地下道《ちかみち》

其乃日暮ノ与太郎

哀れな働き蜂

「オイっ」

(‼)

プラタナスが規則正しく植えられた並木通りで男がおやつ代わりに食べていたカレーパンを放り投げて突然スタートダッシュを決めた。

(何かヤバいっ)

ここは地方都市の郊外にある真っ昼間の住宅地。

「待てぇコラぁぁ」

背後から追い立てられながら上村祥吾はモスグリーンのミリタリー調作業着姿で振り変える事無く全速力で突き進む。

(あん時みたいに動けっ)

6年前には自慢だった元サッカー部員のツータックパンツを履いた足の回転は漸く波に乗り、電柱支線が設置された交差点を横目で後方を確認しつつ勢いよく右折する。

(あの野郎、迷わず俺に向かって来やがったっ)

そのまま両脇に白線が引かれていない道に入り、様々な佇まいをした近代的住宅が並ぶ間を先走る逃げ果せたいという思いを押さえながら一目散に逃げた。

(狙いが定められていたかのようにっ)

建築基準法ギリギリであろう道幅のそこは二百メートル辺りでT字路にぶつかり、減速することなく左折する。

(目的はコレかっ)

そう思い至った青年は急にナイロンにウォッシュ加工を施した黒のメッセンジャーバッグの場所が怖くなり、アスファルトを蹴立てたままで背中から胸に回し直した。

(畜生ぉ)

次にたった数メートルで右折カ所を見つけすぐさま突っ込んで行く。

(何でこうなったっ)

しかし、曲がったはいいがそこは一見して五百メートル以上伸びる道路だった。

(チッ、まだ続くのかっ)

ここで上村は加速し直してから一瞬だけ振り向き、人気ひとけは無いが場所柄から怒声を上げずに今尚ひたすらに追いかけて来る人間を目の端に留め背筋に冷たいものが走る。

(誰だアイツっ)

青年は追って来る痩せぎすカジュアルスーツ男から即座に向き直り、解を求めることをしている場合では無いと切り替えて長躯に入った。

(千切れるかっ)

その後は無心に脚力を最大限に発揮し、学生時代にピッチを三往復したのと同等のタイムで正面に横切る商店街らしき通りにぶつかる。

(どうだっ)

ここの選択で右手前角に建つ家具屋を曲がる事とした男がその際に駆け抜けた方向を片目でチラ見すると、直線はむしろ好都合だったらしく差がかなり広がっていた。

(イケっ)

それを励みにして掠める様に折れた道路にはこじんまりとした店が並んでおり、左四軒先の薬局の向こうに現れた曲がり角が視界に飛び込んで来た青年は歩行者を気にしながら斜めに横切りそこを最短距離で折れる。

(イケるっ)

店舗の陰に我が身が消えるまでに後方を確認した時に相手の姿は見えなかった事に安堵せず五十メートル程度先の路地を見つけ、敷地を囲った壁にひびが走る角を右折し、一軒家三つとアパートを越してぶつかったクランクを道なりで進む。

(イケた筈っ)

小振りな民家を三戸分やり過ごした後その小道は一気に開け、インターロッキングで組まれた歩道に当たった上村は、低い植え込みを備えた片側一車線の道路を通行車両をかわすようにして突っ切り歩行者を縫いながら北へ疾駆し、その後体感七秒くらいで鉄道高架橋手前の進入禁止を知らせるポールの立つ小路に入る寸前で振り返ると追手の気配は無く、

(よっしゃ)

と心でガッツポーズを引いて居酒屋や中華料理屋、スナック等々の店前を通り過ぎた橋脚の陰に身を隠した。


「ㇵッ、ハッ、ハッ……もう大丈夫だろ、ハッ……」

その流れでコンクリートを背にしてしゃがみ込み、ここで乱れる呼吸を整えつつ何故こうなったのかを分析してみる。

(奴はいきなり現れた。あそこに到着してから終始用心していたのにも拘わらず)

青年は痛みが走る左脹脛ふくらはぎを揉みしだきがてらもう一つの手をバッグに当てた。

(間違いなくこの中身の件だ。だとしても、どっちだろう)


ここから事の真相が明らかになる。


(クスリの縄張り争いで敵対する組織の方だと考えるのが妥当か。噂であっちがコレを盗もうとしているのを知ったからこの計画を思い付いたからな。毎日こき使われたまま何時までも下っ端なんかやってられないぜ)


大方使いっ走りに嫌気が差したって所なのだろう。


(それとも身内だった奴等に裏切りがバレたのか?いや、それは無い。俺は何処にも漏らしてないし不用意に口走った記憶も無い。細心の注意を払って綿密な打ち合わせをして取引場所を目立たない住宅街に指定したんだ。俺はこの日を待ってた)


要するにこの男は私利私欲に走ったらしい。


「俺はコレを中国マフィアに捌いて大金を掴むんじゃいぃ」


そう強めに呟いて胸元のバッグのファスナーを引っ張ると、そこには今まで所属していた組織のキングが全精力を注いで可愛がっていたブルーサファイアジャンガリアンハムスターがつぶらな瞳で上村を見つめていた。

「まさかコイツの誘拐計画が練られていたとはな」

男が人差し指で小動物の頭を撫でた矢先に自らに向けられる視線を感じ瞬時に顔を上げると、さっきの痩せぎすが仲間を二人引き連れて自分に向かって来ていた。


「チッ、2ndleg《セカンドレグ》が始まっちまった」


そして上村祥吾は再度スタートダッシュを決め、ゴールを求めて西へと走る。

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地下道《ちかみち》 其乃日暮ノ与太郎 @sono-yota

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