第7話授業後の騒動(1)

「はーい、じゃあ今日の授業はここまで。皆、次回の小テスト勉強は、縄で机と椅子に体を縛り付けて発狂一歩手前まで頑張ること!赤点なんて取ったらお仕置きコース決定なのっ♪」


 鞭野琴梨の声援か脅しかよく分からない台詞と共に講義が終わった教室内。

 間の抜けた空気が一気に充満したその場所にて。


「待て待て、悟待てッ…この野郎!」


「放せとおる!男には、やらなきゃなんねぇ時があんだよォッ」


 授業後、瞬時に席を立った和灘悟が鳴神徹に羽交い絞めにされていた。

 追試を受ける悟に課せられた条件、【魔術師】位階の平均が三以上。

 赤眼瞳。彼女を味方に付けられれば、それで条件を達成する事が出来る。

 故に、何としてでも彼女と接触し、悟の落第回避に助力を願いたい所なのだが。


「分かる、分かるぞぉ…。確かに赤眼瞳は美人だ、次の授業でペアを組みたい気持ちは分かるッ。けど、ヘンタイで、童貞で、正直イケメンとかあんまり言えねぇ顔で、あとヘンタイでヘンタイな第一位階のお前じゃ相手になんてしてもらえねぇぞ!」


「どんだけ人をヘンタイ呼ばわりすんだよ、お前俺の事何だと思ってんだッ!?あと毎回毎回、目の付け所は悪くねぇのに肝心な所が違うんだよ、お前の推測はッ!」


 しかも、木の枝のようなその細腕のどこにそんな力があるのか、徹の捕縛する力が思った以上に強力だ。煩わしい事この上ない。


「えぇいッ。てか、急いでんだ、次実戦演習だろ!?あいつに着替えに行かれたら困んだ、よ――【加速】!」


 喚きながらその喉奥より発せられた言葉は、魔力を伴う言霊だ。それは次の瞬間、悟の全身を魔力の白く淡い光で包み込み、言葉通りの現象を引き起こす。


「あ、しまッ」


 魔術により急激な動きの加速を見せた悟は、徹の拘束を一気に振り解いた。

 勢いはそのまま、悟は駆ける。

 狙いは当然、あの赤眼瞳だ。


 勝負は一度きり、肝心なのは話の勢い。

 そう、不利な状況での交渉において重要なのは、相手に考える隙を与えない事である。


 咄嗟に思い付いたそんな考えを脳裏に焼き付け、悟は今さっき教室から出たばかりの赤眼瞳の前に飛び出した。


 瞳に映ったのは、紅蓮色の艶やかな長髪が揺れる光景。それに加えて、突然現れた人影に対し、一歩後退った彼女の少し驚いた顔だった。


 そして、彼女が悟を認識したコンマ数秒後、悟は瞬時にその頭を下げると――


「俺と(追試受けるの)付き合ってくださぁぁぁあい!!」


 ……見事なまでの言葉足らずな第一声を、和灘悟は発したのだった。

 更に、少年の戦術は強烈な効果を発揮し、赤眼瞳の冷静な思考力を刈り取っていた。


 当然ながら、彼女は盛大な誤解をしてしまった訳で、


「は、はぁっ!ちょ、なな、何言ってるの!?」


 頬を赤くしながら、動揺を隠せぬまま瞳は少年に言葉を返し、事態は混沌と化した。

 最悪なのが、当の本人達がそれにまるで気付いていないという事だ。


「頼む!後生だからッ」


 頭をバッと直ぐに上げ、悟は彼女の両肩を掴んで何時もの如く懇願する。

 それにより、赤眼瞳の顔全体が林檎のように赤くなっていく。


「あ、えと、そのッ…い、いきなり過ぎて……」


 告白とか。


「あぁ、俺もいきなりだった。でも、そういうモンだろ?」


 なんかこう、ズビビビッと閃く事とか。


「け、けど」


 貴方の事、まだ全然知らないし。


「俺はお前じゃないと駄目なんだ!」


 だって、学生で第五位階なんてバケモンそうそういねぇし。


「そ、そう、なの?へ、へぇ……」


 会話は進めど誤解は解けず、寧ろ深まるばかり。

 二人のやり取りに周りの生徒達はざわめき出し、それが更に伝播する。

 無論、会話の迷路に入ったままの悟達はそれに気付かない。


 ……事態は、ますます混沌を呈し始めていた。


「ん?ねぇ徹、悟の奴ゆーとーせーと何やってんの?」


「…あぁ、小萌蛇、悟は、悟はなぁ…男に成りにいったんだッ」


「へぇ…。よしッ玉砕、カレーパン」


「んじゃ、俺はめでたく承諾、ラーメン」


「あ、あのぅ二人とも、そういうので明日の昼食賭けるの、良くないと思うよ?」


 ささやかなツッコミを入れた如月小雪だが、彼女だけが悟達の様子に違和感を感じていたのは誰も知らない。


 そして。


「なぁ、頼む!付き合ってくれッ」


 彼女のその予感が的中したことも。




「……は?」


「いやだから、試験でお前の力が必要なんだって――ん?どうかしたか」


 誤解が解け、やっと噛み合った会話は、しかしそこで一度途切れた。

 何故赤眼瞳の様子が急変したのか分からぬ間まま、沈黙を悟は静観する。

 数秒が経った頃か、不意に彼女が口を開き尋ねて来た。


「ねぇ、訊いても良いかしら。その試験の内容って?」


「え、あ、あぁ、……。あっ、もしかして――」



「ごめんなさい。生憎と、私【迷宮】は一人で潜る事にしているの。他を当たって」


 そして、悟の言葉を遮り返って来たのは、無機質な断りの返事だった。

 だが悟も、はいそうですか、と言って大人しく引き下がれる状況ではなかった。

 大丈夫、交渉の余地はある。そう考えながら少し深めに息を吸い込むと、悟は一歩踏み出し、


「はは、まぁそんな硬い事言わずに、人を助けると思って――」


「聞こえなかったのかしら?私断ったはずなんだけど」


 言いながら、赤眼瞳は体から紅色の魔力を無意識に漏らす。

 炎のように揺らめくその紅蓮の魔力は、触れれば火傷しそうな程の熱を纏っていた。

 熱い、と思いつつ、悟は彼女の逆鱗に触れてしまったのだと悟った。


 慌てて落ち着くよう宥めようとする。しかし、全く話を聞いていない。

 悟の脳内危機感知センサーが、盛大な警告音を鳴らし始めたのは自然な事。


「ハ、ハロハロ神様邪神様?教会に百円くらい寄付したら、加護とか貰えますか。つーか、ください。今この瞬間にくださいッ……」


 逆に呪いを掛けられそうな額で加護など買える訳もなく、赤眼瞳の様子は悪化するばかり。

 どこにそんな要素があったのかさっぱり分からないが、最悪な状況に陥ったのは確かだろう。

 兎も角試験への協力を、いや、【迷宮】攻略への協力を頼んだ結果がこれだ。


 ――出来れば、やりたくなかったけどッ。


 どうやら他に手はない、と考え悟は諦める事にした。


「わ、分かった!無理矢理誘って俺が悪かった、もう誘わねぇから。落ち着いてくれ、な?」


「…………え、えぇ、そうね。…ごめんなさい、じゃあ私はこれで」


 焦りながらも、何とか赤眼瞳の怒りを収める事に成功。彼女は踵を返した。

 瞼を閉じ、ホッと安堵の息を漏らす悟だったが、直後にそれは落胆の表情へと変わる。

 悟の試験において、赤眼瞳の鍵となる存在だ。それを失ったのだから、当たり前と言えば当たり前な反応だった。


 しかし、それは仕方なかった。

 魔術なんて使える手前、【魔術師】の不興なんて買った日には酷い目に遭うのがオチである。

 最弱たる和灘悟であれば尚更の話。悲しいのは、それが想像ではなく、経験から来るものであるところか……。

 いずれにせよ、そんな事実を忘れていたのだから、悟は自分が思っていた以上に焦っていたのだろう。そんな過去の自分を思い切りぶん殴ってやりたい。


「おっと、そこの最弱者ワーストとの話は終わったみたいだね。なら、この僕、東条とうじょう陽流真ひるまとの話に付き合って貰おうじゃないか第五位階様」


 と、そんな折、聞き覚えのある声が悟の耳に届いた。

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