22 : Take my hand - 02
ソラネンの街は不思議なバランスの上で成り立っている。
各々が各々の理想を追いながらも、究極の部分ではお互いを尊重することが出来る。思いやりを忘れていない、それでも実利や真理を追い求める姿勢がある。サイラスはそういう街に生かされてきた。だから、これはただの報恩なのだ。
サイラスの中では既に処理の終わったことを淡々と告げると向かいの椅子に座っていたシェールが「失礼」と前置いてサイラスの頬を平手打ちする。瞬間、乾いた音がしたと思ったらサイラスの頬が急激に熱を持った。
「馬鹿ですか、君は。君の理想の為に多くの人が迷惑を被っているのですよ。切羽詰まるまで自分で抱えて、抱えきれなくなったらから人に頼る、だなんて馬鹿もののすることだと王立学院では教わらないのですか」
シェールは騎士ギルドの中で最も穏やかな騎士であると名高い。
そのシェールが語調を荒げてサイラスを叱責している。状況が呑み込めなくて混乱するサイラスを置いて二人の指導者たちはそれぞれの表情を見せた。リアムは苦虫を噛み潰したような顔をしてこちらを見ている。頑張れ、とリアムの唇が音もなく動いたのが見えた。
「シェール副団長殿。それは、トライスターの座にあるがただの十九の若造だ。もう少し手加減をしてやらんか」
「いいえ、老師。こういうことははっきりと言っておくべきなのです。この大馬鹿ものがソラネンの街を守護している、と皆知りながらそれを傍観していた僕たちも同罪なのですから、きちんと言っておくべきなのです」
「えっ――?」
今、シェールは何と言った。聞き違いだろうか。サイラスがこの街を守護していると皆知りながら、という台詞が聞こえたような気がしたが聞き違いではないのだろうか。
混乱がサイラスの胸の内を満たす。
こんなどうしようもない気持ちになったのは多分十年前のあの夜以来、初めてのことだ。
尖塔は魔術師ギルドだけあって暗澹としている。小型の魔術ランタンが部屋の四隅で青白い炎を灯しているのは自然な光景なのに、どうしてだか急に冷や水を浴びせられたような感覚を与えた。
「サイラス・ソールズベリ=セイ。君の傲慢を責められるほど僕たちは清廉ではありませんが、僕は敢えて言いましょう。君は君の自己犠牲に酔っていただけで、皆、君が人柱であることを知っていました」
「なら――どうして」
「君がソラネンの住人であろうとしているからに決まっているじゃありませんか」
王都ジギズムントを離れ、単身ソラネンの街へやってきた。その新天地で元々は子爵家に生まれたのだと驕らずに自らに何が出来るかを必死に探していた。自らの居場所を勝ち取るための戦いを続けてきた。その姿を評価されたのだ、とサイラスはぼんやり理解した。学問を追ってきてぼんやりとしか理解出来ない理論などなかったのに、シェールの一言がどうしても明瞭には理解出来なかった。
「トライスター。よく覚えておいてください。人は決して一人で生きることは出来ないのです」
「であれば我らは集い、力を合わせ、そうして営みを続けていくのだ」
「その中には不条理もあるでしょう。納得の出来ないことも数えきれないほどあります。それでも」
「おぬし一人が諦めなければならんことなぞ、何もないのだ。トライスター」
それが、人として生きる、ということだと人生の先達である二人は言った。
サイラスの十九年は決して順風満帆だったわけではない。幾重もの挫折の果てに今がある。その道のりの一つたりとも否定しなくてもいい、と言われてサイラスは後頭部を強か殴られたような感覚を受けた。自己不全感に屈しなくてもいい。無能感を抱く必要もない。それでも人は万能ではなく、人の助力を必要とする。
だから。
「トライスター。今日よりこのソラネンの皆が共犯者だ」
「ウィリアム君の提案も僕たちは受け入れましょう。魔力が足りないのであれば当分の間は僕たちの分をお使いなさい」
「ハンターと鍛冶師の連中には我が話を付けておくゆえ、おぬしは指示を出しておればよい」
そうであろう、盗み聞きをしている魔術師の諸君。
クラハドがゆっくりと立ち上がり、つかつかと歩いては部屋の扉を内側に開く。その戸板に寄りかかっていた尖塔の魔術師たちが支えを失って、部屋の中へと崩れ落ちる。その中にはサイラスの先触れを務めてくれたシキ・Nマクニールの姿もあった。
「トライスター。我らは皆、ソラネンを愛しておる。その気持ちは決しておぬしに引けは取らんよ」
「カーバッハ師。私はこれからもここにいてもよいのだろうか」
「まったくまどろっこしい若造であることだ」
「トライスター。僕たちは君を全力で守ります。それがこの街を守ることになるからだ、ということをこれ以上説明させないでくださいね」
クラハドとシェールが顔を見合わせて困ったように笑った。
出来の悪い子どもの面倒を見ている、という顔をしている。そんな風にサイラスのことを慮ってくれる大人なんてもういないと思っていた。サイラスは職を得ているから成人として扱われる。子どもではないのだから、自分のことは自分で面倒をみなければならない。ということをサイラスは心得違いしていた。
自分で生きる、ということと誰とも関わらないということは決して等号で結ばれることがらではなかった。
だから。
「カーバッハ師。先ほど師はこの街をどうやって守るのか、と問われた。その質問に答えたい。私は――」
枯渇しているサイラスの魔力を古代魔術で補う。それには丸一日程度の時間を要する。その間に鍛冶師協会に当たって魔力を帯びた武器を集める。それと並行して簡単な術式の古代魔術を用いて外壁の外側に罠を仕掛ける。仕掛ける地点はハンターギルドがよく把握しているだろう。それを踏まえて効率的に設置する。役所へは今からサイラスが報告に向かう。許可を得るのではない。あくまでも報告に向かうだけだ。ただ、役所は許可はくれずとも黙認してくれるだろう。
そんなことをつらつらと語るしかない自分の非力さを嘆くことはしない。
足りないのならば補えばいい。補うのは独力でなくていい。この街にはソラネンを愛する数多の同胞がいて、同じようにソラネンの明日を願っている。同じだけの思いの強さでなくていい。怖じてもいい。腰が引けていてもいい。ただ、明日をこの街で生きたいと願っているのなら、少しでも美しい明日に貢献出来るだろう。
だから。
だから。サイラスは指導者たちが見守る中、現役の魔術師たちへの質疑応答に答えた。
その中でまだ何か不安要素が残っているとしたら、例のダラスがどうしてこの街を守っているのが「マグノリア」であると判別出来たのか、だろう。魔獣の中でもダラスは群れない種族だ。お互いにお互いの縄張りに対して不可侵であることを大前提としている。だから、他のダラスの名など知っている筈がないのだ。
それに。ソラネンの街を覆っている魔力はサイラスのもので上書きされている。外部からマグノリアの所在を知るすべはなかった。だとしたら、ダラスはどうやってマグノリアのことを知ったのか。
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