婚約破棄も断罪ルートも嫌なので、悪役令嬢ですが溺愛ルートに走ります! ~婚約者の王子がドエムの変態だなんて知りたくなかった~

奏 舞音

婚約破棄も断罪ルートも嫌なので、悪役令嬢ですが溺愛ルートに走ります! ~婚約者の王子がドエムの変態だなんて知りたくなかった~

 あぁ、間違えた。

 人間誰しも間違えることはある。

 しかし、取り返しのつかない間違いを犯してしまった時、どうすればいいのだろう。

 迷える子羊にどうか、神の導きのあらんことを――。


 心の中で今日も神様に助けを求めているのは、エッセンバル公爵令嬢ジルマイアだ。

 目の前には、芸術の神が総力を上げて作り上げたような美しいかんばせがある。

 エムステルド王国第一王子スチュワート・エムステルドは、婚約者であるジルマイアを見て幸せそうに微笑んでいた。

 その眩しい笑みに苦笑を返してから、ジルマイアは扉をバタンと閉めた。


「ジル、迎えにきたよ」


 扉の向こうから聞こえる、優しい声音。

 王子である彼の誘いを無碍にするなど、本来であればあり得ないことだ。

 しかし、ジルマイアは無視を決め込んでいた。


(あぁっ! 間違えた、間違えた! 溺愛ルートになんて走るんじゃなかった! いや、そもそもそんなルートあるなんて思ってなかったんだもん―――!!!)


 今すぐリセットボタンを押したい。

 しかし、そんなものこの世界には存在しない。

 だって、この世界を生きるジルマイアにとっては、ここが現実なのだから。


(知りたくなかった、こんな裏ルート……)


 頭を抱えてため息を吐くと、尚更気が重くなった。

 何故、ジルマイアがルートやリセットボタンを気にするかといえば、この世界が前世でプレイしていた乙女ゲームに他ならないからだ。

 そして、ジルマイアは乙女ゲームの世界の引き立て役――悪役令嬢なのだ。

 転生したことに気づいたのは、ちょうど王子の婚約者になった十歳の時。

 今でもあの衝撃は忘れられない。

 乙女ゲームをプレイする中でたった一度だけしか出てこない神スチル――王子スチュワートの幼少期の姿がリアルに存在したのだから。

 あまりの可愛さ、あまりの尊さにジルマイアは齢十歳にして鼻血を吹いて倒れた。

 それから乙女ゲームの内容をざっくり思い出し、自分がスチュワートに婚約破棄される悪役令嬢であることに気づいたのだ。

 悪役令嬢として婚約破棄されるのも、断罪されるのも嫌だ。

 何とか無事に生き残る方法を考えなければ!

 と、ここまでは順調だった。

 しかし、ジルマイアはあろうことか前世の自分が叶えられなかった欲を見たそうとしてしまったのだ。

 そう、どうせ乙女ゲームの世界に入ったのなら、断罪ルートを避けるだけでなく、イケメン王子に溺愛されたい――と。

 この選択が後の自分の人生を大きく左右することになるなんて思いもせずに。



「一週間ぶりに会えるのに扉を閉ざしてしまうなんて、酷い婚約者だね」


 現在、ジルマイアは十六歳、スチュワートは十八歳に成長していた。

 扉の向こうから聞こえるスチュワートの声は、少し拗ねているようだ。

 しかし、ここで応じてはいけない。


「…………」


「おや、まだ僕を無視するのかい? いいよ。放置プレイだね」


 挑発するようなことを言われても、何かおかしな単語が聞こえても、聞こえないふりだ。


「ジル、僕はもう限界だよ。早く君の顔が見たい。そして……」


 溺愛ルートを目指してスチュワートに好かれようとしたはずなのだが、その溺愛は思いもよらぬ形で現れた。


「どうか僕を踏んでくれ……っ!」


 乙女ゲームのヒーローの本性がドエムだなんて誰が想像しただろう。

 存在しない溺愛ルートを探した結果、とんでもないパンドラの箱を開けてしまったのだ。


「君が踏みやすいように、僕は床に転がろう」

「いや、踏みませんからねっ!?」

「ようやく、扉を開けてくれたね。僕のいとしい人」


 思わず扉を開けたジルマイアの手を、スチュワートはすかさず掴む。

 そして、強引に部屋の中へ入ってきた。


「あぁ、君のきれいな瞳に僕という人間が映っている。とても幸せだよ」


 国宝級に美しい容姿を持つスチュワートに甘く囁かれ、ジルマイアの胸は勝手にドキドキしてしまう。

 だって、顔だけでなく、声も最高に良いのだ。

 曲がりなりにも乙女ゲームのヒーロー相手に抗えるはずもない。


「ねぇジル、知っているかい?」

「知りません」

「まだ何も言っていないよ」

「なんとなく、知らない気がしたので」

「やっぱり君は面白いね」


 ふっとスチュワートは笑って、ジルをソファまでエスコートした。

 そして、スチュワートの膝の上に座らされる。

 これもいつものことだ。 

 といっても、イケメンの膝に座って平然としていられるほどジルマイアの精神は成熟していない。

 バクバクと喚く心臓を素知らぬ顔で抑えつけることに必死だ。

 そんなジルマイアの心中などおかまいなしに、スチュワートは話を続ける。

 

「人間の体には、様々なツボがあるらしい。たとえば、頭痛を改善するツボとか、肩こりを改善するツボとか。身体の良くない部分を教えてくれるツボもある」

「はあ……」


 一体何の話をしているのだろう。


「だから、僕は君に踏まれたいんだよ」

「いやなんでっ!??」

「君のヒールで僕を踏んでくれれば、きっといいツボ押しになるんじゃないかと思ってね」


 きらびやかな笑顔で馬鹿なことを言っている。

 この王子、本当にヒロインを守るためにジルマイアを悪役令嬢として断罪したあのヒーローと同一人物なのだろうか。

 スチュワートがびっくり発言をする度に疑問に思う。

 転生者である自分のせいで、彼がヒーローとしての道を踏み外してしまったのだとしたら、申し訳ない。

 だからだろうか。

 ドエムの変態だと知っても、スチュワートに好かれていることに幸せを感じるのは。


(だって、目指していたのは溺愛ルートだもの)


 理想の溺愛ルートとは完全に逸脱しているが、これもこれで溺愛に変わりはないのだ。

 乙女ゲームの世界万歳!!


 そんな風に自分を奮い立たせて、ジルマイアはイケメンを足蹴にする。


「っあぁ!」

「可愛い婚約者に踏まれて喜んでいるのはどこの王子かしら?」

「エムステルド王国、第一王子っ! スチュワート・エムステルドです!」

「いい子ね。もっと可愛がってあげる」


 一度、イケメンを踏みつける感覚を味わってしまえば、もう元の純粋な乙女には戻れない。

 ゲームの悪役令嬢ではなく、悪の女王様のようだが、不思議と気分は高揚している。

 スチュワートの背中をグッとヒールで踏みつければ、彼は歓喜の声を上げた。


「ジル、愛してるよ」


 そう言って、スチュワートがうっとりとジルマイアの足の甲に口づける。


「スチュワート様、私も愛していますわ」


 そう言って、ジルマイアはスチュワートの頭を撫でた。


 完全に正規ルートから外れ、普通ではない溺愛ルートに走ってしまった悪役令嬢は、もうここから抜け出すことはできない。


 * * *


「スチュワート様は良い子ですね」

「とても素晴らしい!」

「幼少期からこんなに賢いお子様は見たことがありません」


 スチュワートは、幼い頃よりなんでも完璧にこなせた。

 それ故か、王子である故か、皆がスチュワートを肯定し、誰にも怒られたことがなかった。

 それは両親も同じだ。王子としての責務を全うできる優秀な子であれば、それでよかったのだろう。

 王太子として完璧さを装っていても、スチュワートの内には黒いものがたまり続けていた。

 しかし、完璧な王子である自分は、どこにも、誰にも、それを吐き出せる場所がなかった。

 そんな鬱屈とした日々が終わりを告げたのは、十二歳の時。

 有力貴族で味方につけておきたいエッセンバル公爵の娘ジルマイアとの婚約が成立した時だ。

 完璧な笑顔で挨拶したスチュワートを見て、彼女は突然悶え、鼻血を出して倒れた。

 見惚れられることはあっても、こんな反応は初めてで、スチュワートは初めて自分の心が動きだすのを感じた。

 後日、見舞いに行くと、ジルマイアは真っ赤な顔で謝罪して、その上でこう言ったのだ。


「スチュワート様に溺愛されたいので、どんな女性が好みか教えてくださいませ!」


 まさかの要求に面食らった。

 王太子妃の座や権力ではなく、彼女はスチュワートの愛がほしいのか。

 それも、溺れるほどの愛が。

 十三歳のスチュワートにとって、溺愛とはどのようなものなのかよく分からなかった。

 だから、その時心に浮かんだままを答えたのだ。


「王子ではない、僕のすべてを受け入れてくれる女性かな」


「では、私は王子ではないスチュワート様のすべてを受け入れますわ」


 彼女の言葉が本気なのか、試してみたい。

 最初は、ほんの好奇心からだった。


「じゃあ、僕を罵倒してみて」

「えっ!?」


 誰にも怒られたことがなかったから。


「ねぇ、僕を叩いてみて」

「……えぇ!?」


 誰にもぶたれたことはなかったから。

 無茶な要求をしても、変態発言をしても、ジルマイアはスチュワートを見限らなかった。

 それどころか、恥ずかしがりながら、遠慮しながら罵倒している姿が可愛くて、癖になった。

 いつの間にかジルマイアも積極的になり、スチュワートも彼女の前でだけは心の枷を外すことができた。

 だからもう、今更こんな性癖の男は嫌だと言われても、放してやる気は毛頭ない。


「スチュワート様、痛くありませんでしたか?」

「この痛みが、君の存在を僕に刻みつけてくれるんだよ」

「もうっ、私は心配してるのに」

「……ねぇジル、覚えているかい? 君が初めて僕にお願いしたこと」

「え? 私、何か言ってましたか?」

「君は僕に溺愛されたいって言ったんだよ」

「うっ、馬鹿正直すぎる」

「ジルの要望通り、僕は君への愛に溺れているよ。ジルは?」

「聞かなくても分かるでしょう。あんな恥ずかしいこと、スチュワート様を愛していなければできません」

「うん。そうだね、僕の女王様」

「や、やめてください~~」


 つい先程まで王子を足蹴にしていたとは思えない可愛い婚約者に、スチュワートはとびっきり甘いキスをした。



 


 


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