山の子 第二章(1-12)

 上山本みょうに潜り込ませていた男が、山僧の果妙かみょう法師の陣に走り戻ったのは、妖討使ようとうし達が登山している最中だった。男――喜三郎は、小柄で俊敏だ。果妙は長年召し使っている間諜が、息を整えるのを待って報告を促した。


「様子はどうだった?」

「はい、妖討使連れは六台山に向かって出立致しました。総勢は両名の手の者合わせて、二百五十人程。村に五十人ばかりを残しております」


 頷く果妙は、腹巻の上から申し訳程度に袈裟けさをかけているが、修行らしい修行の経験もなければ、経典を読んだことも殆どない。

 仏教伝来と浸透以後も変わることのなかった、神を本地とする宗教者達の理解が、一体どのような神と仏と人の関係から導かれたものなのか。そのことを知らないばかりか、考えたことすらなかった。神が人との関わりを持ち続けるこの国で、神社ではなく<山門>――紹明寺に近付いたのは、深い思惟のためでも、王城鎮護のためでも、衆生の救済のためでもない。全く利のためなのであった。


「ようやく妖退治に向かったらしいのですが、どうも思わぬきっかけがあったとかで」

「きっかけ?」

「それが何と、人狗が現れて、名主の実量の頼みで山に入ったとか」

「ほう、人狗が…。妖討使め、手柄が奪われると思って慌てて出たわけか」


 果妙法師は<山門>配下の僧侶であるが、真原国まはらのくにでは<悪党>として名が通っている。所々の庄園の下司げしを請け負い、年貢を納める傍ら私財を増やし、依頼を受けて係争中の土地に踏み込んでは作物を奪い取る。これは単に彼等の遵法精神の希薄さを現しているだけではない。そうした不法行為の原因は、訴訟件数の増大と、それを裁く組織の対応速度にもある。一件の裁許までに、実に十年以上の歳月が費やされることも珍しくはない。年貢が手に入らず業を煮やした領主が、彼等のような<悪党>を雇用して、実力による現状打開を図るのだった。勿論、朝廷も幕府も対応策を練ってはいたが、十分に応えきれてはいなかった。


 果妙のような男が雇われる素地は、こうして整えられた。当然ながら何度も非法を訴えられてきた。何度も何度も<悪党>と糾弾された結果、今では<悪党>という名の傭兵と化している。東洲に比べて、西洲にはこうした者が多く居た。


「西屋殿、お聞きになられたであろう。妖討使が山に上がった」

 果妙は、横に立って話を聞いている西屋藤太とうた吉次の瓜実顔を見て言った。

「妖退治はあの連中に任せましょうぞ。それよりも我等は、みょうの確保を急がねばならぬ。どうせ院の裁許は中々下らぬ。我等のやり方で知行しようではないか」

「では急ごう。近くに本所の代官がまだ残っておる。先んじて、守りを固めねば」

「その意気ですぞ」


 この西屋藤太は、上山本名並びに六台山に置かれた前任の代官だ。過日、果妙が戦ったのは、その後任の代官――三田兵衛三郎入道光恒こうこうだ。


 そもそも今回の相論が起きた原因は、西屋藤太にあった。藤太は、代官しきを請け負った上山本名と六台山を、勝手に借財の質にしてしまっていたのだ。この銭の貸主が果妙の仲間で、同じく<山門>配下の富裕な土倉――一種の金融業者――だった。藤太は返済が間に合わず、土地は質物として土倉の手に渡った。そして土倉は、その上山本名と六台山を、<山門>に寄進してしまったものだから、一層事態がややこしくなっているのだ。当然ながら、領主の大寧寺教隆がそんな非法を認めるはずもなく、藤太は罷免された。しかし<山門>も土地を手放そうとはせず、領有権を巡って有力者同士の相論となっていた。


「一日でも長く名を支配して、一銭でも多くを手に入れる。それが我等のような請負代官の渡世よ」


 呟いた果妙法師は、手勢百騎ばかりのあぶれ者軍団に号令をかけた。けばけばしい色味と模様の小袖や鎧直垂ひたたれに、不揃いな具足を着けた男達が、バラバラと集まる。柄鞘えざやの剥げた太刀をく者、大振りな薙刀を抱えた者、いかつい金砕棒かなさいぼうを担いだ者……。一見して御家人の率いる軍勢とは違うと分かる。これが果妙達<悪党>の軍勢だ。


「彼の地は我等の物ぞ!者共続け!」

 <悪党>果妙は、西屋藤太と並んで上山本名へと進軍を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る