第7話旅ゆく肩-卑弥呼の旅団
(記2021/3/15)
引用句「旅ゆく肩落葉松の風草の風」(橋本多佳子 命終,261)
(読みかた:たびゆくかた からまつのかぜ くさのかぜ)
広い世界をほとんど知らない泡(あぶく)です。その泡が工女・匠さまの鍛えた宝剣・矛盾丸を振っている仕草は危なっかしくて、心ある人は眼をおおいたいかも知れないな。泡のふらつく足取り・体さばきでは的を絞ることも儘(まゝ)ならないのです。有り体に申せば、泡は矛盾丸を只ただ信じて振りまわしているだけなんです。矛盾丸の心に違わなければ自然に正答へ導かれる筈と、単純にそれだけの感覚で動いているのですから気楽というか呆れるほどの甘い感覚というしかないかもしれない。
そんな泡であっても一つはっきり言える。私は矛盾丸の説明の旅をしているのでありません。こんなこと胸を張って言うほどの事でもないけれど、哲学は哲学を学問することだと思ってらっしゃる人は多いし、同じように句の旅で句を学問しなければ何するんだとお思いの方はいらっしゃるだろう。それもあると泡は思う。そして泡の場合はそれと違う。このことを述べておきたいのです。目的が異なれば目的へ通じる道も違うのが当然ね。その場・其の時をオモシロく過ごす目的も分かるのです。
その集まりの参加者が幸せにオモシロく過ごしていけない訳がありません。今、泡のなかに卑弥呼の旅団が浮かんでいます。弱小集団・卑弥呼の群れが何旅団で構成されていたか、泡には分らない。1旅団だったかもしれない。巨大な旅団を備えていられたら卑弥呼の旅はなかったかもしれないと思う。弱小だから厳しい旅を強いられたとも思える。小さな卑弥呼の一行に逆巻く風も吹きつけたと思う。仲間が脱落しないように卑弥呼は旅団の隅々にまで気配りしながら苦しい旅を続けただろうな。
仲間を見捨てて進んだ旅だったのだろうか?共生ロマンの街道が穏やかだったと思う人は居ていいと泡は思うの。どんな人も居ていい。いろんな人の様ざまな感覚(アンテナ)、どんな感覚もどこかで必要になるときが必ずやってくる。草の陰から吹き上げる風もあるし、落葉松の枝葉から吹き降ろす風もある。どこから吹いてくるか、優秀な卑弥呼のアンテナだけで耐えられるのだろうか?みんなそれぞれの肩がアンテナ(盾)になって互いに護り合ってきて、今の私たちがあるのでないかしら?
泡のアンテナも少しは旅のお役に立てられるかなあ‥?
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