走り続ける

宵野暁未 Akimi Shouno

走り続ける

 気が付いたら走っていた。


 郊外らしい長閑のどかな風景の中の、ゆるやかな起伏のある道路を、私はずんずん走っていく。他のランナー達をゴボウ抜きにして一気に順位を上げていく。周囲からの声援。ああ、なんて爽快なんだろう。

 前方を走る二人のランナー。あの二人を追い抜けば私はトップになる。息は苦しくないし手足もスムーズに動く。身体が軽い。まるで空を滑っているように軽やか。よし、トップギアで加速して優勝するぞ。

 だが待てよ。

 私は、はたと気付いた。

 私は走るのが苦手ではなかったか? 短距離なら走れない事もないが、長距離だとすぐに息が苦しくなり、脇腹も痛くなり、更には走る振動で胃がむかむかして吐き気がしてくる……はずなのに、こんなに気持ちよく走り、他のランナー達をゴボウ抜きになんて出来るはずが無い。これは夢に違いないと。

 それとも、これがランナーズハイというものなのか。

 私が知らなかっただけで、息の苦しさや脇腹の痛みや吐き気を通り過ぎれば、こんな天にも昇る気持ちで走れるものなのか?

 人生に一度くらいはテープを切って勝利を味わってみたいと思っていたし、夢なら夢でもいい。先頭二人は既に視界に捉えているし、もうゴールの陸上競技場は間近。満場の観客の前で二人を抜き去り、絶対にテープを切るぞ。

 前方二人に続いて陸上競技場に入る。満場の観客の声援。なんと、全員が私の名を呼んで応援してくれている。夢みたいだ。……夢かもしれないけど。

 よく見ると、前方二人は既に足元がふらついている。私には余力がある。一気に差を詰める。会場の割れんばかりの声援。

 ああ、応援されるって、こんなに気持ちの良いことだったんだなあ。

 よし、二人を捉えた。

 トップに躍り出てテープを……と思ったら……。


 私は目が覚めらしい。


 やはり夢だったか。どうせなら、テープを切る喜びを味わってから目を覚ましたかったものだ。肩にタオルを掛けて貰って、頭には月桂冠、それに続くインタビュー。夢だとしても、そこまで見たかったものだ。


「なにブツブツ言ってんの? ちゃんと前を見て運転しないとヤバいって」


 声を掛けられて我に返ると、私は車のハンドルを握っていた。

 マラソンを走る夢を見ていて目が覚めたから、てっきりベッドの上かと思っていたが、まさか夢から覚めたら車の運転中だったとは。

 ということは、私は居眠り運転をしていたということなのか?

 よく事故らなかったものだ。私は一体どんな道路を走っているんだ?

 周囲は暗かった。ヘッドライトが照らす先は、どうやら山道のようだ。道幅は狭く、急なカーブが続いてアップダウンも激しい。まるでジェットコースターのようだ。そんな狭くてカーブの多い山道を、私は、プロのドライバーのようなテクニックでハンドルをさばき、絶妙なタイミングでブレーキとアクセルを踏んで、猛スピードで走っていた。

 ハンドルを切る度にタイヤがキュルキュルと音をたてる。凄い。こんな華麗なテクニックが私にあったとは。自分で自分に惚れそうだ。それを自惚うぬぼれというのだろうが。


「ひぇ~、スピード出し過ぎだってば」


 助手席から悲鳴のような声が上がる。


「大丈夫だって。スカッとして面白いじゃん」


 私は走る。夜の山道を猛スピードで超スリル。青空と照り付ける太陽の下で、からりとした風でも吹いていれば、もっと爽快に違いないだろうけれど、何処だっていい。私は走るのが好きなんだから。


「そう我武者羅がむしゃらに走るな。ペースを考えるんだ」


 どこからか、声のようなものが聞こえてきた。

 ペース? 車で走るのにペースなんて関係無いよ。故障が無くて燃料さえあれば、車は疲れたりしないんだから。

 あれ、私の背中に何か乗ってる?

 車を運転していたはずなんだけれど。

 夜の山道で。


 私は芝生のコースを疾走していた。

 青空と照り付ける太陽、からりとした風。ああ、爽快。走りたい。走りたい。先頭を走りたい。


 え? 前を走っているのは、もしかしてサラブレッド? 私の背中に乗っているのは騎手で、私は競争馬?


「よし、いいぞ、イナズマブラック。お前は頭もいいし優勝できる馬だ」


 私の背中の騎手は、声に出して言ったわけではない。彼の気持ちが伝わってくるのだ。私に対する信頼と愛情。

 そうだ、我武者羅がむしゃらにならず、戦略通りに走れば私は勝てるんだ。私は走る為の最高の心臓と肺と筋肉と脚を持っているのだから。


「よく我慢したな。さあ、ここから一気に飛び出す。走れ、イナズマブラック。風になって駆け抜けろ」


 Goサインだ。

 私は走った。もうゴールしか見えない。走るのが好きで好きでたまらないんだ。

 青空と太陽と緑の芝生、そして、からりとした心地よい風。私は風のように駆け抜けて優勝する。優勝するんだ。


 あれ? 一気に駆け抜けて先頭に飛び出して優勝するはずだったのに、全然前に進まない。どうしてだろう。

 それに、さっきまでの青空と太陽と緑の芝生、それにからりとした風は何処に行った? ここは何処だ? なんだか狭いぞ。

 カラカラカラカラうるさい音もする。

 走る、走る、走る。

 なのに、ちっとも前に進まない。

 走るのが好きで好きで好きでたまらないから、我武者羅がむしゃらに走っているのに。

 そういえば、我武者羅に走るなと注意されたような。

 嫌だよ。走るよ。私が走りたい気持ちは誰にも止められないんだから。


「ランちゃん、走るの本当に好きだねえ」

「うん、だから名前もrunにしたんだ」


 どうやら私のことを話しているらしい。

 そうか、私の名前はランというのか。


「まあ、ハムスターにとって走るのは本能みたいなものらしいからね。一晩中でも回し車で走ってるよね」


 そこで初めて、自分がハムスターであることを私は知った。


 これは夢なのだろうか。

 マラソンランナーとして走っていて、目が覚めたら華麗なテクニックで車を運転していて、次にはサラブレッドとして疾走していたような気がするのだが。


 私は人間で、まだ夢の中にいるのだろうか。

 それとも本当はハムスターで、回し車を回しながら、マラソンランナーや凄腕ドライバーやサラブレッドになった夢を見ていただけなんだろうか。

 何処までが夢で何処からが現実なのか、或いは全てが夢なのか。

 

 そんな考えがふと頭をよぎったが、私は走らずにはいられない。

 全てを忘れ、私は夢中で回し車を回し続ける。

 

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走り続ける 宵野暁未 Akimi Shouno @natuha

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