第48話 千春VS友也

 ダイニングはしんと静まり返っていた。いや、どちらが次に口を開くのか。それを固唾を飲んで見守っている状況だ。

 その中心にいる二人、千春と友也はしばし睨み合っていた。千春からすれば、この誘導は正しい誘導なのか。そこに疑問が生じていた。はっきり言って、自分を犯人と仮定して話せと、そう促されているようにしか思えない。つまり、一方で友也は犯人ではないという仮説が成り立ってしまう。では、体誰が犯人だというのか。

「さて、そろそろ具体的にトリックの話に入りませんか」

 その思考を遮るかのように、友也が再び口を開いた。そんな悩みは不要とでもいうように、いつもどおりの笑みを浮かべていた。

「そうですね。それを明らかにすることこそ、この事件の真相への近道です」

 千春はどこかにヒントがあるはずだと、その友也の笑顔を正面から受ける。第一印象で社交的と思わせたその笑顔。それは真実を覆い隠すための虚飾なのだろうか。

「水圧を利用するとなると」

「空間が密閉し、かつ勢いよく水が流入する必要がある」

「そうです」

 またこの方法なのかと、千春は友也が求める答えを口に乗せながら思う。一体、友也は何を考えて自分を探偵役としているのだろう。自分がその推理を披露すればいいのではないか。疑問が急速に膨れ上がる。一体何を考え、どこに誘導したいのか。

「さて、その場合ですが」

「あの大きな窓。そして柱のない大きな空間。それがヒントですね」

「ええ」

「どういうことですか。まさか部屋が動くとでも言うんですか」

 そこに割って入って来たのは大地だ。そんなのは小説の中でしかあり得ない。そう訴えているような強さだった。

「もちろん、部屋そのものが動くわけじゃない」

「えっ」

「ただし、何もない大きな空間というのがポイントなんだ。そして大きな窓があること。これもまたヒントになっている。つまり水が大きく動いた時に一番溜まりやすい場所はどこかという話になるんだ。水は満水になるとかなりの重さになるだろう。それが家を傾けているのだとすれば、柱が少ない部屋はどうなるか」

「あっ」

 つまり、この家全体を考えた時、アトリエのある場所が最も弱く傾きやすいということか。

「先ほどから話題になっている湿地帯。そして地盤が弱いということ。そしてあそこだけ柱がないという事実を考えると、水を天井から一気に排水した場合、あそこにすべての水が向かうようになっているというわけだ」

「そんな」

「そして水の流入により、アトリエは窓側にますます傾くことになる。中にいた人たちは水に押され、逃げられなくなるっていうわけだ。ドラム式洗濯機を思い出せばいい。しかし窓は水の重さに耐えうる強度を持っているようにしてあるはずだから、そこで水は堰き止められる」

「まさか、二人の死体が奇妙に捻じれていたのも」

「ああ。単純な水の流入ならば溺れるだけだっただろうが、部屋が傾き、さらに窓側に押さえつけられることによって水流が渦を巻くことで起こったというわけだ」

 いつしか推理者が千春と大地になっていたが、友也は不満を漏らすことなくその会話を見守っていた。にっこりと笑い、その推理で合っているとでも言いたげだ。

「そう。あのアトリエで怒ったことはまさにドラム式洗濯機のような状態だ。水圧にガラスが耐えられなくなるまでそれが続くことになる」

 千春は言うと、思わず友也を睨んでいた。あえて悲惨な殺し方をしたのではないか。そんな思いが込み上げたせいだ。

「そう。水が抜けてしまえばまた浮き上がって傾きが解消するんですよ。それほどに不安定な地盤なんです」

 友也は笑顔のままで千春の睨みを受け流す。

「それはそうでしょうね。日々、天井の貯水槽に汲み上げなければならないほどの水があるとすれば」

 仕方なく引いたのは千春だった。事実を認める形で話題を次に移すこととなった。

「水が流れたのならば、地面が濡れているべきじゃないのかね。一部は湿っていたが、せいぜい動物の足跡が残る程度だったぞ」

 そこに忠文が待ったと質問を挟んだ。それだけ水が動くとなれば、アトリエの近くの地面は湿っている程度では済まないはずだ。

「ええ。素直に地面に流せば」

「なに」

「あのオブジェですよ。あの中に水を溜められるんじゃないかと、俺は想像しています。つまり、部屋から流れ出た水はあの奇妙なオブジェに総て流れ込んでいくって寸法です。だから湿っている程度で終わったんですよ」

 千春が指摘すると、友也は嬉しそうに笑った。それが正解ということらしい。若手芸術家の作品。それが無造作に地盤沈下に任せるままに傾いている。その不自然さの理由は、あれが排水機能の一部に組み込まれてしまったからだ。そう、あの傾きはこの家と地下水の関係を匂わせるだけではないのだ。

「それに、雨が降って来て中断した位置。あれこそヒントだったんじゃないですか」

「えっ」

「オブジェの手前でしたよね。つまり、犯行現場のアトリエの手前。あの凄惨な現場があるから躊躇ったように見えますが」

「ああ、そうか。オブジェに近づかれては困るんだ。他に多くの目くらましが置いてあるとはいえ、仕掛けのあるオブジェに触れられるのを避けたかった」

「ええ。しかし、動物の足跡は残っていたのを目撃しているように、地面は湿っていましたからね。昨日の夜はまだ雨が降っていないのにも関わらず地面が濡れていたのは事実です。さらに決定的だったのが、安達さんの言葉です」

「あっ」

 引き上げるきっかけとなったのは、友也の発言だ。

「どうやら本当に密室みたいですね」

 そう。これにより、誰もがあの現場を密室だと認識したのだ。なぜなら、密室ではないと反論していたのも友也だったから。

「さらに安達さんの発言に関しては不思議なことがあります。あの事件現場で、どうして石田さんがブレーカーを上げようとしたのを止めたのか」

「あっ。そう言えば、離れないようにって言って、石田さんがブレーカーを上げようとしたのを止めてましたね」

 大地が確かに不自然だと声を上げる。それに石田の顔が強張るのが解った。自分が話題の中心に出され、戸惑っているらしい。まさか自分の行動が重要だったなんて、思いもしなかったのだろう。

「もちろん、この場合は石田さんを守ろうとしての発言です。何しろ家の中はどこも水で濡れている。そんなところに通電させれば、感電を起こしてしまうからです」

「なんと」

 石田が驚き、友也へと目を向ける。しかし、友也は笑顔のまま何も言わなかった。

「――」

 全員が、この笑顔の青年が犯人なのだと確信する。もちろん、千春もどこかで友也が関与していることは疑っていない。しかし、殺人を犯したのは、つまり水の流入の仕掛けを作動させたのは友也なのかという謎だ。

「スイッチはどこにあるか、が問題ですね」

 だから、千春は嗾けるかのように問いを発していた。このトリックのポイントは、どう発動させたか。

「そうですね。あの時、ドアは通行不可能だった」

「ええ。そして、田辺さんの言うとおり、外には動物がうろうろとしている状況だった。いくら動物に対して恐怖心がないとしても、野生動物相手に飛び出して行くのは危険です。襲われかねないですからね」

「ええ」

 そこで初めて、友也の顔に翳りが見えた。その先に触れるなとでも言うように。つまり、ここからは友也からヒントを出すことはないだろう。

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