第14話 心配性

「そうですね。そう言えば、安西先生が夕方の五時まで現れなかったのも、そういう理由からでしょうか」

「さあ。絵の構想を練っていただけかもしれないですよ。何かと田辺さんに任せているみたいだし、出てくるのが面倒だった可能性もありますね」

「そうですね」

 そう言うと、千春は前を歩く田辺を見た。夜中だというのにぴしっとした姿勢で歩く田辺は、まさに執事といった雰囲気だ。その姿勢に慣れているという、無理のなさが余計にそう思わせるのだろう。そう、田辺の動きには長年染みついた何かがあった。若い頃はホテルマンだったのだろうか。そんな想像をしてしまう。

「ああ。動物の鳴き声がしますね。でもあれは、ふくろうかな」

 渡り廊下を歩く間に、何かと出会えないかと期待する大地が耳を澄ましていた。たしかに、ほうほうという、低音の鳴き声が山から聴こえていた。千春は思わず、かの有名な森の妖精を頭に思い浮かべていたが、もちろん口にしなかった。

 渡り廊下はさほど長くない。すぐに渡り終えると、ドアを通って生活感のある建物の中へと入る。自然とほっとした空気が漂った。やはりアトリエの中というのは、仕事場であるという意識が働くのか、どこか緊張してしまうものだ。

「さて、酔いを醒ましますか」

 ダイニングはすでに夕食の片付けが済まされ、ケーキやクッキーといった甘い物が用意されていた。そこに、給仕の女性たちがポットを持って現れる。彼女たちもまだ、古風なメイド服を纏ったままだった。

「コーヒーと紅茶、どちらになさいますか」

 そして、一人一人に飲み物のリクエストを伺っていく。千春はコーヒーを、友也は紅茶をリクエストした。大地と忠文はコーヒーだ。

「いやあ、お腹いっぱいですね」

 大地はそう言いつつも、しっかりケーキに手を伸ばしている。若さゆえだろうか。思えば大地だけが二十代だ。人一倍食べてもおかしくはない。

「そうですね。どれも美味しくてついつい食べ過ぎてしまいました。たしか、シェフの方がいらっしゃるとか」

 友也がそこで、ダイニングの入り口に立つ田辺を見た。

「はい。かつてはホテルのレストランで腕を振るっていた者です。旦那様もよく利用されていたところでしてね。それでリタイアした後、旦那様が是非にと誘い、ここに勤めております」

「へえ。ということは、六十を過ぎていらっしゃる」

「ええ。私より四つ下になりますが、六十を超えております」

 ということは、普段の男手は年寄りばかりかと、千春はコーヒーを飲みながらそんなことを考えた。重い物を運ぶことは少ないのだろうが、家の修繕とかどうするのだろう。先ほどのメイドたちに任せているのだろうか。今時の女子はDIYが得意だというし、男が必要とは限らない。千春がいても、トンカチなんて長いこと使っていないから役に立たないだろう。

「椎名先生、眠いんですか」

「え、ええ。そうですね」

 余計なことを考えていただけだが、言われてみれば眠い。千春は大きく欠伸をした。

「俺も眠くなってきました。ここはもう散会ということで」

「そうですね。俺も眠い」

 銘々眠くなったところで、ダイニングからそれぞれの客室へと移動した。こうして長い一日目が終わったのだった。




 ここ最近の翔馬の朝の日課は、研究室に届いた荷物を選り分けることだ。それはもちろん、悪戯の品を探し出すためである。

 毎日のように気合の入った悪戯がされた手紙が届くため、それを選り分ける必要があるのだ。これでも椎名研究室の一員。部屋のボスである千春の手伝いは当然だ。しかし、他にも所属している研究員や大学院生がいるというのに、何故か翔摩がやることになる。

「まあ、いいんだけどね。心配性だし」

 そうぼやきつつ選り分けるのも日課だ。文句は言うが、他の誰かに任せるつもりはない。トップである千春の影響かがさつな奴が多いからだ。

「おや、珍しい」

 手紙はどれも普通の、言い換えれば差出人がはっきりしているものばかりだった。ここ数週間の間ではなかったことである。

「ううん」

 このタイミングで嫌がらせが途絶える。それが、妙な胸騒ぎを生んだ。翔馬は思わず千春の席へと目を向けてしまう。昨日のパーティーは無事に乗り切れただろうか。何か悪いことは起こっていないだろうか。そんな不安が生まれてしまう。もちろん子どもではないのだから、そんな心配をする必要はないし、何かあれば連絡してくることだろう。しかし、不安だ。

「ああくそっ。こういう日こそ、ゲテモノの入った手紙でもあればいいのに」

 あまりに不安で変な悪態を吐いてしまう。実際はカエルの死体の入った手紙なんて、真っ平御免だ。この間それに当たってしまった時、びっくりして椅子から飛び上がったほどだ。

「よう」

 そこに、やはり心配なのだろう英士がやって来た。朝早くから訪ねて来るなんて珍しい。その英士の手には安西の画集があった。

「ああ。藤井先生。どうぞ」

 翔馬としても変な悪態や想像をするよりは、英士と話していた方がいい。すぐに手紙の山を千春の机に移動させ、英士にコーヒーを勧める。

「悪いね。やっぱり気になって」

 英士はその空いた場所に安西の画集を置く。表紙に描かれているのは、千春が見ていたのと同じ幾何学的な絵だ。といっても、英士は知る由がない。

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