16.膨らむ望み
スージーのことを考えてぼんやり昼食を食べていると、妹が声をかけてきた。
「兄さん、疲れてるの?」
「あ、ああ」
「エーリッヒが差し入れてくれたお菓子があるから、兄さんも食べる?」
「エ、エーリッヒが?」
「そう。女性に人気のお菓子だからって持って来てくれたの。手土産にも使えるか確認してほしいって。結構マメなのよね。お茶の時間に運ばせるわ。仕事部屋でいいの?」
「頼む」
嬉しそうな妹が微笑ましい。2人で幸せになってほしいけれど、私が賛成したところで後見人の叔父が反対したままなら難しい。自分たちだけの合意で結婚できる成年になれば思い切るつもりのエーリッヒだって、本当は祝福されたいだろうから。
お茶の時間にメイドがお茶とお菓子を持って来てくれた。久しぶりにお菓子を食べる。こうした余裕ができたのも妹のお陰だ。
妹がラベンダーの販売を言い出したのは嫁いでからのことだった。冷涼な男爵領に生い茂っている小さな紫色の花が、香水の原料になると手紙で教えてくれた。妹に負い目のあった父と私は必死になり、香水業者との提携を取り付けた。
疫病にラベンダーが効くという噂が流れているせいで需要が大きく、順調に利益を出せている。このまま利益を拡大できれば、叔父も2人の結婚を許してくれるのではないだろうか。
薄いアーモンドが重なる甘い焼き菓子は、香ばしくて美味しかった。女性に人気だと言っていたからスージーも喜ぶかもしれない。
一枚だけ食べて残りの焼き菓子はハンカチに包み、明日のためにクリーム瓶の横に置いた。
翌日、クリーム瓶を開けようとしたスージーに、焼き菓子を差し出した。
「あら、美味しそうなお菓子ね。書生さんはおやつももらえるんだ。食べてもいいの?」
「……いい」
「ありがと。……美味しい」
スージーがとても美味しそうに食べるから、一緒に食べたくなり、自分でも1枚食べた。昨日と同じなのに、美味しいわね、と言われるとじんわりと美味しく感じるから不思議だ。
「コホッ、ん、……お茶ももらうわね」
そう言って温くなったお茶を飲み、息をつく。ソーサーに戻し、口を付けた箇所を指で拭った。
そのあとでいつも通りクリームを塗り出したスージーを見つめていると、私のほうを見て、可笑しそうに笑う。
「なあに? また塗ってほしいの?」
「ほしい」
驚くほどはっきりした自分の声に、少し恥ずかしくなった。子供のように強請っているみたいで。そんな私を見てからかうように笑うスージーに、胸が締めつけられる。
あなたは私のことをどう思っているのだろう。触れたいと、思ってくれていたらいいのに。近づきたいだけだった想いが、望みを叶えるたびに膨らんでゆく。私はどこまで強欲になるのだろうか。
私の手を取ってクリームを塗るスージーの手を見つめる。白い手が私を優しく撫でていく。その手で、私を――――
自分の考えにハッとして、冷や汗が浮かんだ。ダメだ。違う。こんなこと。自分の卑しさを隠したくて目をつぶった。それなのにスージーの指が唇にふれると、震えるほど感じてしまう。腰を引き、漏れそうな声を必死で抑えつけた。
「はい、おしまい」
スージーの柔らかな声に我に帰る。
笑顔でお菓子のお礼を言われ曖昧に頷いた。掃除に戻ったスージーが小声で歌いながら、ハタキを掛けていく。
私はソーサーに戻されたカップに口をつけ、スージーが残したお茶を少しずつゆっくりと飲む。彼女の唇が触れた箇所にそっと口付けて飲むお茶は、いつもより甘く感じた。拭かなくてもよかったのに。
カップにふれた唇を思い出していた私に、スージーが話しかける。
「すごく久しぶりに美味しいお菓子を食べたわ。ありがとう。以前の勤め先でテーブルマナーを習ったときに食べたことあったけど、緊張してて味わえなかったのよね。せっかくのお菓子なのにもったいないことをしたわ」
「あ、ああ」
「ここのご主人って、甘いものお好きなの?」
「……ああ」
「レオも?」
「……ああ」
「美味しいわよね~。私も好き。でも今は弟たちにご飯をしっかり食べさせたいわ。これから体が大きくなるし、しっかり成長しないと仕事見つけるのも大変になっちゃうもの。近所に体が丈夫じゃない子がいてね――」
スージーはお喋りをしながら掃除をしていく。口の動きと体の動きが連動してるみたいに、せわしないお喋りに合わせて腕が動く。
私は耳を澄まし、スージーの声が起こす波間に漂った。
やがて、掃除を終えたスージーが部屋を出て行く。またね、と言って出て行ったドアを見ても、戻ってくることはない。声が消えてしまうと、部屋の中が来る前よりもっと静かに、もっと空っぽになった気がする。シンと静まり返った部屋の中で、すっかり冷めてしまったお茶をもう一口飲んだ。
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