第15話 安西の画風は?
「気になりますよね。俺もそうです。しかも今日に限って嫌がらせの手紙がゼロ。これって、何かありますかね」
「さあ。たまたま来なかったって可能性は排除できないな。因果関係を求めるのならば、パーティーの出席者の中に、悪戯を主導していた奴がいるってことになる」
「で、ですよね」
翔馬はコーヒーの入ったカップを二つ持って来ると、やはり関係ないかと溜め息を吐いた。招待客は全員、世間からは先生と呼ばれる職業の人ばかり。さすがにあんな子どもじみた悪戯はしないだろう。特にカレーせんべいレターなんて、今時の小学生だって知らないのではないか。どう考えても、いい大人で暇な奴がやっているとしか思えない。
「それよりも、俺は安西がどうして千春に興味を持ったのか。そっちが気になるんだ。で、わざわざ図書館から、この重たい画集を借りてきたってわけだ」
「買ったんじゃないんですね」
「当たり前だろ。真剣に鑑賞するわけじゃないからな」
誰が使いもしないものに五千円も払うんだと、英士の意見は冷淡だった。
「まあ、そうですね」
それにしても、変な絵だなと翔馬は思った。世間ではダリの再来なんて言われているから、もっと解りやすい絵を描くのかと思っていたが、どうやら違うらしい。抽象画というより、ここまで来るとイラストなのではないか。そんな疑問が過る作品だ。
「ああ、これね。安西の今の画風だよ。昔はもっと違って」
翔馬の疑問に気づき、英士が画集を捲った。そしてこれっと指を差す。それはまだ解りやすく、どこか漁村の風景だろうと思わせるものだった。しかし、奇妙に歪んでいる。時空がずれているかのように、絵の中央でぐにゃりと曲がっているのだ。なるほど、これならダリと呼ばれるのも解る。
「この安西って人、どんどん抽象度が上がっているみたいでね。初期の頃はまだ、これがテーマだろうと特定できたんだけど、最近では表紙のこれみたいに、理解できないものへと変化している」
「へえ。画風が変わっていたんですね。知りませんでした」
「俺もこれを見るまで知らなかったな。どうやら安西は、ピカソみたいに画風が何度か変わっているらしい。デビューも十四歳と早かったからな。天才だよ。でも、名前は聞いたことがあっても絵まで見たことないって人が多いだろ。知らなくて当然かもな。大体、現代アートなんてそんなもんさ」
「ま、まあ、そうですけど」
そんなざくっと言い切っていいのかと、翔馬は思ったが自分がまさにそれだった。新聞やテレビのニュースを何度か賑わせていたので名前は知っていた。その程度である。
「でね。問題はこの最近の絵だと思うわけだよ」
そう言って英士は表紙の絵を指差した。先ほどから気になる、奇妙な絵だ。
「これがどうしたんですか」
「幾何学っぽくないか」
「ええ。それは思いましたよ」
でも、だからそれがどうしたというのだと、翔馬には理解できない。数学がテーマだというのならば、数学者に相談すればいいのではないか。
「それはもちろんだ。でも、次のこれ」
「はい」
一体絵に何があるんだと思いつつ、翔馬は次に出てきた絵を見た。そして、口をあんぐりと開けていた。
「そう。電子空間を表しているかのようだろ」
たしかに次の絵は、どこかプログラミングを視覚化したかのような絵だった。模様が数字やプログラミング言語に見えてしまうのだ。不思議な感覚に囚われる。
「それってつまり、安西の興味が数学や人工知能に傾いていたということですか」
「そう」
「ううむ」
でも、それだけで千春に行き着くだろうか。もっと適切な、それこそメディアでちゃんとコメントしているような研究者がいいのではないか。そう思ってしまう。
「まあ、これだけでは何とも言えないよな」
「ええ。むしろ、どうしてうちの先生がってなりますよ。他に良識のある研究者なんて、今や山のようにいますよ。人工知能研究はどこも力を入れていますからね。まさに雨後の筍。その中から突出するのは一握りで、まあ、その点から言えば、うちの先生は突出していますよ。嫌がらせを受けるくらいですからね」
「お前なあ。フォローする気あるのか」
あまりの言い分に、英士は苦笑してしまう。これでは千春を馬鹿にしているかのようだ。
「いつものことなんで大丈夫でしょう。本人はいませんし」
「まあな。で、何か連絡は」
「それが一向に。もともとメールやLINEをちゃんと送ってくるタイプでもないですからね。謎のパーティーの最中とはいえ、まめに連絡してくるとは思えません」
「まあな」
こっちがこうやって気を揉んでいることも知らないんだろうなと、二人は笑うしかない。が、放置できないのが彼らの性分だ。
「便りがないのは元気な証拠だっけか。まあ、そういうことにしておくか」
と言いつつ、しばらくそのまま二人で安西の画集を睨み合うことになるのだった。
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