「雪原さん」


「はい?」


 何故か、暫く呼ばれていない名前の気がした。

 とても痒い感じで、もしかしたら火照っていないかと心配する。


「今度親睦会があるんだ。あの喫茶きっさ観覧車かんらんしゃって知っている? そこへ行くんだけれども。どうかな」


「はい。お願いいたします」


 周りの本棚に沢山のコミックスがあるのを知り、いい本がないか目で探していた。


「了解。コーヒー淹れるね。今度自分のマグカップで割れないものを持って来てくれるかな」


「はい。すみません」


 ゲスト用のだろう。

 青いマグカップにフリーズドライコーヒーを入れてくれた。

 私から注文を聞きながらだったので、全てお願いしますにしたら、ほぼカフェオレのお砂糖マックスになった。


「それから、好きな漫画家の先生や作品は何?」


 直ぐに、お気遣いの質問だと分かった。

 私が、頷いてばかりだったから。


「私、マヤ先生が好きなんですよ。二十四年組のデビュー当時から全て集めて読んでいます」


 声のトーンを上げてみた。

 明るくしないと。


「俺もデイジーデイジーの雑誌から拝読していたよ。色々と読んでいるんだね。ここの漫画は好きなだけ読んで」


「楽しみです」


 それが、私の精一杯の答えだった。

 自分でそう思うのならば、恥ずかしい応答をしてはいないと思いたい。


「ごちそうさまでした。四時限目がありますので、失礼いたします」


 マグカップは廊下の水道で洗ってお返しした。

 大丈夫。

 何かミスったりしていないと思う。

 緊張して、その日は法学の授業も身に入らなかった。

 闘争の倫理だから、そんなに難しくないし、ノートは無意識で取れたから大丈夫。


 帰りも桜のアーチを行く。

 家は少し遠めの物件で、徒歩二十分の坂道だが、程よい運動だと思っている。


「そうか、親睦会って、新歓のことかな。私、一年生に見えていたりして。正直に伝えるには、挫折した昨年のことは内緒にしたい黒歴史なのよね」


 ◇◇◇


 折角なので、お洒落をした。

 春らしい桜色のジャケットを羽織る。

 スカートはリバティ柄だ。


「もう雪融けの季節だから、春色コーデでいいでしょう」


 十時待ち合わせの三十分前に二ツ目ふたつめ駅に着いた。


「誰も待たせていないわよね」


「こんにちは」


 突然、背後から声を掛けられた。


「あちゃ! 新手のナンパかと思いましたよ」


 ブックカバーを閉じて、近江先輩が笑っていた。


「三十分もすれば、皆、丁度いい時間に現れるよ」


「ナンパなどと言ってすみません」


 私は、きちっとお辞儀をした。


「新手なんでしょう。だったら、いいよ」


「はい。すみません」


 何故、新手ならいいのか。

 ユニークな方だ。

 その後、近江先輩は顔に本を近付けて読んでいる風だった。

 しかし、一頁もめくられていない。


「皆、集まったみたいだから。行こうぜ」


 男性が七名なのに対して、女性が三名か。

 挨拶ばかりして、喫茶観覧車への道を行く。


「すっごい! 思ったよりも危なそうな年式を感じるのですが」


「意外と大丈夫なんだよ。さ、くじ引きで、二名ずつ乗ろう」


 糸の端に色が塗ってあった。

 全部で五色になるらしい。

 何と、女子が一組と男子三組ができた。

 すると、男女混合は一組となる。


「雪原さん、俺と一緒になったね」


「や、いやいやいやいや」


 私は、複雑な心境を表せなかった。


「嫌なの? 引き直す?」


 心配されてしまったじゃない。


「いえ、くじは引き直しても最初の結果が正しいと聞きましたし」


「そんなものなのか。直観って大切なのかもな」


 私は、ぴりっと刺さった。

 ――チョッカン。


「じゃあ、乗る前に何を頼むか決めようか。喫茶しながら乗る観覧車だからね」


「一周する間に何か飲むのですか?」


 本気で喫茶するの?


「そうだよ」


「アッサムにします」


 取り敢えず、私の定番だ。


「俺は、ブラウニーパフェね」


 さくっとメニューを閉じた。

 常連さんか!


「パフェ? 一周する間ですよ」


「飲み物だよ、パフェって。ここのブラウニーは美味しいし」


 ガーン、分からない。

 近江先輩がオーダーをしてお支払いもしてくれた。

 しまった!

 初の奢られましたじゃないですか。


「はい。乗ったね」


 近江先輩がトレーを受け取ると、喫茶観覧車はゆっくりと動き出した。


「はい、アッサム。本当は紅茶が好きなんだね」


「そんなことありませんよ。色々と好きです」


 パフェの上にあったブラウニーとバナナがなくなっている。

 本気で飲み物なのかも知れない。


「近江先輩、寒いですか?」


「流石に、バニラがよく冷えていて。アッサムはあたたかそうだね」


 観覧車が一番高い所へ来ていた。

 太陽に一番近く焦がれそうな所へ。

 下を見れば、葉桜の元に雪も残っている。

 不思議な世界にどきどきする。


「私、一口も飲んでいなかったわ。いただきます」


 ふう。

 少しぬるめのアッサムが喉を通るとき、こくりと落ちて行った。

 ああ、癒される。

 それと同時に思い出される。

 国立が受かったからと、遠くてもこの大学に決めた。

 両親やミーニャとも別れ、一人暮らしを始めて、思うことが沢山ある。

 皆、どうしているのかな。


「ゼロゼロ、ヒュー。ゼロゼロ」


 近江先輩は、空にした器をトレーに置いた。

 そして、青い顔をして私を覗き込む。


「具合が悪いの?」


「ゼロゼロ、ハア。ぜ、喘息で……」


 近江先輩が黙って背中をさすってくれた。


「ヒュー、ヒュー」


「薬は? いつもはどうしているの?」


 治らない病院の話をしても仕方がない。

 黙って首を横に振った。


「一周したら、降りよう。俺のうちの近くにさいとう医院があるから、タクシーで行こう」


 丁度、太陽が眩しい位に観覧車の中に差し込んで来た。

 近江先輩のファーストネームを思い起させる。

 太陽はあたたかいものだと感じ入っていた。

 ――チョッカン。

 焦がれてもいいのですか?


「そこは、喘息専門じゃないの……。ゼロゼロ」


「分かった。あずま大学附属病院の方へ行こう」


 ◇◇◇


「予約のない方は待つらしいけれども、この際、しっかり診て貰おう。同好会の皆はもう解散したから大丈夫だよ」


「……さっきから随分と待つわ。発作も自然とよくなって来たみたい」


 そんなとき、やっと、診察室に呼ばれた。

 高橋たかはし医師に説明を受け、レントゲンや呼吸に関する幾つかの検査をした後、再び診察室に入った。


「そうですね。雪原深優さんの場合は、ストレスで再び喘息発作が出るようになったと思われます。予防に努めましょう。この吸入器と飲み薬で、安定した生活が送れるようになりますよ」


 新しく見る薬は効果がありそうだ。


「予約を取って、継続的に診察をしましょう。血液検査の結果はそのときにご説明いたします」


 私は、すっかり呼吸が楽になっていた。

 会計からお薬まで一緒にして貰うとは。

 そのまま、病院前からタクシーで自宅まで送ってくれた。

 家族のいない寂しさが、離れて行く……。


「ここが、雪原さんのアパートでいいんだね」


 近江先輩が真面目な顔をする。


「具合が悪かったら、俺の所に電話して欲しい。折り返しかけ直すから」


 アパートにも桜が綺麗に散っていた。

 私の長いポニーテールを風が揺する。


「無理しないで。太陽みたいにあたたかい方……」


 彼は首を横に振っていた。


 多分、出会ったときからだったのだろうか。



 ――直観、私は恋を確信した。


 






Fin.

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