走った令嬢は鉄槌をくだす【KAC20212/お題「走る」】

蒼城ルオ

走った令嬢は鉄槌をくだす


「その人を追放してはなりません。辺境伯家が長女メルヴィ、約束の通り、ただいま戻りました」


 メロスは激怒した、とは前世であまりにも著名だった作品の冒頭だが、城内を駆け抜け宴席のその真っ只中に飛び入ったメルヴィはまさにその心境だった。靴を投げ捨てて来ていることに眉を顰めている有象無象がちらと目に入ったため、ひと睨みで黙らせる。普段は令嬢たちのお茶会で上品に微笑むばかりのメルヴィの、乱れ髪すら気に留めない冷たい一瞥は、その場を静まらせるには充分だったらしい。これまた前世で興味関心だけで読んだ聖書の一節の海のごとく、参加者である令嬢令息がざっと道を開けた。その先にいる第四王子が唇をわななかせる。


「め、メルヴィ、お前、どこから……」

「正門からですわ。滅多にその地を踏まぬとはいえ、王城は我ら一族が守るべき城。そのような城に入るのに、裏口から入らねばならぬ理由がございますか?」


 努めて平静に返す。王子と、その腕にしなだれかかる女が揃って睨みつけてくるが、それどころではない。

 あの小説に則るのであれば、メルヴィとてさほど政治は分からない。彼女に分かっているのは、自分に前世の記憶というものがあり、ここは前世の自分の愛したノベルゲームの世界であり、今まさに「断罪イベント」と呼ばれる場面が始まろうとしていたことだ。

 端的に言えば第四王子が後の悪役幹部となる生粋の悪女に騙されて、生きていればその後の展開で色々と主人公の有利な状況となるよう取り計らってくれる侯爵令嬢セリーヌを姦計に嵌め国外れの修道院まで追いやる、実質上の国外追放をやらかすのである。それを防げるかどうかは、主人公に懸かっていた。その通達を下す宴で、潔白を訴えるセリーヌに主人公が加勢することで国外追放は防げる。お前を助ける友などいないと嘲笑う第四王子に啖呵を切る見せ場は、画面越しであっても胸がすく思いがしたものだ。三年前の十五歳の誕生日、自身の親友こそそのセリーヌであると思い出した時には、キーパーソンに転生したことに慄きつつも、頑張れ主人公、と思ったものである。


 ところが、ところがだ。待てど暮らせど主人公の噂が流れてこない。


 もちろん辺境ではあるから噂が流れるのが遅いということはある。とはいえ、メルヴィ十五歳の時点で、主人公は華々しい功績を引っ提げて王城あるいは王都の学園に招かれているはずなのである。主人公の唯一最大の特技が剣術か魔術か交渉術かはプレイヤーの選択肢次第だが、序盤も序盤なので、まさかそこから大きく外れるとは思えない。もしかしたらデフォルトネームではないのかもしれない、一年前後の誤差はあるかもしれない、と待つこと三年。


 結論から言おう。この世界に主人公はいない。いるとしても、主人公になる気がない。


 そこからメルヴィは駆けずり回った。幸いセリーヌとの友好関係は既に築かれており元々辺境伯令嬢である、主人公がいないのであれば自分自身が王城で開かれる宴に招かれる立場となることはそう難しくはない。領地では隠居して国の北に住まう陛下の母君の目に留まればと寒冷地でも育つ作物の研究をし、進学のためにと転居した王都では化け狸と揶揄される公爵殿と縁故を繋ぎ、まさに東奔西走の勢いで、宴に呼ばないほうがおかしい人脈と立場を作り上げた。当の第四王子にはセリーヌと親しいというだけで蛇蝎のごとく嫌われたが、些末なことだ。自分を心配するセリーヌに、大丈夫、いざという時に貴女を守る盾になる、と約束を交わしさえした。

 そう思って日々を過ごしてきたが、事もあろうに第四王子は、急遽宴の日取りを早め、メルヴィが親族の婚姻のために里下がりしている日に重ねたのである。人の苦労をたかだか日程調整程度でどうにかしようとしている姑息さが腹が立つ。そんなことを考えながら奥へと歩を進めれば、セリーヌがこちらを窘める意を幾分か含みながらも安堵の色濃い眼差しを向けてくる。自分を信じて待ってくれていた最愛の親友にこの場で言葉は不要だろう。視線での会話を邪魔するように割って入った第四王子が、口泡を飛ばしてきた。


「お前、お前の領地は今、王都へ繋がる道の橋が崩れて渡れぬはずだ!」

「ああ、あれですか。ええ、橋は壊れましたね」


 前日の大雨の影響と見せかけて、メルヴィの家の馬車が橋を渡ろうとした瞬間に、賊に命じて橋を爆破させようとした賊がいたが、やはり王子の差し金だったらしい。馬車が落ちればメルヴィだけでなく同乗する家族も御者も無事ではないのにと、まるでこちらが敵役か悪役かのような仕打ちにこの場で激昂のままに罵りたい気持ちがいや増す。最早単身走ってでも第四王子の杜撰な計略になど嵌まってやるものかと決意した。


「ですので、馬と共に川を渡って参りました」

「は……?」


 実際のところ、その時点では直前で気づいたために迂回して馬車は無事だったのだが、時間が惜しいと渡河訓練を受けている馬と共に強行した。尚、本来渡河とは訓練を受けた上で強化魔術を受けた馬であっても集団で渡ることにより川の流れに押し負けないようにするものであるのだが、それを知っているのはメルヴィ含め領地に大河が含まれる人間のみであり、それを単騎でこなす秘策は往々にして彼らは知っているのであるから、ちらほら驚く顔が見えても些末なことだ。


「し、しかし、その後の森には賊が」

「いましたね三人ほど。殿下、馬で早駆けしながら魔術を撃つ相手に勝つ作戦はご存知でしょうか?」


 ないわけではない。しかし、前提として、馬上からの魔術というのは言わば流鏑馬だ、乗馬の技術と魔術の才能が上手く噛み合ってこそ成せる技であり、そんなものを相手にする策略をその日暮らしの賊が持っているはずがない。そもそも、そのような相手は騎士団所属の男であることが相場であり、驚く顔が更に増えたが、これまた些末なことである。


「とはいえ、流石の私も最後の幻術には少々骨が折れましたが」

「そ、そうだ!王都直前の峠に、大枚はたいて仕掛けさせた、眩暈と幻聴を起こす術が」

「我が親友の追放の危機と思えば、煩わしい小雨のようだ、としか」


 尚、煩わしい小雨といえば、この国の軍においては魔術を込めていない矢が降りしきるさまを指す。備えがなければひたすらに鬱陶しいが備えさえあればどうとでもなるものの例えである。王族の金銭感覚で大枚をはたいたと言わせる術であれば広範囲であることを優先したとしても歩兵を一網打尽にする程度の威力はあるはずで、最早この場には驚いている顔をしていない者のほうが少ない。悪戯が成功した幼子に𠮟るべきか褒めるべきか悩んでいる親のような顔をしたセリーヌと、歯噛みをする推定悪女、そしてわなわなと信じられない者を見る目でメルヴィを見る第四王子である。

 最早、途中で馬のほうが先に音をあげ、王都に入ってからは文字どおり単身走るために、靴を投げ捨てたくだりは蛇足だろう。


「さて殿下」

「な、なんだ」

「私の領地には、友を助ける約束をして、それを守ったにも関わらず、ちらと一度諦めようとしたがために、友に殴られることを望んだ男の話がございますが、私はここまで走る最中一度も諦めておりませんので、友に殴られようとは思いません」


 正確には前世だが、そこまでつまびらかにする必要はないだろう。メルヴィはどこまでも優しく微笑む。


「ですので殿下、私と友の代わりに二発、殴らせてくださいませ」


 その理不尽にすぐさま反応出来るものはおらず、第四王子の頬は腫れでひどく赤くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

走った令嬢は鉄槌をくだす【KAC20212/お題「走る」】 蒼城ルオ @sojoruo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ