銭と刀
和泉茉樹
第0話 二人の始まり
この国は平和である。
しかしまだ剣を取るものがあり、軍があり、悪党もいる。
商人たちは力を蓄えるが、民衆の誰もが豊かさを実感するまでには至っていない。
貴族たちは必死に自分の権益を守りながら、国というものを動かしている。
帝は全ての上に君臨する。
広い国にはいくつもの都市があり、それぞれを治めるものが、過不足ない統治を行い、不安定なものは小さく、全てが落ち着いている。
帝がおわす都市、中央天帝府は、二重の城壁に囲まれた、最も栄える都市として人々で賑わい、華やかだ。
争いのない国の、夜のない街。
中心地である。
◆
一人の少女が天帝府に通じる街道を足早に進んでいる。服装は派手ではなく、質素だった。擦り切れているところもあるが、補修されている。
歳の頃は十三、四。真っ赤な瞳は真っ直ぐに前を見て、これも真っ赤な髪の毛はこの時は一つに括っている。
朝日の差す新鮮な空気の中、頬は上気している。
靴は使い込まれていて、汚れているが、それが少女の躍動感を如実に表している。
天帝府の街が見えてくる。そびえ立つ外壁と、その外にまで並ぶ多くの建築物。
この国の都。
少女がついに堪えきれなくなったように駆け出し、街道を行く人々や荷車を追い抜く様は、風が吹くようだった。
少女の名前は、蒼華・ブルウッド。
この時は何者でもない、ただの娘に過ぎない。
◆
少年と青年の間と言ってもいい年頃の男性が、渋面で刀を手に取っている。
一度、目を閉じて息を細く吐く。
場所は天帝府の内壁と外壁の間にある遊郭の一室だ。用心棒が詰める部屋で、青年以外には誰もいない。
もう一度、青年は息を吐くとゆっくり立ち上がり、腰に刀を差した。
音を立てずに廊下へ出て、彼は足早に遊女が休むための部屋まで、誰と会うことなく、まるで影が動くように移動する。
戸をそっと開けると、幼い遊女が驚いたように顔をあげる。その頬は熱を帯び、目元は赤く腫れていた。
身振りで青年は遊女に合図し、それで遊女が質素な上掛けを羽織った。二人はそのまま建物の裏手まで駆け足で行くと、裏道まで出て青年は銭を押し付けるように渡した。
これには遊女も突き返そうとしたようだが、青年は銭を押し付け、その背中を押す。
遊女が一歩二歩と通りへ出て、不安そうな表情で振り返る。
青年がかすかに頷いた。
その小さな動作で励まされたのか、深く頭を下げてから、意を決したように遊女は駆け去っていった。
青年はしばらくその、夜の薄暗がりの中に消えていく背中を見送り、建物へ戻った。すでに建物からは男や女の歓声や嬌声が聞こえ、楽器の音も重なって響いている。
青年の表情が苦り切っているのは、これからの騒動を考えているからだろう。
遊女を勝手に逃すなど、許されるわけもない。
廊下を歩きながら、青年は何かを決めたようで、一度、腰の刀の柄に手を置いた。
彼の呼吸が整えられただけで、刹那だけ、全ての音が消えたようだった。
青年の名前は、瞳・エンダー。
因縁の多い、剣士である。
◆
国は平和だ。
人々も穏やかに日々を送る。
しかしそこには、何もないわけではない。
人々の営みがある。
物語は、赤い瞳と赤い髪の少女が、天帝府の一軒の商家の前で足を止めるところから始まる。
(続く)
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