走るのをやめるとき

@ns_ky_20151225

走るのをやめるとき

「おい、ほんとうにいいのか。いまなら間に合うぞ」

「そしてまたごみ溜めに戻りたいか。おれはいやだ。ここまで来たんだ。おまえだって覚悟はできているだろ」


 目の前には『ゲート』が青緑に輝いている。その前には世界中の企業が開発したロボット百体以上が開始の合図を待っている。

 その向こうには『退屈な十億年』の景色が広がっている。十八億年前から八億年前までの、地球の歴史上、なにもなかった時代。あらゆる地質的活動がほとんど止まってしまった十億年。生物は海の微生物のみ。陸上には植物すら進出していない。

 ロボットが目指すのは八億年前。陸地は超大陸ロディニアただひとつ。造山運動もほとんどなかったため、山々は風化し、起伏のほとんどない地面がただ広がるのみ。


「勝てるのか」

「当然。ほかのが律義に走るところを飛ぶんだから」

「いや、ばれないのか」

「八億年前に観客はいない。飛ぶのは一部区間で、ロボ同士が十分散らばってからだ。なんどもシミュレーションしたはずだ。びびるのもいい加減にしろ」

「すまん。怖いんだ」

「わかるよ。でも、やるんだ」


 『ゲート』は二十年前、新エネルギー源開発に伴って偶然生まれたもので、なぜ八億年前とつながっているのかわからないし、再現もできなかったが、国際社会はとにかく向こう側の調査をすることにした。

 しかし、まったく見栄えのしない『退屈な十億年』の、しかも晩期の学術的調査に資金は集まらなかった。


 だから、四万キロレースが企画された。


 調査機器を積んだロボットが超大陸ロディニアをすみからすみまで巡る。一体当たり四万キロと設定されたコースを早く回り、データを最初に持ち帰ってきたロボットの優勝というだけだった。そして、その単純さゆえに耳目と金をあつめることができた。

 ただし、レースを面白くするための工夫として、すべてのロボは脚で移動しなければならないとされた。基準は生物。脚の使いかたは現存する陸上生物に準ずるものとする。速く移動したければ走行になる。走行でありさえすれば速度の上限はなかった。機械の耐えうる限り高速を追求すればいい。

 優勝賞金はわずかで開発資金すら回収できそうにないが、高度な技術を要求されるため、開発企業は市場でかなりの優位に立つだろう。


「大丈夫さ。勝てば上級エンジニアとして迎えてくれる。礼金もたっぷりだ。おれとおまえ、ごみにくるまり、小便まじりの水を飲んで育ったけど、これからは絹にくるまり、本物のシャンパンを飲むんだ」

「ああ。当然だ。なにもかも犠牲にして勉強したんだ。泣き言をいってすまん。迷わず行こう」

「それでこそおまえだ。おっと、そろそろ時間だな」


 中継カメラがおれたちの、いや、ある国際的家電メーカーのロボットをとらえた。おおむね人型。二本足。背中に調査機器が詰まったタンクを背負っているが、飛行ユニットが折りたたまれて入っている。

 おれたちがやったのはその飛行ユニットを隠し通すことだった。ユニットを偽装し、検査機器に侵入してデータをごまかした。検査技師の買収と脅迫も行ったが、それには底辺生活で身につけたある種の技能が非常に役立った。

 メーカーの担当者は成功報酬を約束した。おれたちはこいつの調査を行い、裏切らないと確信した。それでも指示がどこから出たかという証拠は握っておいた。万が一の用心だった。


 現場の歓声がほとんど悲鳴に近くなり、花火が打ちあがると同時にすべてのロボットが『ゲート』に駆け込んだ。二足はヒトを、四足はネコ科の獣を、六足や八足は虫やクモを連想させた。気味悪いほど生物的だった。


 いまや全機が八億年前の平坦な地面を駆けているはずだ。『ゲート』越しに電波のやり取りができないのは残念だった。あとから記録に頼るしかない。だからこそ不正の余地もあるのだが。


「思ったよりあっさりしてたな」

「そりゃそうさ。始まっちまえばおれたちがやることはない。さあ、いい夢見ながら待ってようぜ」

 ほかの連中がずるをしていることはあり得ない。と、いうか、そういうやつらはおれたちが蹴落とした。その調査と告発も仕事に含まれていた。


 予定では十七日後に帰ってくる。ほぼ時速百キロで移動し続ける想定だ。他社のロボットにはできないだろう。ま、一部飛行するからこそ出せる記録なのだが。


 通知が来た。おれたちはまたふたりで中継映像を見ている。かなり遅れた。シミュレーション通りにはいかなかったか。


 異形だった。そうとしかいいようのないシルエットだった。おおざっぱには人型だが、あちこちごつごつとでっぱりがあり、外装は一部剥がれかけていた。中継担当がとまどっている。登録されているどこのロボットでもない。つぎはぎだらけのかたまりには、外見上、なにか手がかりになるような部品など見当たらなかった。


 数日後、調査結果が発表された。帰ってきたのはすべてのロボットだった。


 八億年前の環境は予想より過酷だった。『退屈な十億年』は人工物にとって決してやさしくはなかった。調査途中でロボットたちは次々に倒れたらしい。

 だが、かれらは人間に回収を要求できないことを知っていた。

 だから、競争をやめ、お互い協力することにした。走行可能なロボットが不可能になったロボットの頭脳部分を回収し、それ以外を修理部品として用いた。地質調査用の装備は工具としても使えた。そうやって数を減らしながらも調査データは保ち、与えられた任務を着実にこなしつつ、走り続けた。

 超大陸ロディニアの地図を作り、要求された地質学的調査をすべてこなすと、すでに一体にまで統合されたロボットは帰ってきた。


 それが、あの異形だった。


 おれたちはその調査発表を見ている。茶はすっかり冷えたが淹れなおす気にもなれなかった。


「なあ、どうする」

 やつがため息をついていった。

「どうするって、どういう意味だ」

 そう返したが、いいたいことはわかっていた。

「あいつら、そうまでして任務を達成したんだな」

「そりゃそうさ。そう作られてる」

 おれはあくまで冷静でいようとしたが、やつの目を見られなかった。

「いいのか。こんなずるで上に昇って。そりゃ、上流の暮らしはしたいが、まともな手のほうがいいだろ」

「判定がどうなるかわからんが、その時は会社を脅せばいい。金を手に入れるんだ」

 証拠の詰まったメディアを指さす。しかし、やつは首を振った。

「思い出せよ。二人で遅くまで勉強したよな。ごみから集めた臭い発酵ガスの灯りで。いつか頭で成り上がってやるって。ずるで、じゃない。そうだよな」

 おれは下を向く。

「もうやめよう。このずるに関してはすべて無しにしよう。その証拠を届け出て、きちんと裁きを受けてやり直そう。一流は無理でも、まともな方法で手に入れた生活のほうがいいにきまってる。いまなら間に合うよ。ごみ溜めに戻らなくったっていい。なあ、だまってないでなんとかいえよ」

「おまえ、なんでおれを見捨てない? いまいったことならおまえひとりでもできるだろ?」

 やつは画面を指さした。そこには異形と化したロボットが映っている。

「あれだよ。だから見捨てない。ずっと一緒だ」


 おれは手を差し出し、握手した。

 そうだ。ふたりはひとつだ。他人から見れば異形でも。


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