キミのため、走る

@yamakoki

ヒーロー

 ピッチャーの挙動を観察する。

 あのピッチャーはクイックが甘いから、多少スタートが遅くても行けるだろう。

 俺はそう思い、次の球を投げたところでスタートを切った。


「げっ!?」


 もう少しで二塁に辿り着けるというところで、捕手がボールを二塁に送球した。

 マズい、このままでは間に合わない。

 

 咄嗟のスライディング。


 俺の左腕がベースをタッチするより早く、相手の二塁手がグローブを差し込んだ。

 指先がグローブに当たる。


「アウト!」


 塁審が声高らかに宣告する声が、どこか遠くに聞こえた。

 あの時と同じ。

 一年生のころ、甲子園の決勝でサヨナラホームランを打たれたときと同じだった。


 野手に転向しても俺はチームの足を引っ張ることしかできないのか。


「まだまだだな、須藤。相手のピッチャーの作戦にまんまと嵌っているぞ」

「わざとクイックを甘めに見せることで盗塁を誘う。建人も随分と警戒されてんな」


 厳しい表情をする監督の横で、うちの高校のエースである安藤先輩が苦笑する。


 盗塁は一般的に三球以内にスタートするものなのに、二球を餌に使った。

 全ては最後の一球。

 すなわち三球目に盗塁死させるための伏線だったというのか。


「申し訳ありません……」

「もっと頑張ってもらわないと困る。今年の決勝はお前にかかっているんだからな」


 監督の表情がやや和らいだ。


 昨年、俺たちは甲子園に出場して決勝戦まで駒を進めた。

 一回表に相手投手の乱調で五点を先制したが、その後は追加点を取れなかった。

 試合中にちゃんと復活するあたりはさすがエースというべきだろうか。

 相手打線はそんなエースを助けるべく奮闘し、うちの前エースは四点を取られた。

 

 一点差で迎えた最終回。

 なぜか監督は、一年生の俺をマウンドに上げた。

 あの時は嬉しかったな。


 どうにか期待に答えようと変に力んでしまい、最悪の形で先輩たちの夏を終わらせてしまった。


 サヨナラ負け。

 完璧なホームランを自校の応援席に叩き込んだのは、五失点した相手投手だった。


「はい、頑張ります」


 当然ながら俺をマウンドに上げた監督に批判が集中。多数の人間が退部した。

 三年生は安藤先輩しか残っていないし、二年生も俺しか残っていない。


「僕を勝たせてくれるんだろ? それなのに紅白戦ごときで盗塁死なんて論外だね」

「すみません……」

「彼らと同じくらい明日の相手は君のことを分かっていると思った方がいいだろう」


 安藤先輩はそう言って、タオルで汗を拭った。

 明日は甲子園の決勝だ。


 安藤先輩と一年生の奮闘に支えられたうちの野球部は、昨年と同じく甲子園に出場していた。


 中堅部員の俺の仕事は代走の切り札。

 ここまでの五試合すべてで盗塁に成功しているが、紙一重だった試合もある。


 一人しかいない二年生として昨年の悲劇を繰り返すわけにはいかない。

 最後の一試合で確実に成功するために、もっと頑張らなければ。


 そんな俺の決意とは裏腹に、盗塁練習では五回連続で盗塁死を繰り返した。

 おまけに牽制球にすら上手く反応できなくなってしまった。

 基本が曖昧な一年生ですら刺せるのだから、エース級ピッチャーはお察しの通り。


「くそっ……」


 全員が帰った室内練習場。

 電気が消えて闇に包まれたベンチに座り、項垂れる。


 どうして成功しないのか。

 決勝という大舞台に体が恐れ慄いているのか、それとも技術が足りていないのか。

 五試合連続盗塁成功はまぐれだったのか。


 ほぼ無意識に一塁を踏み、大きめにリードを取る。

 相手が投球動作に入ったと仮定し、勢いよく地面を蹴りつけて二塁に走り出した。

 足からスライディング。


 本番さながらに盗塁の動作を繰り返していると、不意に声が聞こえてきた。


「うーん……走り出すのが遅い。おまけに視線が二塁方向に向き過ぎだ」

「安藤先輩?」

「躓いたら相手視点で見てみろ。相手の視点に立ってみて初めて分かることもある」


 ジャージ姿の安藤先輩が捕手が座る位置に立っていた。

 手にはボールが握られている。


「走るというのがバレバレだ。捕手でない俺でも刺せるだろう」

「じゃあ……」

「とことん付き合ってやる。俺お前の盗塁は絶対必要だと考えているからな」


 よく見ると、ベンチには一冊のノートが置かれていた。

 あれは監督のスコアブック?

 俺の視線に気づいたのか、安藤先輩は険しい表情でマウンドに登った。


「相手は典型的な投高打低のチームだ。今までの最高得点は三点、最高失点が二点」

「つまり一点が試合を左右するということですね」


 俺の言葉に安藤先輩が頷いた。

 一点を争うような試合の場合、盗塁が出来る選手がいるチームが有利になる。

 安藤先輩が必要だと断言する理由もわかる。


「でも、それなら俺でなくとも……」


 弱音が口から出た。

 スタメンで活躍している一年生の中にも、盗塁が出来そうな選手は何人かいる。

 今日の練習でも調子がよさそうだった。


 わざわざ調子の悪い俺が盗塁しなくとも、彼らに任せた方が良い結果になるのではないだろうか。


「俺が――キャプテンの俺がお前がいいと思っているからだ」

「ふふっ、何っすかそれ」

「次のキャプテンはお前なんだから、一回くらい格好いいところを見せてやれ」


 安藤先輩は茶目っ気たっぷりに笑った。

 確かに二年生は俺しかいないから、安藤先輩が引退した後は俺がキャプテンか。

 責任重大だな。


「俺はお前に自信をつけてほしいわけ。自信のない奴にキャプテンは務まんねーよ」

「…………」

「さっ、早速練習するぞ。この練習所だっていつまでも使えるわけじゃねぇぞ」


 安藤先輩の号令で、二人だけの特訓が始まった。


 ――走る。

「遅い! 足の動きをよく見ろ!」


 ――走る。

「視線が二塁に行き過ぎだ! 自分から“盗塁します”って申告してどうする!?」


 ――走る。

「良くなってきたぞっ! その調子だ!」


 もう三十回以上は走っただろうか。

 先輩から合格をもらえたときには、全身がカイロのように熱かった。


「明日は絶対に盗塁の指示が出る。そんときは頑張れ!」

「はい。チームを優勝に導けるように。自分が納得できる盗塁を出来るように」


 先輩からの温かい激励だった。

 しかしこれで最後になるわけだから、何か特別感を出したいな。


「そして……先輩を勝たせられるように」


 必死に紡ぎ出した言葉を聞いた先輩は硬直し、いつもとは違う笑みを浮かべた。

 そして俺の頭をゆっくり撫でる。


「俺はどうでもいい。重要なのはお前が何を掴めるかだ。雪辱を晴らす舞台でな」

「はい。失礼します」


 こうして、俺と先輩の秘密の特訓は終わりを迎えた。



『プレイボール!』


 翌日、ついに試合が始まった。

 監督や安藤先輩の予想通り、序盤から三者凡退の嵐が続く。

 味方打線は相手の投手を捉えきれず、相手打線は味方の投手を打ちあぐねている。


 試合が動いたのはなんと九回裏。

 ここまで無安打に抑えられていた味方打線にノーアウトからヒットが出たのだ。

 代走としてコールされたのは俺の名前だった。


「先輩、行ってきます」

「頑張ってこい」


 二つ後のバッターである安藤先輩に背中を押され、俺は一塁と二塁の間に立った。

 いつもより短めのリード。

 球審がプレイ再開をコールすると、場の緊張が一気に高まった。


 一球目、まずは観察に使う。ストライク。

 二球目、まだ走らない。外角高めに逸れてボール。

 三球目、俺はスタートを切らなかった。ど真ん中の球を打つもののファール。


 チラリとベンチを見ると、盗塁のサインを出した監督が困惑しているのが見えた。

 ベンチの横で素振りをしていた先輩は、爽やかな笑顔で笑っている。


 そして四球目。

 相手投手が投球動作に入ったところで地面を勢いよく蹴った。


 ひたすら走る。

 緩急をつけようとしたのか、遅いボールは盗塁に使える時間を増やしてくれた。

 判定はセーフ。


 これでノーアウト二塁に変わったものの、打者はショートフライでワンアウトに。

 なおもサヨナラのチャンスの場面で打席に向かうバッターは他でもない。

 我が高校のエースにして、唯一の三年生である安藤先輩だ。


 その一球目。

 俺はボール球を投げようとしていると判断して、一気に三塁を陥れた。

 打席で安藤先輩が苦笑いをしている。

 まさか三盗までするとは思っていなかったのかもしれない。

 

 二球目、三球目とストライクが続き四球目。

 ストレートを打ち損じたのだろう打球は弧を描いて、中堅手のミットに収まった。

 普通の走者であればスタートを躊躇うほど浅いが、俺は迷わずスタートを切った。

 

 先輩から教えてもらった走塁で、先輩をヒーローにするんだ。

 ホームベースに向かって、走る。

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