第6話学院長の裏話

 ――時は遡り、数十分前。


 学院長室のソファーに腰掛けるメルキ=レグルスは足を組み、瞼を閉じながら優雅に紅茶をすすっていた。


「ふふっ。それにしても中々エグい事をするねぇ、メルキ殿も」


 席を立ち、自分の後ろに回ってそう言ったアレスト=クロフォードにメルキは意識を向ける。

 そして、おもむろに右の瞼を開き彼女はアレストに尋ねた。


「ふむ……アレストよ、その『エグい事』というのはさっきの小僧の件か?」


「おやおや、自覚があるみたいで安心した。てっきり僕は無自覚でやったと思っていたよ」


「噓を付けアレスト、貴様はわしという人間を知っておろうに。それに、仮にもしそうだとすれば、儂は称号もろとも位階剥奪なのだぞ」


「ははは、それは確かに。何せ貴女は――賢者マギなのだから。愚鈍ぐどんな真似は貴女の称号が許さないだろうね」


 もっとも、彼女はそんなモノに振り回される性格ではない事を、アレスト=クロフォードは知っていた。


 寧ろ、逆だろうとすら思える。


 よわい十一にして、、【魔術師】の中の【魔術師】と謳われたアレストでさえ辿り着けなかった境地に至った本物の天才。彼女はその権力を駆使し、この学院の最高責任者となったのだから。

 それも、【魔術師協会】次期会長の座に就く事がほぼ確定していたにも関わらずだ。


「まぁ、本来ならば選別はここに来れた時点で済んでいたのだ――儂があの小僧に興味さえ持たなければな」


「興味…?」


 メルキの発言に、アレストは眉を八の字に曲げ疑問を口にする。

 確かに自分が発したのは要領を得ない台詞だ。そう思い、彼女は説明を始めるが――


「くふふっ……あぁ興味深いとも。お主や儂と同じく一人しか選ばれない位階、それも最弱の第一位階から、ほんの僅かとはいえ?当然だ」


 湧き上がる愉悦の感情を懸命に堪えつつ、そう言うと、メルキは遂に耐え切れず口元を三日月の如く歪めた。

 それを知ってか知らずか、彼女の後ろにいたアレストは、どうやらその話が冗談ではないらしい事に気が付き目を見開く。しかし、呆れが許容限界を超え、彼の口からは驚愕の大声ではなく溜息が漏れた。


「神の悪戯か、不興を買ったか、あるいはそれとも……。いずれにしてもあの小僧が神の呪い、すなわち【神呪しんじゅ】を受けているのは間違いないのだぞ」


「なるほど。【魔術師】としては稀有な経歴や位階だとは聞いていたけど、百聞は一見に如かずという事だね。想像以上だ」


「もっとも、神気を感じ、見ることが出来るのは儂か教会の者達ぐらいだがな」


 ティーカップを左手に持つ受け皿に置き、メルキは後ろに立つアレストの方を一瞥しながらそう言った。


「それと、だ。あの小僧はその『エグい事』とやらを聞いても、目は死んでいなかったぞ」


「つまり、メルキ殿が密かに提示した条件を看破したと?」


「うむ」


 とはいえ、和灘悟が追試を受ける為には、学院内でも位階の高い生徒の助力が必要である。


 この業界では、どんなに才能がなくとも第二位階程度に収まるのが常。しかし、極稀に例外がいる。

 それが第一位階。【魔術師】協会が定める位階の中で最弱の位階である。


「彼は三百年ぶりに誕生した最弱者ワースト、【魔術師】の汚点と馬鹿にする者も多いんじゃないかい?」


「だろうな。ただでさえ自信過剰で弱者への差別意識の高いこの学院の第四位階以上の生徒だ、序列最下位は優越感に満たすにはもってこいの存在なのだぞ。……反面、協力などしてはくれぬだろうな」


「だが、期待性は十分なのだぞ」、とメルキは付け加えた。

 彼女が思い起こす記憶は、琴梨から受けたとある報告だ。


「アレストよ、何故あの小僧が?」


「ッ!」


 その言葉を聞いた瞬間、アレストは思わずメルキの方を振り向いた

 盲点だった。二年が始まって直ぐ落第など普通はあり得ない。

 と、そこで最近起きたある事件が彼の脳裏を過った。


「そういえば、三ヶ月程前にこの学院の【疑似迷宮】内で魔力暴走が起きたよね?あの時確か、教師の警告も聞かずにそこへ飛び込んでいった生徒がいたとか……。まさか、それかい?」


「ふん、無謀だろう?魔力暴走した【疑似迷宮】、そこへ足を踏み入れるなど台風の中へ裸一貫で突っ込んでいくようなものなのだぞ」


 その割りに、メルキは楽しそうに話している。自分が眼前に座る少女の思い通りの反応をしている事に気付かず、アレストは苦笑いを浮かべる。


「でも、どうしてそんな馬鹿な真似を?」


 と、そこで頭に浮かんだ疑問をアレストはメルキにぶつけた。


 そう、和灘悟の行動は有体に言って不可解だった。

 大怪我を……いや、下手をすれば死ぬかもしれない行為だったはずだ。

 そして、この学院の二年生ともなれば、一般人上がりの悟もその可能性は知っていただろう。


 特に理由らしい理由もなく魔力暴走中の【疑似迷宮】に飛び込むなど、はっきり言って正気ではない。


「まぁ聞け、アレスト。当時、【疑似迷宮】では試験を行っていたのだ。魔力暴走はその途中で起きたのだぞ」


「ほうほう、中に生徒がいたのかい?噂では聞かなかったねぇ」


「極秘だからな、当然なのだぞ」


「うーん……という事は、被害にあった生徒は有力な【魔術師】の家系かな。彼等、そういうの隠したがるし」


 所謂いわゆる、舐められない為の見栄というやつだ。

 強力な【魔術師】のいない日本では、そういった家系は少ない。加えて、和灘悟と猫真家の接点の謎。


 そこからアレストが導き出した答えは――


「もしかしてだけど、猫真緋嶺かい?」


「気付いたか、当たりなのだぞ」


 なるほど、とアレストは思った。

 謎が全て解けた。


「あの小僧、教師達が慌てている所に偶然居合わせていたらしくてな。事情を知るや否や救助に向かったらしい。……まぁ、結果的に二人とも無事だったとはいえ、教師の制止も聞かずに勝手な行動をしたとして成績に大幅な減点を食らったがな」


 聞けば、和灘悟は元々相当成績が悪かったらしく、二年に上がれたのもかなり奇跡に近かったらしい。


「魔力暴走の危険性の無視といい、減点といい……その、かなり無茶をする子だね」


「まぁ確かに、あの琴梨が学院に入学させた上、毎日あやつのしごきに耐えとるからな。根性だけは一級品と見ていいのだぞ」


「とはいえ、その所為で琴梨ちゃんに気に入られているんだから、不憫な物だよ彼」


 更に酷いのは、第十位階のロリ【魔術師】にも既に目を付けられており、早速被害を受けているという事か。

 それならば、上位悪魔数体を相手にした方が幾分かマシだろう。


 ――本当に、色々な意味でイレギュラーだね、彼は……。


 第一位階という、存在自体が伝説レベルな位階の少年に対し、アレストはそう思いを馳せる。


「けど、そういう意味では、の彼等と違って友好的ではあるようだったけどね」





「まるで俺が友好的じゃないと言っているようだな、アレスト=クロフォード」


「「?」」


 不意に、背後より唐突に耳に届いた声。

 振り向いたアレストが口を開く。


「おや、これは失言…。けれど、君以外のは実際全員そうだろ?シロ君」


「アレスト=クロフォード。俺はシロではなく城谷しろやだ。名前まで付けてより正確に言うのなら城谷白しろやはくである訳で、お前のその名字から来たのか名前から来たのか分からないあだ名は――」


「あぁ、ごめんごめん。呼びやすいからついね…」


「ん?そうか、なるほど…。だが、俺を呼ぶ時はなるべくフルネームで呼べ」


「善処するよ」


 城谷白。

 白い短髪は寝癖で一部跳ね、瞼の奥に収まる瞳は青。

 学院の制服に身を包んだ、何処か意思が希薄そうに感じられる少年だ。


 そして、現在世界に六人しか存在しないである。


 不意に、メルキが口を開いた。


「そろそろ来る頃だと思っていたが…窓から現れるとは、随分と面白い登場の仕方をするのだぞ」


 そう言って、メルキは振り向き城谷白を見る。


 神々に創られし義眼、【魔眼】。

 その眼に魅入られた【魔術師】は一つの例外もなく全員が


「まぁ座れ」とメルキは城谷を目の前のソファーへ着席するよう促す。

 城谷が席に着く。それに続いて、「では僕も」とアレストがその隣に座った所でメルキは城谷に水を向けた。


「それで、どうした?」


「来る途中、偶然見つけた中位悪魔を祓った」


「ほう、中級悪魔を?流石【適合者】だな」


「あぁ。…だが、その時に学生証を失くした」


 なるほど、と内心で呟きつつメルキは理解した。

 向き直り、右の掌を耳に当て通信魔術を行使する。

 通話相手と数回言葉を交わし、通信を切る。

 そして、もう一度城谷の方を向く。


「ふぅ……警備の者には説明しておいてやったのだぞ」


「ん?あぁ、学生証なしに学院に入ったんだね。それで警備に見つかって、僕に泣き付いて来たと…。いやぁ、第一魔眼の君に頼られるなんて光栄だねぇ」


「いや、頼りに来たのは学院長だ」


「…そこは空気を読んで僕を立てて欲しいものだよ」


「?」


 アレストの言葉に城谷はきょとんとした表情になった。


「まぁ、いいさ。それで、もしかして学院へ入学でもするのかい、シロ――おっと…城谷白君?」


「あぁ」


「さらっと言うね君は…。【魔術師協会】の爺さんの許可は?」


「会長の許可は貰った」


 言いながら、城谷は右手に白い魔力を込め、瞬時に消した。

 恐らく…物理的に首を縦に振らせたのだろう、とアレストは察した。


「ふん、素質のある者を野放しにしておく程儂は怠け者ではないのでな」


「なるほど、メルキ殿の差し金か……」


 強力な力を持つ魔眼の【適合者】は制御が難しい。

 その中で唯一手綱を握れる城谷白は、協会にとって貴重な存在だ。

 それを奪われたのだから、今回の件、相当会長の怒りを買っているだろう。


 もっとも、本人は何処吹く風といった様子だが。


「まったく、何が貴女をそこまで搔き立てるんだか……」


「ん、知らんのか?人とは好奇心には勝てんのだぞ」


「なるほど、道理だね。けど、それで言うなら琴梨ちゃんはどうなのさ。?」


 メルキに向かって尋ねるアレストに、彼女は瞼を閉じつつ背中をソファーへ預けると、両腕を胸の前で組み何でもないようにそれに答える。


「別に構わんだろう。位階と称号を偽ろうとも、琴梨自身の実力に変化はないのだからな。それに、遊ばせておるわけでもないのだぞ。【魔術師】の育成は大切な事じゃし、人材の発掘も任せておる」


「……あのだねメルキ殿、上級悪魔のいる大型【迷宮】を攻略出来るのは第八位階以上だけだ。この世界に第八位階が何人いると思っているのさ?」


「何人と言う程少なくはないのだぞ。それにだ、大型【迷宮】なぞ十年単位でしか発生せん。まぁ、琴梨のように実力を隠す者が一定数いるのは認めるがな」


 そして、神の去ったこの時代。あるいは、英雄が死に絶え、【魔術師】が日々魑魅魍魎ちみもうりょうを狩るこの時代。【魔術師】は慢性的な人手不足であり、眼前の青年の言葉にも一理ある。賢者マギたる少女、メルキ=レグルスは密かにそう思った。


 ――と、彼女は両の瞼を開き、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ふむ、では今の内に学院の生徒の様子を見ておくといい。逸材が見つかるかもしれんのだぞ。見学の許可は儂が出しておこう」


 その言葉にアレストはパァッと輝くような笑顔になり、


「言っておくが、不純異性交遊が発覚した場合、琴梨のお仕置きフルコースが貴様を待っておるのだぞ。


「……おッ、お手柔らかに…」


 次の瞬間耳に入った情報によって、彼は顔を一気に蒼褪めさせた。

 その様子を他所に、メルキはこう呟いた。


「さて、和灘悟よ。お手並み拝見といこうではないか」

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