せなかに走る

樹坂あか

せなかに走る

 彼女の背には傷が走っている。

 肩甲骨の間を繋ぐような、ほぼ真一文字の傷。幅は鉛筆の太さと同じくらいだろうか。日に当たらない白の中でそこだけは一筆走らせたように色と質感を変えていてーー幼い頃一度だけ目にしただけだが、今でもはっきりと彼の記憶に焼き付いている。

 傷を負うというのは、誰しも嬉しいものではないだろう。痕が残るなら尚更。

 けれど彼女は今日も悪戯っぽく笑っている。


「世界征服を企む悪の秘密結社と戦ってきたの。名誉の負傷よ」

「……背後から奇襲でもかけられた?」

「そんなところね」


 いつから彼女は日曜朝の主人公格になったのだろうか。


 翌日も彼女は笑顔で企んでいる。


「魔女にぬいぐるみと勘違いされて綿を抜かれそうになったの」

「……その魔女には眼科の受診をおすすめしたいね」

「血が出たのを見て『間違えた!』って逃げていったわ」

「眼科領域じゃなさそうだな」


 ぬいぐるみというよりは人形ではなかろうか。どっちにしても魔女はアウトだが。


 次の日も彼女は考えている。


「実は私、人間型ポストの試作品第一号なの。投函口を作ったところで予算不足で計画が頓挫しちゃって」

「投函したとてどこから取り出すの」

「……おなか、とか? こう、おへその辺りからいい感じに」

「純粋に怖い」


 生身の人間をポストにするメリットとはなんなのだ。投函物がほんのりあたたかくなる未来しか想像できなかったし、真面目に想像した自分に苦笑した。

 彼女は唇を尖らせた。


 その次の日も彼女は思案している。


「……いずれここからずるっと脱皮して、私は新人類になるのかも」

「絶妙にありそうな感じで来たな」

「ふふ、お先に進化させてもらうわ」

「じゃあ頑張って後に続こうか」


 彼の反応に彼女は虚を突かれたように目を瞬いて、それからどこか不機嫌そうに目を伏せた。「やだ」と小さな声がする。

 すぐに失言だったと思った。謝罪の言葉を述べると、彼女はふいとそっぽを向いた。少しの沈黙の末、困り果てた顔の彼を見て、彼女は思わずといったように吹き出した。


 彼女は難しい顔をして唸っている。


「……ふたつめの口、とか」

「そろそろネタ尽きてきた?」

「…………」


 図星だったらしい。どこか悔しげに彼女は俯く。

 多分色々と考えたのだろうなと思う。彼も同じ立場だったら考えるだろう。それで精一杯理由を考えて提供して、理由が考え付かなくなって、今に至っているのだろう。

 彼女と目線を合わせ、彼は笑う。


「理由が尽きたなら、そろそろ答えが欲しいです」

「っ、」

「罪悪感から、とかじゃなくて。そっからの付き合いの中でどんどん好きになって、だからかなり勇気出して言ったんだけど」


 覚えている。高所から落下する感覚も、何かが自分の下敷きになった感触も。

 庇ってくれたのだと、助けてくれたのだと、即座に理解した。

 だから今、彼女が悩んでいることも、わかっている。


 どこまでも彼を思いやってくれる優しい彼女は、真っ赤な顔をしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

せなかに走る 樹坂あか @kinomiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ