走る

私は走る


―――


「任せて!必ず私が一番輝くメダルを獲って帰って来るから。」

 私、小林奏多はそう言ってベッドに寝ている彼を見た。彼は青白い顔に儚げな笑みを浮かべる。

「楽しみにしてるよ。かなちゃんなら大丈夫。誰よりも練習頑張ってるんだから。」

「うん!」

 満面の笑みで頷くと、鞄にぶら下げていた陸上用のシューズを触った。


 私は陸上の短距離走の選手で、一応東京オリンピックの日本代表だ。ここまで来るには相当の努力と時間がかかったけれど、ここまできたら自分の力を信じてやるしかない。それに私には彼がいる。彼は病気のせいで入退院を繰り返していて中々外に出れずに私の走る姿はビデオとかでしか見れないが、こうして面会に来る私の苦労話とか自慢話を聞いてくれてその上で全面的に応援してくれる私の大切な人。彼の真っ直ぐな言葉は私の心にすっと入ってきて、いつも励まされているのだ。


「さーてと、じゃあそろそろ帰るね。また明日来るから。」

「無理はしないでね。かなちゃん、すぐ無理するから。」

「だいじょうぶ!じゃあね!」

「またね。」

 手をヒラヒラさせると、彼も小さく手を振ってくれる。私は機嫌良くスキップをしながら病院を後にした。




―――


 しかしその数か月後、世界中にウイルスが蔓延して東京オリンピックが延期になった。それと同時に日本代表は一度取り消しという事になり、大会なども軒並み中止になってしまって走る機会がなくなってしまった。そもそも外に出られないという状況と感染防止の為に彼の病院に行く事も出来ずに、私の中にストレスが溜まっていった。


 そしてそんな中……


「えっ!?……亡くなった?」

 彼が亡くなった事を電話で知らされた。すぐに病院に行きたかったのに来てはダメだといわれ、私は目の前が真っ暗になった。


「私もう……走れない……」

 彼を失くして走る意味を失ってしまった私は、そう呟いて座り込んだ。




―――


 あれから半年、私はまだ走れずにいた。彼を失った悲しみと、最後に会えずに別れてしまった悔しさがぐちゃぐちゃに絡み合って、どう表現すればいいのかわからない状態で腑抜け同然に毎日を無意味に過ごしていた。


 そんな時、あるテレビ番組を見た。そこには彼と同じ病気の高校生の男の子が出ていた。その子は終始ベッドに寝ていて満足に話も出来ない様子だったが、瞳はキラキラ輝いていた。その瞳で夢を語る姿が私には眩しく見えたのだ。その夢は--



『走りたい。』



 早く元気になって思いっ切り走ってみたいと、その子は言った。どこでもいい、とにかくこの部屋よりも広い所に出て、美味しい空気を肺いっぱいに吸い込んで手足を限界まで伸ばして走ってみたいと。


 私はいつの間にか泣いていた。番組はとっくの昔に終わっていて別の番組になっていたけれど、私の脳裏にはさっきの男の子の輝く瞳がいつまでも映っていた。あぁ、彼もこんな事を思っていたのかな。だから私を応援してくれていたのかな。そう思った。そう思ったら今すぐに走りたいと強く思った。さっきまで走りたくないと、走れないと思っていたのに。

 私は押し入れにしまい込んでいたシューズを手に取り、目を閉じた。



 今年オリンピックが開催されるかまだわからない。その前に代表に選ばれていないのだから出る資格はない。大会に出て優秀な成績を収めないと出られないからだ。だけど、いつかオリンピックに出て一番輝くメダルを彼に、そして大事な事を思い出させてくれたあの子に、捧げたいと思った。



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走る @horirincomic

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