俺は足の速さしか取り柄がないからな

つかさ

第1話

 ボロボロの乾いた土を踏みしめて、後ろへ蹴り飛ばす。

 右脇にはカバンを抱え、空っぽの左腕を前後へリズミカルに動かし続ける。

 真っ赤な太陽と埃っぽい空気に男の汚くて枯れた声が混ざる。待てと言われて待つやつがいるかなんて常套句がよく似合う光景だ。


 俺は逃げていた。

 数刻前、街の銀行から出てきた男たちが馬車に乗ろうと気を緩めた一瞬を狙って、勢い任せにカバンをふんだくった。

 男たちは必死に追いかけてくるけれど、一向に追いつけない。それどころかどんどん差は開いていく。

 足の速さだけは自信があった。というより、足の速さしか取り柄がなかった。

 だから、街から街へ彷徨い歩いて盗みをはたらきながら生き延びている。この世ははっきりと二つに分かれていて、分けられた片方は大人も子ども街中で惨めに生きている。この街では特に子どもが多いみたいだ。

 生まれた時から貧しい世界で生きる親も身寄りもいない人間にはまともに生きる術がないが、幸いなことに俺には誰からも捕まらないこの足がある。それだけを信じて今までずっとやってきた。

 さぁ、このまま街から逃げ出して終わりだ。大きな街だからまだ入り口は遠いけど、追いつかれて捕まることなんて万に一つもない。


「待って!」


 突然、進行方向に人が立ちふさがった。

 女の子だ。

 慌てて体を急制動し、ぶつかる寸前で立ち止まる。

 危ないだろ!と怒鳴ろうとするもグイッと左腕を掴まれる。


「お前、保安官か何かか?」


 街を巡回しながら警備している保安官は俺にとって厄介な存在だ。とはいえ、こいつがその類でなさそうなことはわかっている。本物だったら、声なんてかけずに掴みかかるか、殴りかかってくるはずだ。


「同業者よ。それより今街の外に出るのはまずいわ。あいつ、この街だと結構な権力者だからすぐに街の入口を封鎖して警備を固められるの」


 それはさすがに分が悪い。


「だから、しばらく身を隠したほうがいいわ。いい場所知ってるから、一緒に来て」


 そう言うと、少女は掴んだ俺の腕を引っ張って行く。反抗する理由もないのでおとなしくついていくことにした。

 彼女が嘘をついているとは思わなった。

 埃を被ったあちこち破れた服と乱雑に跳ねた髪。俺を掴む少女の手首に巻かれた銀色のブレスレットだけが不自然に輝いていた。盗品に間違いない。

 少女に連れられた場所は街の外れにあるボロボロの空き家の地下。元々はレストランだったのか、たくさんの椅子と机が砕けて瓦礫の山になっている。

 少女もここで盗みをしながら生計を立てているそうだ。見つからないように姿を隠しながら家などに忍び込んで物を盗むのが専門。

 俺みたいなひったくるタイプとは正反対のやり方だ。

 少女は「あんな盗み方したら警備が厳しくなる」と散々文句を垂れた後、「同じ境遇のあなたを見捨てられなかった」とつぶやいた。


 それから俺は街中と入口の警戒が緩むのを待つことにした。その間も少女と共に小さな盗みを繰り返し、なんとか食い扶持だけは繋いでいった。大金を奪って走って逃げることだけが取り柄の俺には思いつかない、せせこましいやり方だった。不満げに少女にそうつぶやいたら頭を引っ叩かれて「ここを使いなさい。ここを」と呆れ顔で言われた。言っていることとやっていることがチグハグだ。

 文句を言いあいながら、時々笑って、汗水垂らして盗みを続ける。今までと変わらないクズみたいな暮らし。

 だけど、前よりはその……少しはマシだった。


 ある日、盗んだ服で着飾って、俺と少女は街に繰り出した。

 気分転換にたまにそういうことをしているらしい。盗人として顔が割れていたので正直不安だったけど、綺麗な服とちゃんとした化粧で偽ると案外気づかれなくなるものだった。

 影から覗きこむか、下から見上げるばかりだった俺の知らない世界は夜の星みたいにどこもかしこも輝いていた。盗品で着飾った俺たちはきっとその中でくすんで鈍った偽物の光を放っているんだろう。


「ねぇ見て。これ、どうかしら?」


 スカートの裾を掴み、ちょうちょみたいにひらひらと揺らして街中で舞う少女が一人。身に纏った衣装は盗んだ金で買ったもの。偽物の中で笑っているその顔だけは太陽にみたいに輝いて見えた。

 向こうに美味しそうな物を売っているお店があると少女が笑顔で駆け出した。慣れないヒールのついた靴が道の隙間に引っかかって転びそうになる。

 咄嗟に駆け出して、少女の腕を強く掴んで引き寄せる。


「そんなに速いんだったら、どんな遠くのものでも手が届きそうね」


 それはいとも容易く折れてしまいそうなくらい細くて、力を込めれば砕けてしまいそうなくらい脆くて、離してしまうのが惜しいくらい温かかった。

 頬を朱色に染めた少女がそっと口を2度動かした。


 逃げてばかりの人生で、はじめて何か掴み取った。


 その夜、うす汚れたボロボロのベッドの上で、「本当に足の速さしか取り柄が無いのね」と笑われた。


「悪かったな」


俺は悔しさを隠すように返事した。




時は巡り、街の警備もだいぶ落ち着いた頃、少女は言った。


「今日でこの街の盗みは最後にしよう」


 ここから逃げ出して、次の街へ行く。そこでまた暮らしていく。

 『一緒に』がつくかどうかは言うまでもない。


 街の小さな骨董品屋で店主の目が向いていないスキを狙って金目の物を盗っていく。すっかり身についたいつものやり方。

 だけど、運悪く盗もうとした品を落として割ってしまい、店主に気づかれてしまった。くそっ、こんな日に限って。走る以外のことは全然ダメだと舌打ちをする。

 俺と少女は慌てて逃げ出した。

 あの時みたいに全速力で駆け抜ける。このまま街を出てずっと先へ逃げていこう。

大丈夫。今日は警備も厳しくない。逃げ切れる。


「痛っ!?」


 俺の後ろを走っていた少女が突然バランスを崩したようによろめいて倒れた。右足から赤い線が地面に伸びて扇のように広がっていく。遠くにいた店主がボウガンを構えて、湯気が出そうなほど怒り狂った顔をでこちらを睨みつけている。街の警備は緩んでいたが、あちこちで盗みが続く街。それぞれが強く警戒するようになっていたようだ。

 俺は慌てて彼女を背負って、再び走り出した。


 荒い息が二つ。リズムがずれて聞こえてくる。一つは俺の。もう一つは少女の。

追ってくる影が一つ、また一つと増えていく。

 二人の必死な呼吸音は迫ってくる音に徐々に掻き消されていく。


「本当に足の速さしか取り柄がないのね」


 少女はまた笑ってそう言った。


「悪かったな」


 俺は悔しさを絶対に滲ませないように返事した。


「置いていって」


 耳元で囁かれる少女の声。


「このままずっとどこまでも、走って、走って、走り続けて。遠くの何かを掴んでみせてよ」


 私の分まで。


 そんな言葉は聞こえなかった。聞こえなかったんだ。


 ドン、と背中を押された。少女を支えていた両手と背中がその温もりを手放した。

 何かが地面に激しく擦れる音がした。痛みをこらえる誰かの声がした。一瞬だけ振り向くと少女はそれでも優しく微笑み続けていた。

 そして、体がウソみたいに軽くなる。


 ひどくぼやけた周りの世界が視界の端から端へと流れては消えていく。

 走れ、走れ。止まるな、走れ。逃げるな、走れ。

 俺は足が速さしか取り柄がないのだから。




 力の限り走り続け、隣の街へ、遠くの街へと走り続けた俺は、とある街で見知らぬ誰かに呼び止められた。

 そんなに足が速いのなら保安官に向いているぞ、と。

 俺なんかが、と鼻で笑って冗談まじりで試験を受けたら、皮肉にもすんなりと保安官の仕事に就けてしまった。

 最初は小さな街で働いたが、検挙数を増やしていくうちに大きな街へと異動するようになり、なんの因果か十数年ぶりに、あの街へあの頃と全く違う姿で戻ってきていた。


 あの頃から変わらず、飢えた悪ガキがうろついている。


「このっ!離せ!」


 今日も一人、ボロい服を着た子どもを捕まえた。

 あの少女によく似た子どもだった。


「お前、お母さんは?」


「いない。少し前に死んじゃった」


 少女があの後どうなったのか。この子どもが一体誰なのか。それを知る術はない。

 今はわかっていることは、走って掴んだこの小さな手を離してはいけないことだった。


 

 それから、また月日は流れて。俺は小さな街で小さな家を買った。

 今は身寄りのない子どもたちとそこで暮らしている。

 専らの悩みとしては生活資金が心許ないこと。というか足りない。また盗みを……いや、それはもうやめておこう。

 ふと、街の掲示板に1枚の紙が貼られていた。


「ふむ、王都で主催のレース大会……。そんなものがあったのか。ん?ほほぅ、賞金はかなり高そうじゃないか」

「ねぇ、父さん。その大会に出るの?」


 あの日捕まえたこの子にはすっかり懐かれて、いつの間にか父親と呼ばれるようになった。どこか恥ずかしくてなぜか寂しくなってしまうので、勘弁してほしいところではあるのだが、この子が笑っているのならそれを止めさせる理由はない。


 きゅっと俺の服の裾を掴んで質問を投げかけた少女の手を、優しく握る。


「俺は足の速さしか取り柄がないからな」


 俺は自信を持ってそう返した。

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