第43話 天井に地下水?
「ううん。どうしてだろう」
「しかし、こうなると、あちこちに入り口がありそうですね」
友也も同じ場所を押すが、やはり動かない。だが、入り口が一か所ではなく、それも客間にあったということは他にもあって然るべきと考えた。
「ですね。ということはあっちにも」
「そうでしょう」
ということで、桃花には悪いが天井の確認をさせてもらうことにした。桃花が使っていない方のベッドに乗り、天井を手で探る。するとやはり、一か所ガコンという音がする場所が見つかった。
「これ、全部の部屋にあるんじゃないですか。さっきダイニングの天井を見た時は、何もないって思いましたけど」
何もないと思われた客間にあった。ということは、ダイニングにあってもおかしくないと大地が言う。いや、それどころかどの部屋にも存在するのではないかと疑えた。
「そうですね。では、ダイニングに戻りましょう」
メイドたちへの詳しい説明は田辺に任せ、一行はダイニングに戻ることになる。千春はその前に桃花の顔を確認したが、すやすやと眠っているようにしか見えなかった。少なくとも、体調が悪くなってはいないらしい。
「目覚めませんね」
「ええ。一体、どうなっているのか」
大地も不思議そうに桃花を見る。触れるような野暮なことはしなかったが、どうして昏睡状態が続くのか不思議なようだ。
「やはり睡眠薬のようなものでしょうか?」
「でしょうね。それか」
外傷こそないものの、脳に傷が出来てしまっているのか。千春はそう思ったが、口には出さなかった。メイドたちの手前、不安を与えるような発言は避けるのが当然だ。ただ、ここまで昏睡が続いていることから、そちらの可能性が高くなっているなと感じていた。服が湿っていたことも、犯人が窒息させようとした証拠なのではないかと思えていた。
それがこの天井の仕掛けとどうつながるのか、それはまだ解らない。しかし、ここまで昏睡が続く理由が他に見当たらなかった。いくら薬物を使用したと考えても、ここまで反応がないのはおかしい。
「行きましょう」
大地に促され、千春も外に出た。しかし、メイドたちの沈痛な顔が目に焼き付いてしまっていた。
それからダイニングに戻り、やはり天井に入り口があることを発見したところで、探索は終了となっていた。おそらく他にも、現場となった浴室や脱衣所、それにアトリエ側の建物にもあるのだろうが、さすがにそこを深夜に捜索する気にはなれなかった。
「まさかこの建物に、こんな秘密があったなんて」
捜索を終えて、田辺は驚いたと素直に零していた。それは石田も同様であるらしく、天井をじっと見つめていた。各部屋に入り口が設けられており、しかもそれがどこも開かないとは、どういうことなのだろうか。そう不思議に思い、同時に不気味にも感じられる。
「どうして開かないんでしょう。どこも圧力が掛かったみたいに、ちょっとしか動かないなんて」
大地の問い掛けに、全員の目が天井に向き、そして口にするのが恐ろしいというように黙り込んだ。そう、今、大地が無意識に言葉にしたことが答えだ。圧力が掛かっている。そしてこの家で圧力をもたらすものといえば、あれしかない。
「天井に地下水を引き込んでいるってことになりますね。この上に、水を溜め込んでいるんです。それがドアの仕掛けにも関係している」
千春がその沈黙を破るように言った。ここで言葉にしなかったからといって、その事象が消えてしまうわけではない。むしろ、ちゃんと直視して対応していくべきだ。
「ええ。他に考えられないでしょうね。ただ、どうして物置きの天井だけが濡れていたのか。これが気になります」
それに応じるのは友也だ。今のところ、その地下水が建物に悪さをする様子はない。ドアこそ開かなくなったものの、天井が落ちて来るようなことはなさそうだ。では、あの水濡れの跡はどう説明すればいいのか。
「そうですね。他のところも濡れているっていうのならば解りますけど」
忠文も冷静に天井から視線を外し、新たに加わった謎に首を捻った。一部分だけ、それもすでに乾いた状態で残った染み。天井に地下水が溜め込まれているとすれば、これは不自然だ。
「つまり、天井の貯水システムには問題ないということですね。その水ですが、おそらくトイレや水道といった、生活用水として使用されているはずです。他に排出する方法もないでしょうからね。だから、安西先生は普段、ミネラルウォーターを飲むようにしていた。さすがに天井に溜め込んだ地下水を飲む気にはなれないから、というわけでしょう」
「なるほど。しかし、そう考えると使用人たちに知らせていなかったというのは、意地の悪い話だね」
千春の説明に、とんでもない奴だと忠文が鼻を鳴らす。田辺と石田は複雑な表情を浮かべていた。おそらく、水道水を飲んだことがあるのだろう。いや、それどころか、石田は料理に使っていたはずだ。火が入って煮沸消毒されているとはいえ、シェフとしては複雑なはずだ。
「緒方さんは安西先生と付き合いは長かったんですか」
招待客の中では安西と付き合いのあった忠文に、千春はどういう人物だったか聞き出そうと思って訊ねる。
「ううん。それほど長くないね。この家を購入された頃からだから、五年くらいかな。その頃から何かと相談を受けるようになってね。終活をしていたと言ったように、細々とした権利関係の整理を始められていたんだ。といっても遺産云々の話になったのはつい最近だよ。だからまあ、人となりを聞かれても困るかな。何度かこういったパーティーに招かれていたが、深い付き合いではなかったしね」
「じゃあ、この家、建てられてから五年しか経っていないんですね」
「そうだ。その辺はあそこの二人が詳しいだろう」
家に関しては田辺たちに聞いた方がいいと、忠文はそちらを向いた。
「え、ええ。こちらには五年前に越してきました。その前はもう少し都心寄り、交通の便のいい場所にお住まいでした。しかしどうも都会の喧騒は苦手なようで、ストレスになるとおっしゃっていました。そしてその頃に遠藤先生と出会われて、引越しを決意されたようですね」
田辺は遠慮がちながら、もういないからと内情を明かしてくれた。美紅と出会ってからということは、ここはいわば二人の新居というイメージだったのだろう。
「遠藤先生に診てもらっていた、という事実はあるんですか」
「ええ、もちろん。安西先生もお年ですからね。高血圧や頻尿といった、老人にありがちな症状を診てもらっていましたよ。私や石田も似たようなことで診てもらっていましたし、メイドたちの風邪なんかも、遠藤先生が対処してくれていました。些細な症状でも丁寧に診てくれる、とても優しい方でしたから」
そこで田辺の目元が僅かに濡れる。美紅に対して何かと思い出があるのだろう。石田も沈痛な面持ちだった。
「あの先生は優しかったですからね。孤独だった安西先生を癒したように、私たちも癒されていました」
「そうですか」
石田の一言で美紅に関する情報は優しかったということに尽きるようだと解る。しかし肝心の安西の情報がない。
「では、お二人にお聞きしますが、雇い主である安西先生はどういう方でしたか。この場にいないという言い方が正しいか解りませんが、率直な意見を教えてもらえますか」
千春は質問相手を忠文から田辺と石田に代えた。二人は困惑した顔をしたが、全員の視線が集まっていることに気づき、互いに見合う。
「そうですね。私は料理の担当ですから、メニューに関してお伺いを立てる時くらいしか会話はしていませんね。だから先生自身をどうこうっていうのは、あまりないです。いらっしゃる方の好き嫌いをしっかり把握されていて、それを伝えてくれる、几帳面な方だというのが一番の印象でしょうか」
先に話し出したのは石田だ。普段からそれほど関りがないから語りやすいという。たしかに石田は、ほぼ台所にいるようだった。こういう非常事態だからダイニングにいるものの、パーティーの時は一度も姿を現していない。
「たしか、引退されてからこちらに働かないかと声を掛けられたんですよね」
「え、ええ。こちらに越してきた五年前にですね。レストランに行くのも面倒になるから料理人を探しているのだとおっしゃられて」
「なるほど」
シェフを雇った理由もここに越してきたからという、何かと五年前に集約される話となってきた。五年前、美紅に出会ったということだがそれだけが転機なのだろうか。千春はううむと腕を組んでしまう。
「石田さんって、どこでシェフをされていたんですか」
千春が悩んでいる間に、大地がそう質問した。料理の腕からして、かなり有名な場所で働いていたのではないか。そんな興味からだ。
「以前は鎌倉の方ですね。そこにある小さなホテルでシェフをしていました」
「へえ。じゃあ、安西先生もよく鎌倉に」
「ええ。何度か働いていたホテルにお泊りでしたから」
「ふうん。じゃあ、ここに住むまでは活動的だったってことですね」
「そうでしょうね。あちこちに旅行をし、そこで絵のインスピレーションを得るのだと、いつだったか話されていましたよ」
大地が質問したことで、新たな情報が出てきた。やはり、五年前というのが怪しくなってくる。その頃から遺産整理に関係するようなことをしているようだし、一体何があったのだろうか。美紅とのことを考えると病気かと疑えるが、もし大病をしているのならば、ここに越すというのはおかしい気がした。医者がいるとはいえ病院が遠いのだ。療養先としては不適切なように思える。
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