第12話追試前のアクシデント
果てしなく居心地が悪い。
そんな思考の元、第六魔法学院の東にそびえ立つ塔の最上階で、和灘悟は小さく溜め息を付いた。
魔術演習の授業中、東条陽流真を一撃の内に沈めた直後、どういう風の吹き回しか赤眼瞳が試験を手伝ってくれる事になった。
それも、何故か怒り気味に。
というより、完全にキレていた気がする。
ともあれ、お陰で首の皮が一枚繋がったのだ。だから本来、あれから数日が経過した今でも赤眼瞳に感謝し、希望が見えた事に少しばかりの安堵と大なり小なりの緊張を覚えているべきだろう。
何せ、今日こそがその試験の当日なのだから。
しかし、悟の内心を覗けば、ある感情は一つだけ。
……そう、居心地が悪いのだ。ホントマジ超絶、限度など既に余裕で超過している程に。
故に、台詞の頭に付ける修飾語として最適なのは“果てしなく”だと言える。
目線だけを右側へ向ける。
そこには、苛立った様子の赤眼瞳が両腕を組んで立っていた。初めの内は大人しかった大理石の床に着く両足も、何時からか右足の爪先を小刻みに地面を叩き付けるようになった。
今ここに告白しよう、彼女こそがこの険悪な空気を作り出した元凶だった。恐らく、この紅蓮の少女自身は無意識でそれをやっているのだろうが。
「何よ?」
「い、いや別に……」
視線に気づいた赤眼瞳が、こちらを睨み付けながらそう尋ねて来た事に悟は一瞬肝を冷やした。
別に彼女が普通の女の子なら、もっと言えば普通の人間だったなら怯える必要などない。
だが、相手は【魔術師】、しかも一流の部類に分けられる第六位階の一歩手前である第五位階だ。
下手に刺激してしまえば、悟など文字通り一瞬にして塵と化すだろう。
瞳に気付かれないよう、悟は静かに溜め息を付く。
正直に言えば、何故彼女がこんなにも不機嫌なのか全く見当が付かない。
だからこそ対処法がなく非常に気まずい訳だが、それに拍車を掛けている原因なら容易に分かる。
試験は学院の指定した【迷宮】で行われる。
そこへは、悟達が今いるこの塔の最上階に設置された特殊転移魔法陣を使用し向かう手筈になっていた。
が、しかし。
「パンパカパーン。は~い、故障けって~いっ!」
視界の先、転移魔法陣の前に立つ鞭野琴梨がこちらを振り向いた直後、両手を胸の前でポンっと合わせると上機嫌で悟達にそう告げた。
付け加えるならば、魔法陣が上手く起動せず不具合の原因を調べる為、かれこれ半時間以上待たされて出て来た答えがそれだったという事。
何度でも言ってやろう、この教師はもう駄目なのかもしれない……。
「ったく、何だってこんな大事な時に?」
「それは悟君、この魔法陣ってばメンテナンスしたの百年以上前だもの」
「あらやだ琴梨先生ったらぁ、以上も何もこの学院の創立って今ジャスト百年目じゃないっすかぁ……」
乾いた笑みを浮かべて言う悟。
つまり、目の前の魔法陣の使用自体今回が初めてだという可能性すらあるわけだ。笑みくらい干からびるだろう。
「はぁ……」
誰にも使われる事のないまま、悠久の時を孤独に過ごしたであろう例の幾何学模様に思いを
その周囲に立つ六つの硝子のような物で出来た白い光を発する円柱。内二つは光を失っており、程度は分からないが、きっとそれが魔法陣が起動していない事に関係しているのだろう。
頼むから動いてくれ、と悟は両の拳を強く握って願う。
とはいえ、少年は悟っていた。こういう時にする祈りだとかは、例え神様だろうと大抵無視する物で…だからこそ悟は――
「……ッ」
そこまで考えて、そこまでの思考を
悟は内心で舌打ちした。
まただ、また何を考えていたのかを忘却して、忘却した事だけを忘却しないでいる自分だけが残った。直前に起こった一瞬の頭痛の余韻は既にない。
それがまた腹立たしい。頭に走った激痛が大切な記憶を嘲笑うように奪い去った、そんな気がしてならなかったからだ。
――いや、苛付くだけ無駄か。
深い溜息を吐き、悟は心に宿る腹立たしさを搔き消した。
それに、そんな無駄の為に無為な時間を過ごしていれば、見た目の部分で既に十分紅い、隣のおっかない【魔術師】が内面の部分まで真っ赤になってしまうだけ。
思い直し、琴梨の方へ視線を移す。
「で……先生、どうすんすかこの状況」
「ん?そうねぇ。真面目な話、魔法陣が使えないんじゃ先生ではどうしようもないの」
胸を抱くようにして両腕を組んだ琴梨は、困った顔を浮かべつつそう言った。
「ほら、ここへ来る時にも言ったと思うんだけど、先生は今回の試験で使用する【迷宮】に行った事がないでしょ?だから、今回先生じゃ悟君達を転移魔術で遅れないの。あの魔術って、行った事のある場所じゃないと転移させられないもの」
「じゃあ直接現地に向かうしか……」
「ううん悟君、それはあまりお勧めしないの。あそこは緊急時、生徒達の避難所になる所だから、【魔術師】すら辿り着けないよう強力な人除けの結界が張られてる。それにね、借りに迷わず辿り着けても、物理的に到着するのはどうやったって今日の夜になっちゃうの」
「ま、マジかよ。ってか、そんな結界あんならどっちにしろ転移魔術使えねぇじゃん」
肩を落とし、悟は嘆くように呟いた。
この学院に張られた以上の結界の存在は初耳だった。これでは試験開始は絶望的だ。
「なッ!じゃ、じゃあ試験はどうするんですか琴梨先生!?」
「う~ん、この様子だと中止かしら?追試の注意事項説明書にそう書いてあったし」
「そんなッ…、困ります!」
項垂れる悟に続き、赤眼瞳がそのルビーのような紅蓮の目をカァッと見開いて焦ったように抗議するも、突き付けられたのは決定的で残酷な答えのみ。
落胆の表情を顔に浮かべる瞳。同時に、部屋全体に重苦しい空気が圧し掛かる。
「なるほど、予想通り随分と困っておるようだな」
その暗鬱とした雰囲気を払拭したのは、聞き覚えのある鈴を転がすような声だった。
威風堂々という言葉が似合うその声のした後方へ、悟達が意識を向かわせると、そこには――
「「が、学院長…ッ!?」」
メルキ=レグルス、可憐な少女の体を成したこの学院の長の姿がそこにあった。
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