第47話 心の数値化

「例えば、将平が何か本を買おうとする。その時の気持ちって、どこに現れると思う」

「へっ」

 しかし唐突な、しかも意味の解らない問いに将平はきょとんとしてしまった。本を読みたい。それに気持ちなんてあるのか。読みたいという欲求はあるだろうが。

「知的好奇心を求めて買うのか、それとも暇つぶしなのか」

「ああ。それは本の種類によるよな」

「そう。それさえも感情の情報なんだよ。今、この人は何を考えているのか。そのヒントは買うものにも出てくるってこと。こういうものまで千春は集約しようとしている。もちろん、メインは文字情報なんだけどね。感情を数式化するには購買行動までも含むっていうわけ」

「へっ」

 全然理解できませんと、将平はお手上げのポーズを取っていた。今ここにいない同級生が、初めて研究者なのだと実感した瞬間だ。

「要するに、ネットに溢れ返る総ての情報を集約した先に、本当の感情が見えてくると千春は考えているんだ。情報を統合化するってことかな。人工知能の得意な学習を利用すれば、関連性を見つけ出すのは容易い。そこから、本当の情動を読み取ろうとしているんだ。実際、ある特定の人がどういう購買傾向を持っているか、なんてものはすでに分析されている。SNSを使えば一発だからな。実際、フェイスブックは利用者の情報を売っているし珍しいことではない」

「なんか今、怖いことを聞いた気が」

「そう。安易に何でもネットに乗せるべきではないってことだね。と言いつつ、俺はちゃっかりSNSやってる。今の情報媒体としての大きさを考えれば、危険だという理由だけで全面的に排除する理由はないからな」

「ああ、そう」

 本当によく解らないものだと、将平は腕を組んで唸ってしまう。これが人工知能の怖さなのか、それともそういう情報を利用しようと考える人間にあるのか。それさえ解らなくなる。

「で、千春はそう言う情報を総て読み解ける人工知能を作りたいと考えているわけだ。人間が考えて行った結果の行動を知ることが出来れば、人工知能は人類に合わせた動きをできるはずだというわけだよ。さっきの例えじゃないけど、今の欲しいものを推測する人工知能ははっきり言って不完全だ。あなたが興味あるものって、出てくるサイトとかあるだろ。あれで当たっているのは少ないと考えている」

「そうか」

 おすすめの本とか、おすすめの曲というのは大体当たっていると思う将平だ。しかし、英士は不満足だという。

「確かに俺も納得できない時が多いですね。もちろん、情報が増えれば正確性は上がるんでしょうけど、その情報はもう必要していないってことを人工知能は判断できませんからね。永遠と似たものを勧めてきます。そういう時、ネット通販って躊躇っちゃうんですよね。余計な情報を与える気がする、みたいな」

 翔馬がようやく口を挟めるという感じで、そんな意見を述べた。ますます不可解な話だ。

「そういうものかな」

「そう。人間の情動は常に流動的だ。今ある関心事が数年後も永続しているか。そうとは限らないだろ。仮に今、そば打ちにチャレンジしたいと思っていても、数か月後にはやりたくないかもしれない。あと、広告関連で言えばあれだね。年齢だけで判断して結婚勧めてくるの、何とかなんないのかな。興味ないんだけど。人類がみんな子孫を残したいなんて誰が思い込んでいるんだろう。お見合いサイトもウザイよね。彼女とか要らねえっつうの。独り身は寂しくて辛いとか、そういう思い込みもあるよね。そこが謎なんだよねえ」

「いや。完全に個人的な意見だよな。お前、そんなに結婚したくなかったのかよ」

「煩いな。個人的な意見でいいんだよ。そういうのが研究の原動力になるんだよ。不満足なんだよ、今のネットの分析の仕方が。ネットというのは多様性で成り立っていたはずなのに、いつしか一般論に落とし込まれている。これでは駄目だ」

「ほう」

 やっぱり研究者って解らないなと、将平は頷きつつも思う。そんなもの、無視すればいいのでは。それが、一般論を受け入れている一般的な感覚だ。たしかに広告が鬱陶しいと感じることはあるものの、そういうものだと割り切っている。

「人工知能が社会で活躍していくためには、それでは駄目だよ。利用者に不快感を与えるものを人は愛用しないからね。仮に一家に一台人工知能が搭載されたスピーカーがある時代が来るとすると、その人工知能が頓珍漢な答えを出すようでは、いずれ捨てられる運命にある。自分でやろうってなってしまう。現にあれ、今のところ普及している感じがないんだよな。アメリカは成功しているらしいけど」

「それは声に出さなきゃいけないからでしょ。オッケーグーグルってフレーズだけでも、日本人にすればハードル高いですよ。アマゾンのアレクサだって馴染みのない名前ですしね。本気で普及させようと思えば、日本に馴染みのある名前にしないと。例えばポチとかタマとか犬猫に付けるような名前ならばまだ呼べそうですけど」

「まあね。ポチやタマに買い物を頼むことはないだろうけどな。源さんとかがいいかな。有能な好々爺って感じでうけるかも。ああでも、源さんに誕生日の歌を歌わせるのは嫌か。嬉しくないね」

「あのさ、千春の研究についてじゃないのか」

 永遠と人工知能談義をしていそうな二人に、将平は違うだろうとストップを掛ける。これもまた、研究者ならではということか。今、AIスピーカーへの呼びかけについてなんて、どうでもいい。

「千春の研究に関係あるよ。そういう些細なイライラを取り除くには、人間の感情を読み解くことが不可欠ってことだ。だから心の研究って言われるんだよ。突き詰めれば人工知能に何が不快で何が快なのか、それを理解させることでもある」

「ほう」

 そういうものなのかと、将平は納得できないものの頷く。たしかにSFの世界で、万能な人工知能は人間の感情を読み取っている気がする。ということは、そういうハイスペックな人工知能を作るためには千春の研究が必要ということか。

「そういうことだ。最も問題になるのが、人工知能が人類を滅ぼそうとしないかという、SFのような問いだ。これに関しても千春の研究ならば正しい解を得られることになる。人間は人類を滅ぼそうとは考えたことがあっても実行したいわけじゃない、っていう複雑な感情も理解できるわけだからね」

 英士はまるで自分の研究のように誇らしげに語った。それだけ千春の研究は飛び抜けて素晴らしいことなのだろうと、門外漢の将平にも納得させる響きだった。

「つまり、嫌がらせを受ける覚えはない」

「そうだよ。千春の研究はむしろ、人工知能の暴走を止めることが出来るものになるはずだ。ところが、やはり心というのは人間独特のものであり、それを総て機械に学習させるのは難しい。そこである程度の数値化と数式化が必要になるわけだ。形式化してしまうってことだね。そこを、一般の人たちは誤解してしまう」

「そうなのか」

「そうだよ。つまり、人工知能はある程度の心を持つことになったとして、果たしてそれは人間の感情を理解していることになるのか、ということだ。形式化された感情は果たして本当に感情なのか、ってことだね。些細なことはやっぱり解らないはずだ。自分たちの感情は数式では表せないはずだ。そういう反発も含まれる」

「難しいな。哲学みたいだぞ。もしくは禅問答だ」

「そう。十分に哲学だと思うね。難しい問題なんだよ。心なんて千差万別だからね。個人的な学習をさせることが可能とはいえ、完璧になる保証はない。しかし、今の人工知能は傾向を読み取っているだけなんだ。だから、さっきの俺のような不満が生まれる。つまり、千春がやろうとしていることは、解決の糸口の一つなんだよ。それが総てではないんだけど、やっぱり心というのは人間的には踏み込まれたくない領域ってことだね」

 それは解る気がすると、将平は頷いてしまった。心は人間にしか、いや、せめて動物にしか解らないものだと思いたい。その気持ちは将平にもある。だから、人工知能が自分の感情を読み解こうとすると言われると、拒否反応に似たものが出てしまうのだ。

 そこにあるのは、お前に何が解るという傲慢な気持ちなのかもしれない。それにもし心が数式化できるというのならば、様々な問題は起こらないのではないか。理不尽ともいえる殺人事件を日々相手にしている刑事からすれば、世間一般の反応が正しいと思えてくる。

「まあ、そうだろうね。千春が数式化したいのは、そういうどろどろした感情ではない。あくまで人工知能が社会で活用される際に必要な部分ってことになる。この制限を忘れると、先ほどの誤解を助長することになるわけだ」

 英士がにやりと笑ったので、ひょっとして今考えていたことが読まれたかとひやっとした気分になる。こっちの方が不気味だ。

「にしてもな。人工知能って本当に社会で役立つようになるのか」

「なるさ」

「言ってくれるね」

「そりゃあそうさ。コンピュータの発展は指数関数的なんだ。今が亀のような進歩であっても、あっという間に驚くような進化している。お前が持っているスマホ然り、普段使っているパソコン然りだな」

「そうだな」

 言われてみればと、将平は握ったままだったスマホに目を落とした。たしかにスマホも、出てきた当初は劣化PCなんて揶揄されていたものだ。それがいつしか手放せないものとなっている。しかもそれがいつだったか、もはや思い出せないほどだ。しかし、そうではない人間もいる。そう、千春だ。相変わらず連絡はない。まったく困った奴だ。

「まあ、人工知能がどうなろうと俺には関係ねえや。それより事件だ。天井に何があったんだ、つうの」

 将平はこの話題は終わりというように、友也の資料に目を戻した。どこにも欠陥のない、いや、安西の隠し子だったという事実以外に何もない資料。果たしてこいつが犯人なのか。妙に心がざわついていた。

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