日高さんは走らない

こめぴ

日高さんは走らない

「走るのってさ、やっぱよくないことだと思うんだよ」


 俺の後ろで、日高はぽそりと呟いた。肩で息をする俺とは対照的に、彼女はこの真夏日、涼しい顔をして、制服のスカートをパタパタさせていた。


「はあ!? 何言ってんだよ」


 しかし彼女は何言ってるんだとばかりに首を傾げるだけ。


 こいつは今、自分の状況を全く理解していない。


「遅刻しそうなんだよ!! 俺たちは!!」


 そう大きく彼女に声をあげた。

 現在時刻は7時45分。始業開始時間は8時。ここからは歩けば20分、走ればギリギリ間に合う時間だ。だというのに日高は一向に走ろうとしない。ていうか動こうとしない。なんとかここまでは連れてきたが、急に立ち止まってしまった。


「お願いだから走ってくれ! 遅刻する!」

「うん、遅刻はダメだね。でも走るのはよくないよ。ほら、先生もよく言ってたじゃん」

「廊下限定でな!」


 日高とは小学校からの付き合いだが、意地でも走らないやつだった。小走りですら見たことがない。体育の持久走でスタートから歩いてるのこいつくらいだろ。走れないというわけでもない。先生に言われて本当に渋々だけどゆっくり走っているのを見たことがある。ただ、基本的に本当に走ろうとしない。走らせようとすれば、変な言い訳を呟くばかりで断固拒否。


「だって考えてみてよ。誰かとぶつかるかもしれないじゃん。走るとスピードが出るから、ぶつかったときの怪我もひどくなるかもしれない」

「まあ、そうだな」

「しかも相手がパン加えた女の子だったらどうするの? 始まっちゃうよ? 私とパン子のラブストーリー」


 そう言って彼女は、「ひゃー大変」と真顔で両頬に手をやる。 

 今時そんなコテコテなテンプレ展開ないわ。女子同士であることには全く言及しないのか。


「なんで中部はそんな拘ってるの?」

「皆勤賞がかかってるんだよ!」

「そんなの気にしてるの小学生くらいでしょ」

「う、うっさいな!」


 このままじゃ埒が明かない。日高の腕を掴む。想像以上に細い腕に少しドキッとしたが遅刻しないことが先決だ。


「ほら、行くぞ――ってなんでお前そんな力強いんだよ!」


 お前女子の中でも力ない方だろ! 片手で持ち上げることができそうなくらいに軽いし力もないのに。


 今の日高は、全力で引っ張っても全く動かない。岩か。なんなら俺が逆方向に引きずられてる。どうなってるんだ。


「そんな脚力あるなら俺より早く走れるだろ!」

「走らない。絶対走らないからね」

「お前のその執着なんなん?」


 日高の走らないことへのこだわりは異常だ。

 こいつとも長い付き合いだ。でも俺はその理由を知らない。


「……何かわけがあるのか?」


 ここまで頑ななら、何か理由があるはずだ。

 もしかしたら、何か病気なのかもしれない。俺が想像できない重大な理由があるのかもしれない。


 すると一度日高は口を閉じた。少し恥ずかしそうに視線を下げる。その頬はほのかに赤い。

 そのまま彼女は、ぽそりと口にする。


「……疲れるから」

「いいから走れやぁああ!!」


 今までにない力で、俺は日高を引きずり出した。

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