2021年4月24日 14:37 編集済
此処からレビューを公開せざるを得なくなった事情 ー文字制限についてーへの応援コメント
運営の想定を越えてくるあなたを尊敬。いや、畏怖?に近いものを感じます。俺のところにも狂気のレビューをありがとうございます。とおもったら、別に俺へのレビューは通常運行だったのですね。もっと、狂っていました。この恐怖にちかい気持ちを沈めるためにフーゾクにいってこようと思います。
作者からの返信
ジョークで締めることで緊張感の緩和を試みて下さったようで、ありがとうございます。 コミュニケーションにおける情報の表出という側面…伝え手が情報を出すことで伝え手自身の内部的圧力・緊張を救い出す側面によって、感情を表出し、気分をスッキリさせストレスを解消することにつながります。このとき、情報の伝達性=正確性はたいした問題ではありませんから、ここでのジョークもその内容や表出した場所について、さしたる意味を求めるようなものでは無いのかもしれません。 (でも、気持ちとしては、ここではあまりジョークを言表して下さりたくございませんでした。山野ねこ様の『白化』はとても真摯な作品でありますので、こちらに於きましても虚心坦懐なコメントを頂戴出来ましたら、より嬉しい端倪な心持ちでありました。) 今まで、レビュー内容が敢えて長文であろうとあくせくしたことはありません。長文になってしまうのは、真直に考えたことを語っていった結果としてでございます。したがって、狂気などとして見て取れるとは意外なことでありました。 社会構成主義では、システムの中で取り交わされる言語や意味とは別に「問題」が実在するわけではなく、言語と意味によって問題は「問題」として立ち現される、と考えるそうです。言葉が世界の様々なものを解釈するための道具になる以上、いかなる意図であれ、「問題」を巡って語られる言葉が「問題」をリアルなものとして存在させるからです。 私という人を巡る側面のなかで、他人から言葉化されることで、今回初めて私に「狂気」という解釈の側面の所在を見て取ることになりました。「狂気」「畏怖」と仰います発動が、肯定的な褒める気持ちの裏返しで出たものか、それとも否定的な気持ちを素朴に吐露するものだったのか、でもそれは問いません。「狂っている」から「フーゾク」に行くという斯様な言葉もどうして此処で仰せになったのかは取り敢えずさて措き、そうした心持ちが貴方にあった、ということを知りました。 これも私が人を…他者を知り、私を再帰的に知るなかでの、ひとつの学びでございます。貴方の言葉も貴方のものでございます。 また、『白化』の考察を通して過去の自分よりも今の、そして未来の自分がより善く生きて行けるものであるように内発的動機を持たせることになる、その一助になりましたら幸いでございます。 ご覧頂きまして、ありがとうございました。◇「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」 宮沢賢治『農民芸術概論』より
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此処からレビューを公開せざるを得なくなった事情 ー文字制限についてーへの応援コメント
運営の想定を越えてくるあなたを尊敬。いや、畏怖?に近いものを感じます。
俺のところにも狂気のレビューをありがとうございます。とおもったら、別に俺へのレビューは通常運行だったのですね。
もっと、狂っていました。
この恐怖にちかい気持ちを沈めるためにフーゾクにいってこようと思います。
作者からの返信
ジョークで締めることで緊張感の緩和を試みて下さったようで、ありがとうございます。
コミュニケーションにおける情報の表出という側面…伝え手が情報を出すことで伝え手自身の内部的圧力・緊張を救い出す側面によって、感情を表出し、気分をスッキリさせストレスを解消することにつながります。このとき、情報の伝達性=正確性はたいした問題ではありませんから、ここでのジョークもその内容や表出した場所について、さしたる意味を求めるようなものでは無いのかもしれません。
(でも、気持ちとしては、ここではあまりジョークを言表して下さりたくございませんでした。山野ねこ様の『白化』はとても真摯な作品でありますので、こちらに於きましても虚心坦懐なコメントを頂戴出来ましたら、より嬉しい端倪な心持ちでありました。)
今まで、レビュー内容が敢えて長文であろうとあくせくしたことはありません。長文になってしまうのは、真直に考えたことを語っていった結果としてでございます。したがって、狂気などとして見て取れるとは意外なことでありました。
社会構成主義では、システムの中で取り交わされる言語や意味とは別に「問題」が実在するわけではなく、言語と意味によって問題は「問題」として立ち現される、と考えるそうです。言葉が世界の様々なものを解釈するための道具になる以上、いかなる意図であれ、「問題」を巡って語られる言葉が「問題」をリアルなものとして存在させるからです。
私という人を巡る側面のなかで、他人から言葉化されることで、今回初めて私に「狂気」という解釈の側面の所在を見て取ることになりました。「狂気」「畏怖」と仰います発動が、肯定的な褒める気持ちの裏返しで出たものか、それとも否定的な気持ちを素朴に吐露するものだったのか、でもそれは問いません。「狂っている」から「フーゾク」に行くという斯様な言葉もどうして此処で仰せになったのかは取り敢えずさて措き、そうした心持ちが貴方にあった、ということを知りました。
これも私が人を…他者を知り、私を再帰的に知るなかでの、ひとつの学びでございます。貴方の言葉も貴方のものでございます。
また、『白化』の考察を通して過去の自分よりも今の、そして未来の自分がより善く生きて行けるものであるように内発的動機を持たせることになる、その一助になりましたら幸いでございます。
ご覧頂きまして、ありがとうございました。
◇
「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」
宮沢賢治『農民芸術概論』より