吐き気を催す程の邪悪に立ち向かう非道なる覇王は相対的に英雄たり得るのだろうか?

武論斗

プロローグ

 破けた袖から覗く腕は、奇妙に脈動するドス黒い血管が四方に伸び、人のとは懸け離れ、肥大し切った筋肉が強張こわばる。節くれ立ったいびつな指先から、薄汚れ黄色く変色してねじれた爪が突き出し、鼻を突く悪臭を放つ体液が伝う、おぞましい。

 一目見てそれが堕楢朽オークの腕と知れる。

 流行はやりの人体改造、異類移植を施した悪漢。


「ィ!ろ?惡#$モ+0-*/゙=ナ_@」


 耳障り――汚い発音、つたない語彙。

 南部訛りの魔獣語バスク、その亜種。覚え立て、いや、聴いて真似た、そんなところ。

 、意訳だが。


 な、この嬢ちゃんらは。

 およそ、どこかの貴族、名家の出。召し物、装飾品、綺麗に結い上げられた髪、整った目鼻立ち、立派な出で立ちのお付きの者達、なにより暴漢に襲われそうになって尚、気丈な立ち振る舞い、臆する様、微塵も見せやしない。高貴なる精神ノブレス・オブリージュ、と云う奴か。

 見習うべき心持ち、美しき人徳の表れ、正に誉れ。斯様かような在り方こそ、人の歩むべき道、そう、正道と呼ぶに相応しいものなのだろう。

 もっとも、空席の目立つ出来の悪い戯曲にも及ばん、呆れ果てたお遊戯にしか過ぎん。茶番、いや、飯事ままごと、か。


 ――ガゾン!

 破裂した血袋のように、辺りを真っ赤に染め上げる元人間、お付きの従者、その肉塊。

 人間の膂力を遙かに超えたその腕を、さらりと振るって切り刻む。まるで虫でも払うように。


 顔色一つ変えないとは、なかなか肝の据わった嬢ちゃんだ。

 しかし、絶望的。

 如何に高貴な心の持ち主であろうと、薬物の過剰摂取オーバードース反応が見られるその悪漢から逃れる事は出来まい。獣化迄には至ってはいないが、瞳孔が僅かに垂直方向へと伸びている。最早、理性は乏しい。

 君のお付きの者達では太刀打ち出来ない、出来よう筈もない。

 月の魔術は、現実を嘲笑あざわらう程、容赦なく理不尽、偏に残酷。


 さあ、声を上げろ。

 助けを求め、命乞いをしろ。そう、泣き叫び、鼻を垂らし、心の底から恐怖しろ。

 そして、救いを求めるのだ!

 神に? いや、悪魔に!

 それが頃合、タイミング。

 俺という憎悪が、狂気が、悪逆を、見失う程、見誤る程に!


 グハァァァッ!

 頬がバリバリと音を立て、耳元迄裂け始める。異常発達した犬歯が剥き出し、唾液が泡立ち、ぬめりと滴る。

 ――獣化。

 マズイな。

 嬢ちゃんは?

 何故? なぜ、怖れない、怯えない!?

 どうなってる?

 られるぞ!

 こ、この娘……

 まさか、

 ……命が、

 ――軽い!?

 いや、――

 、いるのか!!?



「待ちな、好月偏愛者スキゾイド

「ヌ§魔¶お†カ‡ぃ※p〆~〇ンァァァ、ぬァ~ニもンだァぁァーッ!」

「まだ、人語を解すか、化物め」

「ズズずぁッ、雑魚ザコはすっこんどれェーッッッ!!!」


 ブオン!

 移植された悪鬼の腕が弧を描く。

 7フィートインチの巨軀から繰り出し振り下ろされる兇器の爪は、岩石を粉微塵に粉砕する程の圧倒的衝撃。並の人間であれば、掠っただけで致命傷。残りの人生をベッドの上で過ごす事になるだろう。

 だが併し――

 ――呼嗚壓コォォォ……

 練り上げた㡣氣ドラグナを指先に集中、貫手ぬきてで迎え撃つ。

 穢れた爪との一瞬の交錯。錯覚とおぼしき僅かな閃光、微かな衝動、奮える情動。


「ガッ!? ……ナ、なにを、した?」


 吐血。

 ドス黒い血の塊を吐き出す。体の変調に恐怖し、正気の色を取り戻す悪漢は藻掻き苦しむ。

 幾つもの数字が縁に刻まれた黄金の瞳、その冷たい視線をそいつにくれる。


異傳子ワームを打ち込んだ。間もなく、てめぇは死ぬ」

「フ、ふっ、ふっざけんなァーッ!!」

「そんなにいやか、俺に殺されるのが?」

「――ぶ、ブッ殺してヤルッ!」

「なら、てめぇ自身で死ね」

「な、……に?」


 左目に二指を添え、吐き捨てるように口開く。


「吾がしょうして命ず、てめぇは死ね!」

「!?」


 瞳孔から外縁に伸びる三条の光線が、瞳に刻まれた頂点の数字を捉えると、目映まばゆい輝きが放出し、悪漢の目をつんざく。

 悪漢の瞳が、その色合いが、仄かに淡く、色褪せた……かのように見えたのも束の間、急速に色めき立ち、血走ったまなこが小刻みに眼振がんしん


恐惶あなかしこ御身おんみが望むままに!」


 移植されたぶっとい亜人の、その薄汚れた爪を首筋に当てがい横薙ぐと、そいつの首はぼとりと大地に転げ落ちる。

 悪漢の唐突な自害に取り巻く者達は呆気あっけにとられ、やがて噴水さながら血霧を吹き上げ仁王立ちする首無しの遺骸に恐怖し、怯え、そして、肝を冷やしつつも安堵する。

 助かったのだ、と。


 有難う御座います、ありがとうございます、の連呼。

 嬢ちゃんの取り巻きが一様に礼を云う。

 別に、感謝の意など、どうでもいい。

 気になるのは嬢ちゃんの表情。眉一つ動かさず、事の顛末を見守っていた。

 なんて目をしやがんだ。

 まるで、――

 ――まるで以前の俺のような眼差しをしてやがる。

 こいつは大分、)んでるな。


「ありがとうございます! 見ず知らずの私共を助けて下さいまして、感謝のあまり、言葉もございません」

「構わん。通り掛かっただけの話だ」

「滅相もございません。私共で宜しければ、是非ともお礼をさせて戴きたく存じます。何なりとお申し付け下さいませ」

「――それなら一つ……」

「はい、何なりと!」


 にやりと口許くちもとを上げ、押し殺すように吐き捨てる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る