20 : Follow me - 02
だから。
「頼りにしているぞ、マクニール」
今まで一度も彼を称賛したことがなかった自分自身にも気付いた。
強い語調で詰られるだけだったから、サイラスもまた素っ気ない態度を通してきた。
その、お互いの目線が同じ方向を見ているのなら、今更敵対するだけの理由もあるまい。
素直にシキを信頼していると告げると、彼は幻聴でも聞いたかのような顔をして固まった。
「なっ……!」
そんなシキのフォローをしている時間はない。
シェール副団長が尖塔に行ったということは、この都市における指導者のうちの二人がそこに揃っているということになる。魔術師ギルド――尖塔の指導者は尖塔で寝起きしているから、この騒動に居合わせていないとは考えられない。
つまり。
「リアム、尖塔だ。多分、あそこが一番大騒ぎしているだろう」
「蜂の巣を突いたみたいな?」
「精神防衛が不十分だったものが昏睡している可能性もある」
経験の浅いものは魔術干渉をやり過ごすすべを知らない可能性がある。
無限に繰り返される悪夢に心が折れて、精神を持っていかれるものがいないとも限らない。尖塔の管轄は魔術師だから、ソラネンにおいて最も広く魔力保有者が分布している。裏を返せば、魔術的弱者の絶対数が一番多いのもまた尖塔であると言えよう。
そう、リアムに告げると彼は一瞬だけ固まって、それでも石畳の上を駆け出したサイラスの後を付いてくる。
「それってやばくない?」
「リアム。お前が今朝、目覚めてから『やばくない』瞬間があったのだとしたら後学の為に教えてくれ」
「もー、そういうときは素直に『やばい』とか『超やばい』とか言えばいいじゃん」
やばいな。やばいやばい。そんな軽口を叩き合えるだけの余裕があるならば、尖塔での交渉もそれほど困難ではないかもしれない。先に駆け出したサイラスよりも傭兵であるリアムの方が脚力がある。あっという間に追いつかれて先導された。
その背中の向こうから、大きな声が響く。
「トライスター!」
「何だ、マクニール。まだ用が残っているのか」
「俺も連れていけ! どうせ貴様のことだ無理無謀無茶は信条などと寝言をほざく前に俺の目の届く範囲で貴様の手助けをさせろ!」
サイラスの脚力を考慮して速度を緩めたリアムの隣まで何の苦もなく並んだシキが全力で吼えた。
吼えた内容が怒色に満ちた声色と相反して親切心に溢れている。
何という思いやりに満ちた怒号だろう。こんなにも面白いやつだということを今まで知らなかったのがもったいない、とすらサイラスは思う。
「リアム。これは近年類を見ない不器用の標本なのだが、私は何を採択するべきだと思う?」
「大は小を兼ねる、らしいし選択肢は多くて困ることもないから坊ちゃんも連れてこう?」
困ったらシェール副団長に押し付ければいい、とリアムの言葉の外にある。
その言外の部分を一切、察することなくシキはサイラスの答えを待っている。溜息が漏れた。ソラネンの街は未だかつてない混乱の中に突き落とされようとしているのに、なのに、問題が具体化する度にサイラスは思った。この街に、サイラスの居場所が確かにある。そのことを何度も何度でも確かめながら、そういうかけがえのない場所を守るのだという気持ちを強くさせた。
「ということだ。マクニール、尖塔への先触れを任せたい」
「ああ! 安心して俺に任せろ! お前たちが来るまでの間に俺が――」
「いや、マクニール。私の訪問だけを告げろ。それ以外のことはなるべくしてくれるな」
迷惑だから、とはとても言える筈がなかった。今のシキを見ていて迷惑だなんて思える筈もない。
だから。
「マクニール。『ありがとう』」
感謝の気持ちを言葉にした。振り返ってサイラスを見るシキは驚きではなく、順接の表情を纏っていて、そうしてサイラスはもう一つのことを知った。
シキの中ではサイラスはとっくのとうに同胞だった。このソラネンの街にあり、平和と探求を享受する要素の一つだった。
だからだろう。
「礼は全て終わった後に言え。俺も貴様と同じだ。感謝の言葉が聞きたくて善行をしているのではない」
シキはそれだけを明瞭に言い終えると踵を返して、サイラスでは到底追いつけないような速さで尖塔へと向けて駆け出した。瞬きをする間に遠くなる背を追って、サイラスもまた止めていた足を前へと踏み込む。
学問の道には幾つもの正解の形がある。条件によって分岐し幾重にも検証されることで姿を変え、そうして人の主観が導くままに幾千幾億の答えを導き出すのが本当の学問だ。
その道程を知りたくて、条件がどこまで変わるのかを確かめたくて、ソラネンの誰もが今日も明日も道の先にあるものを追いかけている。
「セイ、ここはいい街だな」
「奇遇だな。私も今、そう思っていたところだ」
「奇遇じゃないだろ。必然だよ、セイ」
お前と女将が十年も守ってきた大切な街じゃないか。
言って隣を走るリアムが闊達に笑った。この切迫した状況下でよく笑えるな、と思ったが気が付けばサイラスもまた微笑みを返している。リアムというのは不思議なやつだと改めて思った。
そんな二人分の足音が石畳の上を調子よく駆け抜けていく。
ソラネンの青空に突き刺さった尖塔の足元に辿り着くまで残り数分。その数分の間にシキはいったいどんな連絡をしてくれているのだろう、と思うと不思議と不安はなかった。
騎士ギルドと魔術師ギルドの上役たちを説き伏せる必要すらなかった、という驚愕の事実と対面する未来をまだサイラスは知らない。
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