僕らはともには歩けない

さとね

第一話

 果てのないトンネルを、ただ走り続ける。

 もう何時間もずっと、わけも分からず走り続けている。


「休憩、しても、いいかな……!」

「ん~、もうちょっとしたら安全な場所があるから、そこまでファイト!」


 僕の横を息も切らさず並走するのは、同い年くらいの少女だった。

 並走、というのもどうかと思うが、隣を同じペースで進んでいるのは違いない。

 足が重い。別に運動が得意ではないのに、どうしてこんなにも走ってるんだろう。


「……疲れた」

「お疲れさま! はい、お水!」


 トンネルの横に空いた大きな窪みに座り込んだ僕は、そのまま倒れるように寝転んだ。

 少女はどこからともなくペットボトルを取り出した。

 怪しむ余裕もないので、一気に胃に流し込む。

 ふう、と一息ついて、僕は少女を見上げる。

 制服姿で、黒髪のショートボブで、少し細身で。

 それでいて、足がない。


「君は、幽霊ってやつ?」

「ちょっと違うかな。たぶんまだ死んでないし」


 ふわふわと僕の上を浮かびながら、少女は答えた。

 僕は自分の足で走ったというのに、この子は飛んでいるせいで息一つも乱れていない。


「それで、ここはどこ?」

「私も知らない。どこかのトンネル?」

「トンネルだったら、あんなものないでしょ」


 僕が言い切った瞬間、目の前を無機質な何かが通り過ぎた。

 電車ではない。というより、この世のものではない。

 生物と機械をごちゃまぜにして長く練り込みました、という以外の説明ができない。


「あれ、なに?」

「わかんない。でも、轢かれちゃうとあれに魂ごと持っていかれちゃう」


 そうやって消滅した人を、もう何人も見たことがあるらしい。

 どうしてこんな場所にいるのかは分からないが、とにかく生き残るためには出口を見つける他にない。


「走っていけば、出れるのか?」

「そのはずだよ。一度、見たことあるから」

「君はここから逃げなかったの?」

「うん。なんだか、怖くなっちゃって」

「幽霊だから?」

「むぅ。だから幽霊じゃないってば」


 ぷくっと少女は頬を膨らませた。


「多分、ここって死と生の境目なんだよ。あっちが生で、あっちが死」


 僕が走ってきた方は死らしい。そのままいたら死んでたのか。

 走る先が本当に生だという確信はないが、今は信じるしかないか。


「死んでないから、幽霊じゃないってこと?」

「そそ! 頭良いね!」


 少女はくるりと宙を舞った。

 〇を作ってくれたらしい。


「でも、足がないのは?」

「う~ん。なんでだろ」


 僕が幽霊だと思ったのは、少女の足が太ももの中心からなかったからだ。

 理由は少女も分からないらしい。


「もしかして、私、幽霊なのでは?」

「うわ、怖い」

「他はピチピチ女子高生なんだから怖がらないでよ!」

「でも、浮いてるし足がないしなぁ」

「むかむかっ!」


 少女がぽかぽかと僕の肩を叩いてくる。

 逃げ出すように、僕は再びトンネルを走り出した。


「ちょ、僕が走っている間も軽く殴るの、やめてもらっていい?」

「なんか腹立つんだもん」

「ごめんて」


 数分ほど謝っているうちに、飽きたのか少女は暇そうに僕の周りを飛び始めた。

 後方を見ながら、先ほどの謎の電車がやってこないかを見てくれている。


「あ、もうちょっとペース上げた方がいいかも」

「どうして」

「足場の崩壊が始まってる」


 どうやらこのトンネルは崩壊と構築を繰り返しているらしい。

 あの謎の電車がそれを担っているのだとか。


「落ちたらどうなる?」

「うーん。幽霊にもなれないかも」

「なにそれ怖い」


 僕は走るペースを少しだけ上げた。

 その横で、少女は手をぶんぶんと振っていた。


「頑張れっ、頑張れっ」

「ちょっと気が散るから静かにしてて」

「な、なにをっ!? 女子高生の応援がマイナスに働くなんて……!」

「いや、応援してくれる分にはいいんだけどさ」


 かつて足を怪我したせいで、僕は全力で走れなくなった。

 なぜかこのトンネルでは足に異常はないが、だからこそ、もう一度怪我をしてしまったらという不安が常に脳裏によぎる。

 事情をきいた少女は、かくんと首を傾げた。


「走るの、怖いの?」

「まあ、そうだな」


 正確には、怪我が怖い。

 抱いてもらった期待も、抱いていた夢も、全て消えていくあの感覚。

 頑張る権利すら剥奪されたあの日の絶望が、まだ瞼に染みついている。


「へー、そうなんだ」


 話を聞いても、少女は興味なさげだった。


「別にいいじゃん。私なんて足、ないよ?」

「そこを比較されても慰めにならん」


 僕が適当な返事をしても、少女はにへら、と周りで浮かんでいた。


「それなのに、走るんだね」

「死にたくないからな」

「現実に戻ったとしても、走れないかもしれないのに?」

「手術をしたんだ」


 手術の経過が良ければ、リハビリをしてまた走れるようになる。

 そんな期待がちらついてるせいで、諦められなかった。


「君はいいの? ずっとここにいるみたいだけど」

「私は……」


 少女は言い淀んだ。

 理由はどうあれ、生と死を繋ぐトンネルの中にいるのだ。

 気軽に話せないことだってあるだろう。


「もしかしたら死んでるかもしれないから、私」

「でも、ここは生と死の間なんだろ?」

「うん。魂はここにあるけどさ。長い間いるから、体は死んじゃったのかもしれないし」


 それこそ、ここから出ることで本当に幽霊になるかもしれない。

 上で漂う少女は、僕の後方を眺めていた。


「名前、教えてよ」

「私の? なんで?」

「ここを抜けてたら墓参りに行くから」

「んなっ!? 私が気にしてることをドンピシャでつついてくるな!」


 再びパカパカと殴られる。

 満足するまで僕をパカパカすると、そっと少女は口を開いた。


「…………三波咲良みなみさくら

「……いい名前だね」

「なに、お世辞にもなってないじゃん」

「いや、どこかで聞いたことがある気がして」


 ここにきた理由も覚えていないくらい記憶が曖昧だから、思い出せない。

 走りながらだと思考が巡らない。


「ここを出るつもりはないの?」

「出たいって気持ちはあるけど、怖い」

「そっか」


 僕は走る速度を少し上げた。


「やりたいこととかないの?」


 心残りとかがあれば、ここから出ようという決意を後押ししてくれるはずだが。


「特にない……というより、覚えてないかな」

「何かないの。なんでもいいよ」


 少し考えて、三波は呟く。


「……桜」

「君の名前がどうしたの」

「花の方、木の方、桃色の方」

「見たいの?」

「うん。見たいけど見れなかった。それだけ思い出した」


 僕はまた走る速度を上げた。


「じゃあ、見ようよ。一緒に」

「どうしたの、急に」

「僕なんかより、君の方が辛そうだから」


 ここを抜ければ、僕はきっとやり直せる。

 でも、三波にはその機会すらないのかもしれない。

 頑張る権利すら奪われる怖さは、知っている。


「全力で走る。だから、君も行こう」

「怖くないの?」

「それでも走れば、君も頑張れるかなって」

「どうして私のために」

「何も知らない僕のためにここまでしてくれた」

「それは、見捨てられなかったから」

「僕も見捨てられない」


 足に力を込める。

 三波は慌てて僕についてくる。


「きっと大丈夫。君は助かる」

「なんで」

「なんとなく。直感」

「そんなのに命預けられるかっての!」


 全力で走っているおかげで、ポカポカが空振った。

 どうにか僕を叩こうとする三波だが、途中でその手を止めて振り返る。


「や、やばい! あの電車がくる!」


 わずかに振り返ると、謎の電車が走ってきていた。

 先ほどみたものよりも大きい。

 地面をえぐりながら進んでいる。


「行くしかないか……!」


 前へ、前へ。

 前方に白い光が見えた。

 言わずとも、出口であるのは分かった。


「行こう」

「…………、」


 振り返ると、三波はその場に留まっていた。


「私、行けない」

「どうしたんだ」

「私は、あなたと歩けないから」

「足なんてなくても、一緒に進める」


 僕は三波の手を掴んで、光の中へ飛び込んだ。




 ――気が付けば、ベッドに寝ていた。


 体を起こそうとして、全身に激痛が走る。

 それでも、起き上がらなければという使命感があった。


「あ、ああ! 目を覚ましたんですね!」


 見覚えのある看護師さんが視界に映った。

 足の手術をしたときにも、この人にお世話になったはずだ。


「僕は……」

「交通事故です。一時はかなり危険な状態でしたが……よかった」


 ほっと肩を下ろす看護師さんだが、僕が強引に立ち上がったのを見て再び目を丸くする。


「ま、まだ危険です! 安静にしないと……」

「行かなきゃいけない場所があるんです」


 走れないが、それでも足を前へ。

 ようやっとたどり着いた病室には確かに「三波咲良」の文字。

 僕が足の手術のときに通った際に見ていた、一年前に事故に合ってから未だ意識のない女の子。

 ようやく思い出せた。

 病室の扉を開ける。


「……ぇ」


 そこには、誰もいなかった。

 後ろから、僕を追ってきた看護師さんがやってくる。


「あの、ここにいた子は……」

「咲良ちゃん、ですか? あの子は――」


 言い淀む看護師さんの声で、背筋に寒気が走る。

 しかし。


「……あ」


 その後ろから顔を出したのは、見覚えのある顔をした車椅子の少女。


「なに、幽霊を見たみたいな顔して」

「……幽霊?」

「生きてるわ、ばか」


 その代わりに足は動かないけどね、と三波は笑っていた。


「足の魂だけは消滅しちゃったからね。歩けないや」

「……そっか」


 僕は痛みを我慢して車椅子に手をかける。


「桜を見に行こう」

「え、二人ともボロボロだよ?」

「でも、今がいい」

「ん、その気持ちはちょっとわかる」


 少し乗り気の顔が見えて、僕はすぐに車椅子を押す。

 病院の中庭に桜が咲いていたはずだ。


「やっぱり、歩けないね」

「一緒に進めるから、大丈夫」


 僕らはともには歩けない。

 でもこうやって、ともに進むことはできる。


 風に舞う桜の花びらを見つけた僕は、彼女とともに走り始めた。

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僕らはともには歩けない さとね @satone

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