凛々しき王女の求婚

相内充希

凛々しき王女の求婚

 コナンは馬が好きだ。

 コナンにとってこの尊い生き物は、この世に生を受けて二十一年間共に寄り添い歩んでくれる存在だった。

 父は、「おまえは、歩き始めるより先に馬に乗っていたからな」と言うが、あながち間違ってはいないのではないだろうか。

 彼らに跨り走るときの一体感。それ以上のことなんてこの世にはない。

 それまでそう信じていた――。


  ◆


 コナンが三歳年下のエミリアに会うのはこれで三度目だ。

 一度目のときは、彼女が三歳くらいだっただろうか。

 叔父の別邸で馬の世話をするコナンを、興味深そうに見ている可愛らしい女の子だった。大きなピンク色のリボンと、ひらひらしたエプロンドレスが似合っていたことをなんとなく覚えている。



 再会したのはそれから十年ほどたってからだ。

 久々に叔父の家に行くと、彼女たち家族も避暑に訪れていたのだ。

(あれがあの時の女の子だったなんて、気付くはずがないよな?)

 コナンがそう思うくらいエミリアの印象は別物だった。

 一応ドレスを着ているものの、それは随分とタイトなデザインで、周りにいる令嬢のドレスとは印象が全く違った。他の令嬢の姿を大輪の薔薇に例えるなら、エミリアは若木というのだろうか。まだ十三~四歳の少女でありながら、すらりとした青年のような雰囲気なのだ。


 コナンの四つ年下の妹ルイーゼなど、庭でエミリアに花冠を作ってもらったとかで、彼女の大ファンになっていた。

「エミリア様ってばね、私に花冠を乗せてくれた後、とてもお似合いですよって微笑んでくださったのよ」

 きゃあと両頬を手で押さえ、いやいやをするように顔を振るさまは、

(恋する乙女か?)

 という印象だったのだが、多分、その印象は間違ってはいない。

 しかもそれはルイーゼの侍女や、コナン付きのメイドまで例外ではないのだから恐れ入る。

(彼女は王子様ではなく、イリシア国の王女だぞ?)

 内心では盛大に突っ込むが、彼女らの反応が怖いので口には出さないでいた。


 コナンの国ブレイカは、隣国マルカ同様イリシアの同盟国だ。曾祖父母の代には領地だったものが、それぞれ国として自治されるようになったという。とはいえ、王族はほぼ遠縁関係ともいえ、コナンの叔父は、エミリアからも少し遠い親戚である。

 他人ではないが深い関係でもない、何百人といる知人。

 事実この時も、彼女が家族の誰と来ているのかさえよく覚えていなかった。



 そしてこれが三回目。

 十八歳になったエミリア王女は美しかった。だが同時に、相変わらずの「男前」でもあった。


「コナン、会えるのを楽しみにしていたよ」

 そう言って微笑んだ彼女は、一瞬コナンの手に口づける。

「は?」

 普通逆だろうとコナンは固まってしまったが、なんとか笑顔を作り挨拶を返した。後ろから妹の視線が刺さって痛かった。


  ◆


「お兄様、ずるいですわ!」

 子どものように頬を膨らませるルイーゼの相手をする気にもならず、コナンはそそくさと愛馬ピテルに会いに厩舎へと足を運んだ。

(ずるいと言われてもなぁ)

 正直ため息しか出ない。

 本来手に口づけるのは自分の役目のはずだ。なのに先手を取られた。

 競争ではないが、なぜか無性に悔しい。女性に対してこんなことを思うのは初めてで自分の心に戸惑うが、胸の奥のモヤモヤはどうにもすっきりしなかった。


 コナンは今回、自分が彼女の結婚相手にどうかと呼ばれていたことに気づいていた。叔父は内緒にしているつもりのようだが、人の口に戸は立てらるものではないのだ。


 イリシア国王位継承第一位であるエミリア王女。

 彼女には十二歳下に弟のオズワルドがいるが、母親が平民出身であるため王子の称号はない。表向きコナンは、そのオズワルドの家庭教師として招かれているのだ。

 六歳のオズワルドは大変聡明な少年だと聞いている。

 実際さっきも挨拶をしただけだが、少し人見知りなところが自分と似ていて親近感がわいた。


「なあ、ピテル。オズワルドは可愛い子だったよ。教えるのが楽しみだ。家庭教師だけ引き受けて、結婚話に関しては叔父上が忘れてくれるといいんだがな」


 ふと、手の甲に触れたエミリアの唇の感触を思い出し、カッと頬が熱くなる。

(彼女は多分、夫ではなく妻を探したほうがいいんじゃないかな)

 強烈に焼き付いた彼女の瞳の色を振り払う。

 無性にピテルと走りたくなり、準備をしていると厩舎に誰かが入ってきた。


「コナン、遠出かい? 私がご一緒しても構わないかな?」


  ◆


 森の中を全速力で走っている。

 それまでコナンは馬で走ることに自信があったが、目の前を走るエミリアの技術には正直舌を巻いた。

(なんでこんなことに)

 一人で気晴らしに出るはずだった為はじめはそう考えていたものの、すぐにそんな余裕はなくなった。目の前を走る彼女を追いかけるので精一杯だったからだ。

 文字通り人馬一体ともいえるような走り。普段自分についてこられる人のほうが皆無なのに、今はついて行くことで精いっぱいなんて!



「さすがコナンだね」

 湖のほとりで止まった彼女は面白そうに目を輝かせて、ヒラリと馬から降りた。そのまま木に手綱を結ぶと、川の水を飲み始める彼女の愛馬を愛おしそうに撫でる。

 そのあまりにも優しい手に見惚れたコナンは図らずもドギマギとしてしまい、慌てて目をそらしながら自分も馬から降りた。


「殿下は乗馬がお上手なのですね」

 ぼそりと呟くように言うと、エミリアはくすぐったそうにくすくすと笑った。

 それは舞踏会でよく聞くようなものとは違い、

(心の底から楽しそうだな)


 眩しいものを見るように目を細める。事実陽の光を背にしたエミリアは、光をまとったように輝いて見えた。


 若い女性にしては飾り気のない髪が少しほつれている。彼女が湖を見ながら髪をかき上げ、小さく息を吐いた。

 先ほどまで感じていたものとは少し違う雰囲気に、コナンは内心首を傾げる。

 まるで少女のような甘い空気。

 バラ色の頬は柔らかそうで、思わず手で触れてみたくなる。


「コナンは、弟の家庭教師をしてくれるんだろう」

 ふいにそう言って振り向いたエミリアに、伸ばしかけていた手を慌てておろした。

(僕はいったい何を)

 ごまかすように咳払いの真似をし、生真面目な顔を作る。もしかしたら、彼女は結婚のことは何も聞いてないし、気付いてもいないのでは、と思ったのだ。


「ええ、その通りです」

「オズワルドとは気が合いそうかい?」

 イタズラっぽい表情に、ついコナンの表情も緩んだ。

 その表情は世間の噂とは違い、弟が可愛くて仕方ないと言っている。

「そう思ってますよ。エミリア殿下はオズワルド君を気にいってらっしゃるようですね」

 コナンもいたずらっぽく片眉をあげて見せると、エミリアは嬉しそうににっこりと笑った。その美しい笑顔に、ドクンと心臓が大きく脈打つ。

「可愛い弟だからね。ああ、大好きだよ」

 世間では、妃亡き後新たに妻をめとらなかった王が、庶民との間に子を設けていたことを面白おかしく噂していた。エミリア王女が、その異母弟を疎ましく思っているとも。

 事実オズワルドは瞳や髪の色の印象のせいで、かなり可愛げのない感じがする子供だ。


 でもさっき厩舎に来る途中、エミリアが弟をからかい笑い合っているところを偶然目にしていた。ごく普通の仲の良い姉弟だ。


「私は弟を守りたいと常々考えているんだ。剣術や馬術は教えることが出来るが、あの子は賢い。知識を武器にできる子だと考えている。コナンがその力になってくれるなら、とても嬉しいな」

 母上の身分が低いため、いわれのない中傷を受けているからとの言葉に、コナンは首をかしげる。自分が知っている情報との齟齬に戸惑っていると、エミリアは「ああ」と頷いた。

「あなたは、父の再婚をよく思わない輩の噂のほうを知っているのだね」

「ご結婚されていたのですね」

 思わず口に出し、ハッと抑える。これは完全な失言だ。

「コナンは、私の今の母上にも以前会ってると思うけど?」

 面白そうにそう言われ記憶をたどる。

 前回エミリアは誰といたか。


「もしや、幼子を抱いていた女性がそうでしたか」

 冷たい印象の女性が幼い男児を抱いていたことを思い出す。地味な印象だったので、てっきり侍女だと思っていた。

「思い出してくれたんだね。そう。その方」

 侍女だと思っていたとこぼせば、あながち間違ってはいないという。

 もともと、城に行儀見習いの名目で働きに来ていた下級メイドだそうだ。


「母上は、没落寸前の男爵令嬢だったから。でもねぇ、父上や私は、あの顔立ちに弱いのだよ」

 一見地味だが、きちんと見れば氷を思わせるような冷たい美貌。

 エミリアの母もそんな顔立ちだったという。その印象に似ている継母を、最初に懐き、父に勧めたのはエミリア自身だそうだ。事実家族の仲は睦まじいが、それを庶民的で良しとしない輩も多いのだという。


 そして、王子の称号を持たない愛する弟を、エミリアは心の底から心配していた。ないがしろにされることも、逆に王位継承者として祭り上げられ利用されるようなことも。

 その気持ちを汲み、コナンは深く頷く。

「ええ、喜んで力になるつもりですよ」

 これは本心。

 後ろ盾のない少年の味方になりたい。そう、あの子供を見た瞬間に思っていた。


「よかった。いい兄が出来てあの子も喜ぶだろう」

「そうです……ね?」

(ん? 兄?)

 一瞬妹とオズワルドが一緒になるところを想像し、首をかしげる。さすがに年が離れ過ぎではないだろうか。

 そんなコナンを見てコロコロと笑うエミリアは、一歩コナンに近づき、その胸元に自分の手のひらを当てた。

「あなたは、私の夫になるのでしょう?」

 小首をかしげるエミリアの蠱惑的な表情に、コナンはカッと赤くなる。

「殿下、それは」


「違うのかい? 私はあなたと結婚したいのだけど」

 あまりにも率直な求婚に息を飲んだ。


 王位継承第一位の彼女に求婚できる男はいない。彼女から求婚されなければ、結婚はできないのだ。その求婚を、彼女はあっさりとコナンにした。

「なぜそんな」

 慌てて一歩後退すると、足元にあった石に躓き尻もちをついてしまう。

 あまりにもかっこ悪くて情けなく、思わず唇をかみしめた。

(ちがう、そうじゃない。そうじゃないんだ)

「コナン?」

 立つのを手伝おうと右手を伸ばしたエミリアの手を引くと、彼女があっさりコナンの胸に飛び込んでくる。

「なぜ僕なんですか?」


 思いのほか小さな彼女の体に、少しだけ落ち着きを取り戻す。でも同時に彼女の甘い香りに頭がくらくらした。

「なぜ? だって私は、小さいころからあなたにしか求婚してないよ」

「えっ?」

 思いもしないことを言われエミリアの顔をのぞき込むと、彼女は不思議そうにコナンを見返した。

「覚えていないの?」

「すみません」

 猛烈な罪悪感に襲われたが、エミリアはそんなコナンに「そうか」と、小さく微笑んで見せた。


「初めて会った時、コナンが馬に乗って走って見せてくれたでしょう」

 そう言われ、過去に思いを巡らす。確かにそんなことがあった。

「すごく素敵で、お嫁さんにしてと言ったら、乗馬もできない子はダメだって言ったじゃないか」

(言ったかもしれない)

「父は元々私を男の子みたいに育てたがってたから、母が亡くなった後は淑女よりも紳士のような教育を受けた。けど、二度目にコナンに会ったとき、やっぱり馬で走るあなたは素敵で、色々物知りで、やっぱりお嫁さんになりたいって言ったら……」

「……僕より早く走れるようになったらね」

 確かそんなことを言った気がする。

「思い出した?」


 小さく頷き、思わず目を伏せる。

 本気ではなかった。子どもに言う、その場限りの言葉でしかなかった。

 でも彼女は本気にしていたのだ。

 そのことが申し訳なく、同時に――――すごく嬉しい。


 腕の中にあっさり飛び込んできた可憐な女性は、幸せそうにコナンに微笑みかけてくる。


「じゃあ、約束を守ってくれるかな?」

 立ち上がりながらそう言う彼女に、今度はコナンが跪いてその手を取る。

「喜んで、お受けします」

 手の甲に口づけ、「エミリア」と名前を呼ぶ。

 凛々しき王女はその目に涙をため、幸せそうに「コナン」と微笑んだのだ。


Fin

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