スサノヲの鏡

金子ふみよ

第1話

シーン1 その1


 なんの淀みもない快晴になった。

「これ、やっぱり時代考証とかをさ、もっとちゃんとすべきだったんじゃない?」

六月に入ったばかりで梅雨にはまだ早い。埃っぽいのは昨日も一昨日も雨が降っておらず、乾いたグランドの砂が強くもない風で舞っているからだ。宇治大吾はその衣装を似つかわしくないと、何度も袖やら襟やら裾やらを落ち着きなくいじっていた。

「文句言わないの、いまさらでしょ」

 宇治大吾の襟を、たしなめながら直したのは、根岸さよ。彼女も衣装を着こんでいるが、さほど気にしてない。というより、宇治大吾以外の大半のクラスメートはにぎやかに、もはやコスプレ大会の様相になっているこの時間を堪能しているようだ。

「へえ、馬子にも衣装かしら」

「映すの、止めてもらっていいですか。てか、会長、本部席にいなくていいんですか?」

 真新しいデジタルビデオカメラを構えて、宇治大吾の制止を聞こうともしない。彼女は海原ちとせ。この日向根高校の生徒会長であり、体育祭の実行委員長でもある。海原ちとせのリーダーシップの下、今年の体育祭では新しいプログラムが盛り込まれた。それは「学校のPRを生徒主体で」との教員側からの熱望であり、また四〇周年記念としても華々しく催されるため注目に値する内容を企画しなければならなかったのだ。そこで生徒会、体育祭実行委員、教員との何度かの会議で決定したのが、仮装行列だった。クラス対抗のこのプログラム、かつては行われていたようだが、一〇年前に削除されていた。ただ正確を期するならそれは仮装「行列」ではない。なにせクラスごとに整列してグランドを歩いて回るなどということはないのだ。グランドに出て演じるということを踏まえれば仮装「寸劇」とでも呼んだ方がいいのだが、伝統的な呼称に則っておいた方が卒業生たちにも共感してもらえ、観客の増加が見込めるはずと、古い資料をひっぱり出してきて、企画を詳細に詰めて新年度開始早々に各クラスに伝達。クラスによっては同意しかねるとの意見もあったが、他に要望に相応できる内容は出ず、またそれこそめったになくコスプレもどきを、大手を振ってできるとあって、よほどの困難もなく体育祭の準備が進める段になった。とはいえ、困難だったのは各クラスである。制限時間五分、予算二万円をどう処理するのか、また衣装や小道具大道具、内容、また必要があれば音楽やセリフなどに四苦八苦することとなった。また、校内での準備作業は下校時間までとの規制があり、土日や早朝に登校する生徒が少なくなかった。が、裏話をすれば、建前はそうであっても下校時間後、こっそりと公園や市営の体育館や、これも公式には言えないが誰かの家に集まって、ガレージや駐車場などで作業を進める生徒もいたし、団結力に富んだクラスはやんちゃなメンバーだけでなく、ほぼクラス全員が集まるのもあった。

 体育祭当日。午前中のプログラムを終え、昼食をはさんで午後はその仮装行列から始まったのである。上演は学年順ではない。事前の会議で、各学級委員によるくじ引き抽選によって決められていた。だから、三年のとあるクラスの次に一年のクラスという番もあった。かといって全クラスが一斉に入退場門に並ぶわけではない。担当役員が順次進行を各クラスに伝え、上演中のクラスはグランドど真ん中に、その次が入退場門、その次がその最後尾で番を待つ並びになっていた。

 宇治大吾、根岸さよのクラスの演目、それは日本神話の「天の岩戸」だった。クラスでも穏やかな男子で、部活にも入ってない宇治大吾が主役の座スサノヲ役を仰せつかった、その選ばれた理由は特に見出されはしない。その場の雰囲気というか、流れというか盛り上がりで決まったのだ。当然彼は異議を唱えたが、大いなる潮流に抗うことはできなかった。その他の配役も石切りのごとくとんとん拍子で決まった。

彼の出で立ちは学生服でも体操着でもなかった。側頭部で結った髪、もちろん張りぼてのかつらである。ゆったりとした上下の着物。太古の装束だった。それが確かに神話の時代に相応する衣装なのかと、今更になって宇治大吾は疑義を述べたのだ。

「やっぱり大市の方が似合うと思うけど」

 宇治大吾の横には、大市という男子がいた。彼は非常にがたいがいい。神の一人であるタヂカラオウ役にならなかったのは、彼よりふくよかで柔道部の生徒がいたからである。スサノヲの勇壮さから想像すれば、確かに大市は服装がマッチしそうである。

「もう聞き飽きました。これは多数決で決まったことです」

 学級委員である根岸さよはあきれている。大市も頷いている。ここに来たからには、あきらめろと言わんばかりであった。

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