ゴールテープはまだ先に

時津彼方

第1話

 俺には、絶対勝てない相手がいた。


「すごいね。あずさのおかげで赤組一位だよ!」


「ううん。これはみんながリードしてつないでくれたおかげだから」


 梓、と呼ばれた少女は、首に巻いたタオルでくくった髪を持ち上げて、うなじの汗をぬぐった。

 それを傍目に、俺は。


「隆二、何で女子を抜かせないんだよー」


「相手が木戸きどさんとはいえ、無理な距離じゃなかったはずだし」


「仕方ないだろ、相手がアズなんだから」


 2、と書かれたフラッグが掲げられたポールに背を預けた俺は、数人のクラスメイトに囲まれて弁明を続けていた。

 木戸梓は、昔からの腐れ縁で、中学までずっと同じクラスだった。高校も同じところに進学したものの、二年連続でクラスが違い、そのため体育祭の組もばらばらだった。

 彼女は昔から足が速かった。鬼ごっこでは鬼になることはめったになかったし、なったとしてもすぐに俺が狙われた。俺もそれに負けじと、中学では陸上部に入って、かなり速い部類に属することができた。県大会で入賞もした。

 それでも彼女には、到底及ばなかった。

 しかも、それだけではない。彼女は昔から勉強も芸術もできた。テストの点数も、俺が満点を取った時は決まって満点だし、絵は誰が見ても上手だった。俺の対抗心は空しく、彼女の前では無力だった。

 梓との腐れ縁は、どこから漏れたのか、少なくとも俺と彼女の知り合いはみんな知っている。俺はよく彼女と比べられるようになった。


「隆二。今日は本当に危なかったよ。また速くなったね」


 じゃあまたあとでね、とアズは自分の席に帰っていった。

 本当に、彼女にはかなわない。


***


「お疲れさまでしたー!」


「お疲れ~」


 部長と二人で体育祭の後片付けを終える頃には、つい数時間前には走った後のグラウンドが夕日で赤く染まっていた。


「ごめんごめん、待たせちゃって」


 俺が小走りして向かった先には、髪を下ろしたアズが待っていた。首にはタオルをかけて、ハンディファンとスマホを持っている。


「いいよ。うち門限ないし」


「そんなに遅くはないだろ」


「まあね」


 彼女に続いて、俺は校門を出た。


「どうする? どっか寄る?」


「隆二。帰るまでが体育祭でしょ?」


「えー……」


 買った方が何かおごるという約束を仕掛けた手前、忘れないうちに果たそうとしたのだが、どうやら乗り気ではなさそうだ。

 後ろで他の生徒の笑い声が聞こえる。


「あ、でも逆に考えたら、帰るまで体育祭は終わらないってことか」


 一転、少し乗り気になったようだ。


「たしかに……じゃあ?」


「……いいよ。晩御飯いらないって、お母さんに言っとく」


 俺は小さく、彼女に見えないようにガッツポーズを作った。


「てか、アズは打ち上げに誘われなかったの? 絶対そっち行ってるって思ってたんだけど」


「誘われたよ? でも『隆二が来たら行く』って言ったら、『ごめん、邪魔して悪かった』って」


「あいつら……で、今からでも行く?」


「ううん」


「わかった」


 いつもはまっすぐ進む交差点を、僕たちは左に曲がる。


「……で、今日はどうした?」


「え?」


 首をかしげる彼女が、髪の毛を絡ませた指をポケットに慌てて突っ込んだ。その仕草は、何か話したいことがある時の癖だ。


「って、ばれてたか」


「そりゃね、ずっと見てきたわけだし」


「ずっと、ね」


 彼女は顔を背けて、ポケットから出した手を後ろで組んだ。


「あのさ、ずっと言いたかったことがあって」


 彼女は俺に向きなおって、紅潮した顔を見せる。自然と、俺もほほが熱くなるのを感じる。


「うん。聞かせて」


 彼女を驚かせないように、俺は小声で話す。


「あのね。ずっと……」


「……」


 少しの沈黙の後、彼女は口を開いた。


「ジャージのズボン、反対」


「えっ」


 俺は腰に手を当てる。何も凹凸がない。後ろに手を回すと、するっと手が中に入っていった。


「行こ! 置いてくよ!」


 彼女は走り出した。


「もっと早く言えよ! おーい!」


 俺は彼女を追いかけた。


 本当に、彼女には敵わない。

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