叔父が養父で吸血鬼

朝倉歩夢

始まりの朝

 叔父を起こすのが毎朝の日課だ。

 欠伸を噛み殺しながら叔父の部屋へと向かう。叔父の部屋は隣、歩いてほんの数十秒。鍵はかかっていない。ドアノブを捻れば人の形に膨らんだベッドが目に入る。


「叔父さん、朝だよ」

「んん……」


 もぞもぞと布団の中で蠢きながらも手だけがひょっこりと覗く。のっそりと振られた手は起床する意思表示だと解釈して一旦揺り起こす手を止める。

 その足でそのまま洗面所へ。顔を洗って歯を磨いて、寝癖を整える。自分の部屋に戻って、制服へ袖を通す。ネクタイまでしっかり締めた後でリビングに向かう。そこには香ばしい匂いが立ち込めていた。

 いちごジャムを塗り込められた焼き立ての食パン。雑に千切られたレタスにミニトマトを乗せただけのシンプルな付け合せのサラダがそれぞれふたつずつ。そのうちのひとつにはホットミルクが添えられて、もう一組の傍ではコーヒーが湯気を立てている。

 既に着席している叔父と向かい合う形で、ホットミルクが添えられている方の席へ座る。


「……叔父さん、寝てない?」

「起きてる……」


 普段ならつり上がっているはずの目は眠気のせいで垂れ下がり、気怠気な様子が隠しきれていない。起床してすぐに朝食の準備をしたものの、それで目が覚めたわけでもないらしい。

 瀬上せのうえぜん。俺の叔父にあたる。母に代わって俺を保護し、今日まで育ててくれている。知っていることはそれだけだ。金に困っている様子はないものの、どんな仕事をしているのかは知らない。籠もって絵を描いていると思えば長らくパソコンと向き合ってよくわからない文字の羅列と格闘していたりする。それでも俺の唯一の保護者であることは間違いなく、それだけわかっていれば充分ではあった。

 食パンに齧りつけばさくりと心地のいい音が聞こえる。向かいに目をやれば叔父も同じように食パンを咀嚼していた。


「誕生日が近いな。もう十六か」

「そうだね」


 俺の誕生日は四月二十日。受験を乗り越え、めでたく高校生になって、その環境に慣れないうちに歳を重ねる。誕生日にこれといった気持ちはないが、十六歳の誕生日に限っては特別な意味があった。

 叔父のことを俺はほとんど知らない。それは叔父が口を閉ざしているからだ。誰かに尋ねようにも、この家に部外者がやってくることは滅多にない。本人に聞いてもはぐらかされる。興味本位であれこれと問う幼い俺に、叔父は言った。


「十六歳になったらどんな質問にでも答えてやる」

「それ、まだ有効なんだ?」

「いくら相手が子供でも適当なことは言わんさ」


 何を聞いてもお決まりの返答なので、いつからか何も聞かなくなった。屋根のある場所で飢えずに真っ当な教育を受けられる。それで充分だと思い込んで、いつからか何も聞かなくなった。それでも己を取り巻く環境に完璧に無関心でいられるわけでもない。


「覚えてるよ。ほんとになんにでも答えてくれるの?」

「俺に答えられることなら俺のことでもーー母親のことでも」


 母親。俺を生んだ人。育てては、くれなかったかもしれないが。

 そんな相手のことを知りたいだろうか。今日まで考えてみたが結論はまだ出ていない。それよりもどちらかと言えば叔父について知りたいと思う気持ちの方が強い。


「叔父さんは、なんで何も教えてくれない」

「知らないほうがいいこともある。それでも知りたいってんなら分別がつくようになれば教えてやる」


 さくさくと、どちらからともなく食パンを齧る音。穏やかな食事風景だと思う。この人と暮らすようになってからはこれが普通だ。普通になった。


「よく考えて聞け。世の中には知らないほうが幸せなことがあるが、お前には知る権利がある」


 四月十四日の朝、叔父は意味深長にそう告げてコーヒーを啜った。

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