第16話バカっ……

「う、そ……」


 瞳の口から漏れた声。

 真っ白になった頭の中。


 ――ポタッ……ポタッ……ポタッ……。


 和灘悟の胸元から流れ出て来る液体。

 それが、体に刺さった棘を伝い、途中で雫となって地面に落ちては染みていく。


 悟の手が胸に刺さった棘を掴み、抜き取った。

 しかし、直後に彼は姿勢を崩し地面に片足を付いた。


「そ、そんなッ」


 魔術で火の玉を作り、それを照明代わりに、瞳はすぐさま悟の元へ駆け寄った。

 悟の胸の辺りを濡らしていたのは、赤い液体――血だ。心臓を貫かれたのだッ。


 ――どう、しよう……ッ。


 浅く、そして早まっていく呼吸。高まる心拍数。


 傷を塞がなければならない。けれど、一体どうやって?

 治癒魔術は簡単な物しか使えない。治せない。

 第一位階の悟ですら入れる【迷宮】だと、そう高を括っていた。だから、装備もまともな物がない。駄目だ。このままでは死ぬ、悟は。


 自分の所為だ。そうとしか言えない。瞳が油断してさえいなければ、きっと、きっとこんな事には……。


 ――どうしよう、どうしよう、どうしようッ。


 胸の内から沸き上がって来る、強烈な焦燥感。

 思考が、もう、それ以上前に進まない。


 己の無力さに、瞳は膝から崩れ落ちた。

 目の端に溜まった涙。


「……ば、いッ」


 そんな時、不意に悟の口から苦し気な声が漏れた。

 何と言ったのか、どうしたのか。分からず、瞳が彼の声に意識を向けた――その瞬間だった。


「ヤ、バい……ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバいッ!」


 悟が酷く焦った様子で、押し殺したような声を出した。声は徐々に大きくなっていき、終いには瞳にもはっきりと聞こえる程の声となった。


「え、えぇ……?」


 一体どうしたというのだろう。今の叫びは、悟の心臓を刺した棘が関係しているのか。それとも別の原因があるのか。

 訳が分からずに瞳は混乱した。


 そんな中、悟は鉄の棘に貫かれた胸ポケットに手をやる。そして、ポケットに手を突っ込み何かを取り出した。


「え、それって」


 悟の手に握られていたのは、紺色の箱だった。

 箱には大きな穴が開いていて、丁度そこから、


 悟の胸に視線を戻すと、見えたのは鉄の棘に貫かれ破けた服。そして、その下に着ている下着の白色だけだった。


 ――傷が、ない……?


 彼女は再び箱に意識を向ける。直後、悟が箱を開けた。


「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁあッ、やっぱ割れてやがる!」


 箱を開けた途端、悟が叫ぶ。

 中身は、ポーションの入った細いガラスの容器だった。試験管のような形のそれは、少し上の部分が割れていた。


「お、俺の七千円もといポーションが。どんどん流れてく血の如し……ッ」


 そう、悟は無傷だった。胸ポケットに入れていたポーションと、その箱が棘から彼を護ったのだ。


「いや、まぁ無事だっただけマシか。ドンマイ俺、ドンマイ俺の財布」


 けれど、けれど――




「……こが、どこがッ。どこが無事なのよ!」


 気が付けば、瞳は彼に怒鳴っていた。


「え、どこがって。えっと、ほら俺、無傷だろ?」


 あぁ、そうなのだろう。和灘悟は、誰がどう見ても重傷者ではない。掠り傷すらない。

 それでも、瞳はおもむろに、大きく首を振りながら言った。


「違う…違う、違うッ……そうじゃない下手したら、アンタ今頃死んでた。助ける必要なんてどこにもなかった」


「あ、あかの、め?どうし――」


「うっさい、黙って聞け!さっきのは私のミスだった。なのにッ、何であんな馬鹿な真似したのアンタ!?」


 悟の胸倉を掴み、瞳は叫ぶように言った。


 助けなど、微塵も期待していなかった。考えてもいなかった。

 激痛に苦しむのだとしても、


「それに、それに私は、『助けて』なんて一言も言わなかった!」


 和灘悟が嫌いだ。理由なんて自分でもよく分からないけれど、嫌いだ。大嫌いだ。

 隣にいるだけで胸がムカムカするのが、その証拠だと思う。


 しかも、眼前の少年は、冷や汗をかきながら作り笑顔で自分にこう言ったのだ。


「ち、ち違うんです、あんなやり方しか思いつかなかっただけです!ので、うん、仕方ないよなさっきのは。あ、いやッ。け、けどアレだ、今度は――って、んな機会ある気しねぇけど――もっとマシな庇い方するから……な?ほ、ほら、あんま怒んなって。それに、一応俺等パートナーな訳で、助けないってのはちょっと問題があるような気が……ねぇ?てか、普通助けるじゃんよ」


 瞳は、悟を見つめたまま固まった。

 恐らく、瞳を宥めようとしているつもりなのだろう。

 そして瞳が落ち着いたのだと勘違いし、彼は逃げるように「ん、んじゃあ、先進もうぜ……!」と歩き出した。


 彼には直ぐについて行かず、瞳は俯いた。

 今赤くなっているであろうこの顔を、誰にも見られないように。


「……」


 和灘悟が、やっぱり嫌いだ。その理由が分かって、もっと嫌いになった。

 あんな恥ずかしい事を、恥ずかし気もなく言える。本当は少し違うけれど、それが彼を嫌う一番の要因なのだ。


 だから、




「バカっ……」



 赤眼瞳は彼に言った。

 本人には聞こえないに、そっと小さな声で。

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