国家以上に重い枷【PW③】
久浩香
国家の握るリード
遥か昔、天降りて来た男神は、我らが住まうこの惑星の大地の女神と結婚なされ、お二人で神羅万象を生み出された。しかし、蜜月はやがて倦怠し、天下りて男神は天に帰られた。男神に去られた女神は慟哭し、惑星の地下深くに籠られた。大地は実りを忘れ動物は飢餓した。人類は、男神に女神の傍に戻る事を祈り、男神は天より赤い雨を一滴零された。その一滴を飲み下した男の中に男神の気配を嗅ぎつけた女神は、再び大地を実らせた。
この御方こそ、我が国の初代国王陛下の始祖様であり、この始祖様の血統は、やがて惑星中に広がったが、いかなるミッシングリンクの果てか、いつしか始祖様の血統は我が国の初代国王陛下と数人を遺すのみとなり、女神の恩恵は薄れ、初代国王陛下は、再び大地が枯死の危機を迎えている事を憂い、自らの血統を未来へ残すべく我が国を建国された。
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国王陛下に3人目の王子殿下がお生まれになられた。しかも、お産みなされたのが第一王后陛下であられるという。これまで夭折なされた方々も合わせれば9人の殿下方がお生まれになられたが、その殿下達は皆、第五王妃陛下から第八王妃陛下の御子で、第二王后陛下から第四王后陛下方は、王女殿下でさえまだお産みになられていない。
女神に男神の気配を伝え、この星に実りをもたらす、純血により近い尊い血統の国王陛下の王太子殿下がお生まれになったのは、本当に喜ばしい事だ。国王陛下も殊の外お喜びになられ、王子殿下が無事にお育ちあそばし、王太子殿下となられる16歳の誕生日を迎えられる日に、敵対する隣国の国民にも、我が国の国民として、国王陛下の栄華と王太子殿下の誕生を崇め奉る事を許すことを決められたのだそうだ。
その為の下準備は着々と進んでいた。国王陛下と上級貴族の方々の卓越した頭脳は、私達を正しい未来へ導く為、常に最良の策を講じて下さっていたのだ。そして、その鍵となるのは上級貴族の御令嬢方の勇気である。
この事は、国境警備隊の隊長である私だから知れる事だが、上級貴族の御令嬢の中には国外の人間と御結婚なさっておいでの方々がいらっしゃる。そうなるに至った経緯までは、私の如き平民には知りようもないが、御令嬢方は僅かな護衛と共に、この高く聳える国境の門を潜り他国へと向かわれた。さて、他国に嫁がれたからといって、御令嬢方のこの国への忠誠心が失われたわけではない。御令嬢方は、嫁がれた先で知りえた情報を我が国にもたらして下さるのだ。そして、その情報は、もちろん隣国のものも含まれる。
血で血を洗う戦争だけが戦いではない。我が国にも当然軍隊はあるが、そのような危険に、例え貴族の称号を使えずとも貴族の血を引く将校方を晒すわけにはいかないのだ。
では、どうするかと問われれば、それは至極簡単な事だ。ようは隣国の重要な立場にいる者に自国を裏切らせれば良いのだ。我が国の国民にはあり得ない事だが、隣国の国民で我が国のスパイに堕ちた者達が既に何人もいる。
具体的に何をするかといえば拉致だ。
隣国の奴等というのはおかしなもので、自分達こそ始祖様の子孫だと言わんばかりに、自分達の子供を自分達で育てているのだ。そして、どうやらその自分の配偶者や子供に対し国家以上に忠誠を誓っており、配偶者や子供に対して忠誠を誓っているのは突き詰めれば自分だけであるのだ。我が国の国民のように、忠誠を誓う先が、国家と国王陛下に絞られていれば、そんな事にはなるまいに、一人で守るべきものが多数あれば、そこには隙が生じる。それを突いて、標的の妻と子供を拐かしてくれば、標的は面白いぐらいにあっさりと自国を裏切り我らの協力者となる。敵国ながら、こんな非国民ばかり飼っているのだから同情を禁じ得ない。
私ごとで恐縮だが私にも妻がいる。兵士に選ばれたのだから、恵まれた肉体を持っているのは当然だが、どうやら私には他の兵士達には無い俊敏さが備わっていたらしく、その能力が認められ下士官となったのは22歳の時だった。その時に
妻は日々の食事の支度や掃除、洗濯等をしてくれ、それこそ上級国民以上の方々だけが雇う事を許されたメイドを雇っている気分だった。しかし、それまでの私はといえば、漲る欲望をそういう店に通って発散させていたのだが、独身者の兵舎を出た事で、店に通う為のチケットが発行されず、妻が傍にいる間は、彼女以外の女性とできなくなるという難点があった。だが、私はそれをしたかったし、チケットを買う金を出さずともできるのだから、するのは当然だし、やる事をやったのだから妻は妊娠した。妊娠が解った時点から産後1年の間は妻は家を出ていく。2回出て行ったので2回妊娠したのだろう。ちなみに、妻が出て行っている間は兵舎に戻っていた。
さて、長々と私と妻の事を話してきたが、何が言いたいかというと、妻というものは専属の娼婦でしかないという事だ。一番肌を合わせた女性である事には間違いない。しかし、それだけの相手なのだ。もし隣国の工作員が私の妻を拉致し、彼女の貞操や命と引き換えにスパイになれと脅してきても、私は何も感じないだろう。国家と娼婦が天秤にかけられるわけがないのだ。
ましてや、妻が2回目の妊娠をしたのは、今からもう四半世紀も前の話だ。その間に私は准士官へ昇進し、隊長となってここへ配属され、妻を女とも見れなくなって久しい。
…と、いうような事を、私は息子と話した。27歳で今の私と同じ准士官となったエリート。彼がこの国境の地区にやってきたのは、他国から拉致してきたものの、最早、利用価値のなくなった人質の女を、
誰かの妻となり出産経験のある女。「子供に会わせて!」と、狂ったようにけたたましく泣き叫ぶ女。何がどう違うのかは解らないが、こういう女がパピーウォーカーのパートナーに丁度良いのだという。
それはともかく、日頃からこういう女達や、自国を裏切った男と監禁した女の逢瀬などを監視していた為だろうか。今回、少将閣下の部下としてやって来た彼を、私は自分の息子であると直観した。
確証は無い。だが間違いようも無い。
彼の目の色、耳の形、髪のくせ。それらは誰が何と言おうと私と同一のものだった。彼から差し出された掌に私の掌を重ね合わせ、強く握りあって握手する。それはパズルのピースがぴったりとはまりこむ感触に似ていた。
その夜。私は少将閣下に呼び出され、
「君は、あの准士官の事をどう思う?」
と、尋ねられた。
私は、私が彼を自分の息子だと気づいた事がバレないように、当たり障りの無い事を答えた。私の答弁に、閣下は不思議そうな顔を浮かべ、
「ん? そんなものか? 彼はとても素晴らしく優秀な男だぞ。あの年齢で准士官となったのだ。養護院で育ったとは思えない程、軍人に必要な才能溢れる男だぞ」
閣下から息子をベタ褒めされ、私はとても誇らしい気分になった。顔の筋肉を意識的に強張らせ真顔でいる事に集中したが、鼻が膨らみ、綻ぼうとする頬頭がヒクヒクと波打つ。
「ここだけの話だが、彼は下級貴族に列せられる。彼の今の妻は、副都心に戻った時には死んでいて、独身になった彼には、彼の才能を次世代に伝えるに相応しい女性と結婚してもらう事になるだろう。彼は、国王陛下のお傍近くに侍る栄誉を得るのだ…」
閣下が息子の約束された未来を語る内、私の目に映る世界は、幾つものストロボを一斉に焚いたように白く抜けていった。
(なんと素晴らしい事だろう)
自分の息子が貴族になる。この国で最高の待遇を受けられるようになるのだ。私はそれまで感じた事の無い陶酔の渦に巻かれ、知らない幸福感に満たされた。
そんな私に閣下は言葉を続けた。
「…だがそれも、彼の身内が正しい我が国の国民である事が条件だがな」
と。
閣下の仰るには、息子の才能がいくら突出していようと、近親者に非国民がいれば、息子も同罪として下級貴族どころか飼い殺しの一兵卒に戻されるのだそうだ。私にしても息子にしても養護院生まれの養護院育ちだが、国の上層部には、誰が誰と誰の子供であるかというデータがブリーダー達によって管理されているらしい。考えてみれば、そんなデータが無いと知らぬうちに近親婚を犯してしまう危険性がある。それが避けられていたのは、一重にそのデータのお陰だった。そして、息子が下級貴族になる事を私に告げた閣下が、私が息子の父親である事を知らぬわけがなかった。閣下は初めから知っておられたのだ。
「まあ、な。我が国の国民に限って、非国民がいる筈もない。皆、国王陛下の忠実な臣下に間違いない」
閣下は、そういって高らかに笑い、御自身の飲みかけのウイスキーのグラスを、私に飲むように勧めてきた。
「ところで…」
両手で握ったグラスに歯をあてた私に、閣下は更に続けた。
「今度、某国に私の姪が留学する事が決まった。もちろん、姪の国籍については隠蔽してあるが、長く敵地で過ごさなければならない。姪に限って某国の風習に流される事はなかろうが、問題なのは付き従う者だ。恐らくセンセーショナルな洗礼を受ける事になる。つまり、強く揺るがぬ忠誠心を持った人材が必要なのだ。…私は君を推すつもりなのだが、どうか?」
否も応もない。
私は、国家と国王陛下と息子の為に、この命令に従うしかない。
─ 完 ─
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