太陽が苦手な御者

和成ソウイチ@書籍発売中

太陽が苦手な御者

 ケニス・アルバードは御者である。

 長年連れ添う愛馬を駆り、人や物を運ぶのが仕事だ。


 しかし、彼はどうにも人気がなかった。

 いつ見ても顔色が悪く、背中は丸まり、テンションが低い。

 愛馬はそれはそれはたくましい身体つきだが、気難しく、ケニス以外の言うことをまったく聞かない。

 きわめつけは、荷台の狭さ。大人が数人乗っただけで重量オーバーになってしまうほど小さいのだ。


 そんなわけで、ケニスの馬車は今日も街の片隅でひとりぽつんと客を待っている。


 夕暮れ。


 他の荷馬車が引き上げていく中、ひとりの女性が走ってきた。彼女はすれ違う馬車1台1台に頭を下げて依頼していた。だが、月明かりもない夜に馬を走らせるぼうものはいない。

 女性は皆からすげなく断られていた。


 最後に、ケニスの元を訪れる。息を切らせた彼女の瞳は、こんがんと警戒が半々だった。


「お仕事を、依頼したいんです。エフティ村まで私を運んでくださいませんか。これから、すぐに」


 ケニスはじっと女性を見た。

 彼の頬はこけていて、凄みのある顔付きであった。


「おいしそう」

「え?」


 女性は恐怖を感じたが、強い気持ちを保ってケニスを見つめ返した。


「どうしても、行かなければいけないんです。でないと、間に合わない……!」

「どうぞ」


 あっさりとケニスはうなずいた。彼が手綱を引くと、馬は面倒くさそうに向きを変える。小さな荷台が女性の前に来た。


「よほどの事情があるのでしょう。どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

「その代わり、道中にお願いがあります」


 ぞんがいしっかりした造りの荷台に女性が上がると、ケニスは言った。


「できれば、あなたの方からお話をしてください。喋るのが苦手でして、私」


 女性は不審に思いながらうなずいた。万が一のために持ってきた護身用の短剣を、服の上から強く握る。


 馬車は出発した。

 目的地のエフティ村は遠い。馬車でも2日はかかる。


 やがて陽は完全に落ち、夜がきた。

 今日は新月。月明かりがなく、道は完全に闇の中に溶けてしまっている。

 車輪の音と振動で馬車が前に進んでいることはわかるが、それ以外は何も見えない。

 尋常ではない恐怖に対し、女性は悲鳴ではなく決意と想いを口にし始めた。


「戦場に行っていた幼馴染が、故郷のエフティ村に帰ってきたとしらせがありました。かつて私は彼と喧嘩別れになってしまった。ずっと後悔していました。私は彼を愛していたのに、素直になれなかった」


 ケニスは何も言わない。ただ黙って聞いている。


「今度こそ、自分の気持ちを彼に直接伝えたい。けれど、手紙ではまた次の戦地に出てしまうかもしれないとありました。家族が報せを出したときから考えると、もう1週間近くになる。エフティ村までどんなに馬車で急いでも2日……今回会えなかったら、もう2度と会えないかもしれない。そう考えると、居ても立ってもいられなくて」

「怖いですか?」


 唐突にケニスがたずねた。


「この真っ暗闇の中。助けが誰も来ない状況で、あなたは男の御者と行動を共にしている。怖いとは、やめておけばよかったとは、思わないのですか? 命が惜しくないのですか?」

「それでも」


 女性はケニスの背中に言葉を放った。


「行動せずに、後悔はしたくない」


 ふいに馬がいなないた。襲撃かと女性は身を固くしたが、違った。

 頬をでる風が強くなる。スピードを上げたのだ。


「私の経験上、あなたは大丈夫だ」


 ケニスが言った。

 そしてさらに不思議なことをつぶやいた。


たぎってきました。


 どういうこと――とたずねる前に、女性は荷台にしがみついた。

 まるで嵐のように凄まじいスピードで馬車が駆け出したからだ。


 そのときになって、ようやく女性は気付く。

 樹々の輪郭すらもまぎれる闇の中、この御者はまったく迷うことなく馬を進めている。しかも、驚くほど滑らかだ。

 まるで、すべての道が頭の中に叩き込まれているかのように。

 まるで、風と闇を味方に付けているかのように。


「お嬢さん。エフティ村まで2日とおっしゃいましたな」

「え、ええ」

「では今回に限り訂正を。夜明けには着きます」


 女性は目を見開いた。

 信じられない。けど、信じてもいいのかもしれない。

 この人は、悪い人ではない。


 ――そして。


 ケニスの言葉通り、夜明けと同時に目的の村が見えてきた。

 1軒の民家から鎧をまとった男が出てくる。

 ケニスが民家の近くに横付けすると、女性は荷台を飛び降りた。男の名前を叫びながら抱きつく。驚いた表情の男は、直後、しっかりと女性を抱き返した。


 話し込むふたりを、ケニスは馬車の上から眺めていた。今日も天気が良い。ケニスは背中を丸め、いつものような具合の悪そうな顔で彼らが話し終わるのを待っていた。

 やがて、女性は男を連れて馬車に戻ってきた。


「あなたのおかげで、私は気持ちを伝えることができました。これからは妻として、彼についていきます。戦場でも、どこでも」

「それはよかった」

「あなたのような素晴らしい力を持った方と出会えてよかった。私たちの恩人です。どうか、これにお名前を書いていただけませんか」


 そう言って女性が差し出したのは銀製のペンと羊皮紙。


「村の風習です。結婚する男女は、それぞれ縁の深い人に署名をもらうのです。本来なら血縁者になるのですが、私たちはあなたに名を刻んでもらいたい」

「申し訳ありませんが」


 ケニスは眉をひそめながら断った。


「ではせめて、お名前だけでも」


 すがる夫妻に、ケニスは自らの名前を伝えた。女性がりゅうれいな字で、丁寧に名を刻む。


「あなたのことは忘れません。本当にありがとうございました」

「いいえ。お礼を言うのはこちらですよ。私はあなたがたの心意気に感動しました。おかげで、また生き続けられます」


 首を傾げる夫妻。

 ケニスは不器用な笑みを浮かべ、馬を帰路にかせた。ゆっくりと、まるで何かに遠慮しているような足取りであった。










 ――ケニス・アルバードは御者である。

 長年連れ添う愛馬を駆り、人や物を運ぶのが仕事だ。


 彼は吸血鬼と呼ばれる種族だった。

 人間の血が吸えない落ちこぼれとして一族を追放された彼は、人間の強い意志に触れて感動することで血をたぎらせ、生き長らえてきた。


 今、一族の生き残りは彼ひとりである。



 

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