第9話 発想

     ◆


 私は饅頭の入った籠を背負って、策州の街を歩いていた。

 今日はとにかく、饅頭が売れない。気候が暑くなってきたせいかもしれない。籠にはまだ十個は残っている。

 これはどうも、店主から銭をもらえないかもしれないなぁ。

 前から売れ残りが多ければ報酬は無し、と言われている。あの小さな饅頭屋を見れば、それほどの余裕はないのはわかるけど、私もタダ働きというのは辛い。

 銭が欲しいというより、成果が欲しい。

 まるで一日が無駄になるみたいで、嫌なんだ。

 通りを外れて、民家の密集した地区へ進む。声を上げても、人が出てくるようではなく、子供がなぜか焚き火をして遊んでいた。同じ年くらいの四人の男の子たちが、どこで集めたのか、枯れ枝をくべて、今、それは煙と一緒に炎を上げている。

 あの炎で饅頭を焼けば、少しはマシになるかな。

 いやいや、凄い煙が上がっているし、美味しくなるわけもない。煙臭くて食べられないだろう。ただ、煙でいぶす食品もあるにはある。

 何気なく立ち止まって炎を見ていると、一軒の建物から中年女性が出てきて「何しているの!」と怒鳴った。子供たちより私の方がその剣幕に驚いたほどだ。

 女性は何か言いながらそばの用水路か何かから水を桶ですくい、焚き火にかけた。

 短い音の後、煙が一瞬、強くなり、子供たちが騒ぎ出す。女性は何か怒鳴りつけ、子供達はやっと駈け去った。

 私もそこを離れようと思った。

 思ったけど、何かが引っかかった。

 焚き火? 水?

 ……煙か。

 長い旅をする人が保存食として、肉や魚を煙でいぶしたものを持ち歩くらしいとは、確かだろうか。

 しかし饅頭を燻したところで、大して意味はないだろう。

 あーあ、今日はもう、だめか。

 一歩踏み出して、まだ何かが引っかかっているのがわかった。

 歩きながら考える。

 煙ではない? でも、煙しか見なかったし。

 一瞬、強く煙が大きくなった。何でだろう? それに白く染まる……。

 あれは火と水がぶつかって、水が蒸気になったんだろうか。

 蒸気……。

 蒸気?

 蒸気か!

 唐突に全てが一本の線になった。

 こうしてはいられない。何か、方法を考えないと。

 足早に饅頭屋へ戻り、店主に売り上げを報告すると「今日の報酬は無しだ」とそっけなく言われた。私は無言で頷き、そんな私に何かを感じたらしい店主は、ボソボソと、売れなかった饅頭を好きにしていい、と言った。

 頭では別のことを考えてるので、「わかりました」とほとんど反射的に答えていた。

 私は納屋に戻り、瞳はいないので、一人で納屋に置かれたままになっているガラクタの山を漁った。

 蒸気を出すには、まずは熱だ。何かを熱して、そこに水をかける。

 石でやってもいいけど、持ち運ぶのに手間がかかる。石は重いし、熱を込めるのが難しい気がする。

 それなら、金属か。

 納屋の奥に饅頭屋で使ったのか、何かの板のようなものがあった。金属でできている。ちょっと大きいかな。

 しかしまずはこれで、実験だ。

 私は一度、饅頭屋の店舗へ戻った。店主が珍しく驚いた顔をしているところへ、炭をもらえないか、と言ってみた。

「炭? 何に使う?」

「それは」

 言葉は自然と出た。

「饅頭を売るためです」

 店主は無言でこちらを見据え、しかしすぐに炭を幾つか、籠に入れて渡してくれた。

 礼を言ってもう一度、納屋へ戻り、外に出て金属の板が炭で熱されるようにどうにか設置して、しばらく板が熱くなるのを待った。

 その間に、板の上に饅頭を吊るして置くものを即席で作った。金属の網みたいなものがあれば楽だけど、そんなものはないし、今はあやふやに思いついただけなので、適当に納屋にあった壊れた蒸籠を引っ張り出してきた。

 板は熱くなったようで、煙がうっすらと見える。

 水だ。水を汲んでこなくちゃ。

 私はそばの井戸から普段、食事に使っているお椀に水を汲んできた。

 そうして冷めて硬くなった饅頭を破れている蒸籠に入れて、うっすらと煙の上がる板の上に木の枝を支えに無理やり固定し、一度、深呼吸した。

 よし、やってみよう。

 お椀の水を一気に板にかけた。

 ジュッ! と音がして蒸気が上がる。しかしその白い靄はすぐに消えてしまった。

 恐る恐る、蒸籠の中の饅頭に触れてみると、かすかに暖かいけれど、その熱はあっという間に消えた。もちろん、柔らかくなるわけもない。

 もっと工夫すればうまくいく、かも……?

 でもそれには、こんな適当な、いい加減な板、壊れた蒸籠、少ない炭では無理だ。

 実際に何か、形になるとしても、元手になる銭がないとどうしようもない。

 その銭を稼ぐには、何日も何日も、あるいは半年、もしくは一年、毎日のように饅頭を売り歩かないと、ダメかもしれない。

 結局、ダメなんじゃないか。

 落胆していると、そこへふらっと瞳が帰ってきた。

 私が組み立てた装置を見て、首を傾げる若い剣士は、こちらを見て、途端にちょっと怯えた顔をした。

 私がじっと見据えてやったからだ。

 八つ当たりだけど、それを抑え込めない心理状態だった。

「何かの実験か?」

 気を取り直した瞳がそばへやってくる。私はそっぽを向いた。彼は仮設の装置をしげしげと見ているようだ。

「饅頭を温めていたのか?」

「悪い?」

「今日の夕飯のためか?」

「売り歩くためよ!」

 思わず瞳をより強く睨みつけると、彼は真面目な顔で私を見て、それから改めて、念入りに目の前の装置を見始めた。何を考えているかわからない眼をしている。

 しばらく二人で黙っていたけど、すっと身を屈めていた瞳が立ち上がった。

「この装置は試作品か?」

「はぁ? 試作品なわけないでしょ。試作品どころか、ただの確認! 本当はもっとちゃんと道具を作りたいわよ。銭さえあればね!」

「いくらあればいい?」

 思わぬ言葉で、理解するのに時間が必要だった。

 いくらあればいい?

「あんたが稼いでくるの?」

 悪いか? と瞳は笑っている。

 まさかこの男にそんなことができるとは思えないけど、嘘を言っていたり、虚勢を張っているようではない。

 本当に何か、伝手があるのかな。

「いくらだ?」

 もう一度、確認されて、私は腕を組んでうつむき、唸るしかない。

 いくら、必要だろうか。

 私は考えた。

 考え続けた。



(続く)

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