山の子 第二章(1-11)
「そう仰られましてもなぁ…」
「国衙からの命令で妖追討に出張ったのは、他でもない我等両人なるぞ!それを承知しておきながら人狗を雇うとは、如何なる料簡か!」
上山本名と六台山の帰属を巡って争う本所と<山門>の軍勢を牽制していた小要兵衛は、郎党の増田小六から人狗が現れたという報せを受けた。その時点で、出し抜かれたのではと疑い始めていたが、探させてみると案じた如く人狗が見当たらないという。そこで実量に尋ねると、特に悪びれた様子もなく、
「仰せの通りです」
と答えるではないか。人ならぬ人狗に先を越された小要兵衛は、未だかつてこのような恥辱を味わったことはないと吠えたてた。黙って見ている同役の前澤四郎
だが、実量は怖がるわけでも、詫びるわけでもない。
「料簡と仰せですが、そもそも何が誤りに当たるのですか?」
「とぼけるな!我等を呼んでおきながら――」
「それは事実と異なりますな。国府に願い出たのは、我等ではございませぬ。それは村境で頑張っておる、ここの代官殿ではございませぬか」
「代官はそなたの主人にも等しかろう!」
「ははは、これは可笑しなことを仰せじゃ。あなた方も
「屁理屈を申すな!」
「あの方々は、年貢さえ取れればそれで良いのです。むしろ我等が養っておる側。それどころか、今度に限って申せば、勝手に国府に頼んで妖討使発向を願い出て、我等にその歓待を任せきりにしておられる。何故、頼んでもおらぬことで我等が困らねばならぬのです?」
小馬鹿にすらしていそうな老人の態度に、小要兵衛は太刀に手をかけそうになった。
「つまりは何か?村に居られては迷惑だと申すのか?」
「心当たりがございませぬか?郎党の方々の様子を見ても、分からぬと仰せになりますか?村の娘に言い寄り、中には無理矢理手籠めにされた者もございます。男はつまらぬことで因縁をつけられて殴られ、蹴られ、これでも足りませぬか?
痛い所を突かれた妖討使は、一段声を落した。
「脅すつもりか?」
「そうではございませぬ。そうではなく、お願い申し上げたいのでございます」
「何をだ?出て行けと申すか?」
「いいえ――」
――我ながら心にもないことを言うものだ…。
正直なところ、すぐにでも出て行けと言いたいくらいだったが、言えば丸くは収まらないだろう。それだけの自制心があるとは思えない連中だ。
「あなた方は、栄えある将軍家の御家人。なれば、どうぞ
武士はただの荒くれ者ではならぬ。東夷のままではならぬ。卓越した武芸者であると共に為政者たれ、とは実量の言った通りで、代々の将軍と執権が繰り返してきた言葉だ。実際に、その評判を得た御家人が、将軍家直筆の
とりわけ今の征東大将軍
「救えとは、妖を退治しろということか?」
「他に何を望みましょう。それこそが我等の望みでございます」
名利共にくすぐられた小要兵衛は、鯰髭を撫でながら、任せろとばかりに頷いた。
「待たれよ」
実量が、上手くいったと喜ぶのに水を差したのは、ここまで黙っていたいま一人の妖討使だ。
「小要殿、お忘れになられたか?本所と<山門>は如何なされる?双方共に自力で山を押さえようとしておるのだ。我等が先に片付けてしまえば面白くはないはず。彼奴等は、合戦を起こした汚点を補う機会を、永遠に逸するわけですからな。相手は東洲
「おぉ、流石は前澤殿。良いことを申された。それよ、実量。我等が案じておったのは。考えてもみよ、東洲申次は朝廷と将軍府を仲立ちされるお方。対する<山門>は、何かあればすぐ
――余計なことを言いおる。こちらは少し知恵が回るらしいわい…。
「さてさて。なにもそこまで心配なさることは…」
「いいや翁、思わぬところで没落する御家人は多いのだぞ。慎重になって悪いことはない。いざ権門に睨まれた時に、
そう言う前澤四郎左衛門尉の顔にも声音にも、もはや怒りの色は浮かんではいないが、代わりに宥めるような風が感じ取れた。物を知らぬ老百姓に、御家人の世界を教えてやらねばならぬとでも思っているのだろう。だが、二十年、三十年の人生ではない。御家人の暮らしぶりがどういうものなのかは、むしろこの二人より実量翁の方が詳しいに違いない。それよりも何よりも、妖討使達は百姓の図太い戦い方を知らな過ぎたのだ。
「それほど権門勢家のことをご案じなのであれば、こうしてみるのは如何でしょうや?」
「何ぞ良い手でもあるのか?」
前澤左衛門の言葉で、恩賞への欲求を抑えようとしていた小要兵衛は、何か策があるらしい実量の口ぶりに、思わず食指を動かした。老人は相好を崩して、二人が驚くような提案をした。
「お二人にとってより面倒なのは、<山門>の方でしょうな。神仏の名を借りた傲訴は、非を理としてしまうものですからなぁ。ですから、わしがこの名を<山門>に身売りすれば良いのです。そうすれば山僧も――」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て実量。待つのだ。そなた、己が何を申しておるか分かっておるのか?ここの領主は大寧寺殿であろうが。それを裏切ると申すつもりか…!」
思わぬ献策というか、謀議を受けて、小要兵衛は好奇心をくすぐられた。だがそれは一面で、やはり大それた考えには驚き、呆れているのだ。
しかし実量の方は顔色一つ変えない。穏かな笑顔のままだ。
「裏切るとの仰せはちと、如何なものでございましょう?」
「したがそなた、現に裏切ろうと申しておるではないか」
「裏切ろうと言うのではございませぬ。選ぶのですよ。どちらにつくのかを、自分で選ぶのです。ただそれだけのこと。ははは…」
「恐ろしい爺よ。何か憑いておるのではあるまいな?」
それも、時も時だ。妖討使達は半ば本気で疑っているらしい。前澤勝時はちらっと目を遣って老人の尻の辺りを見てみたが、尻尾は生えていなかった。
「驚き給うな。何を驚くことがありましょう。世の百姓と申すは、皆こうして戦っておるのです。相論をきっかけに、何とか課役免除を認めさせ、少しでも多くを手元に残そうという戦いなのでございます。それに、何の力添えも与えぬ領主に、何故いつまでも従ってなどおられましょう。だから、選ぶのです。そうではございませぬか?――」
御家人の二人は、支配者に対する老翁の冷徹な眼差しに、何とも言えぬ魅力を覚えた。
「お二人の御遠祖は如何?これまでに数度、都と岩動とが争い、合戦になりましたな。その時は、お二人の御遠祖はお選びになられたはずです。朝廷か、将軍府か。そうではございませぬか?」
征東将軍府が、反乱鎮圧を目的として東洲に置かれたのは、今から百三十年程昔のことだ。それ以来、その時々の政情に影響され、大きな物では二度の東西内戦が行われた。比較的小さな物は、主に将軍府内部の政争という形で、何度となく顕在化している。
東西の内戦において、将軍府の支配下にある東洲では、当然のように多くの武士が将軍府に味方した。しかし、東西の境である狭い<
二人の妖討使が受け継いだ血筋は、将軍府設置前から代々西洲に暮らしてきた武士の血筋だ。周囲の武士が続々と朝廷への味方を表明する中で、彼等の父祖は将軍府に懸けて戦ったのであった。
その戦いの時代は、彼等武士には古典時代というべきものだ。憧れの時代でもある。
「口達者な翁だ。面白いことを申す。弓取りと百姓が同じように戦って参ったと申すか」
前澤勝時は、髭の中に隠れがちな口の端を上げ、実量の目を覗き込んだ。
「つまり、我等が首尾良く妖退治を終えた後、権門から睨まれた時には、味方すると言うのだな?」
「はい、その通りでございます。仮に、身売りするまでもなかったにせよ、お二人のご尽力は証人としてしかるべく言上仕りまする」
「殊勝なことよ。良いか、くれぐれも忘れてくれるな。我等が動くのは、あくまでそなたの頼みを聞いたがためだ。我等の自由で決めたことではない。そなたの身売りよりも何よりも、それこそが最も肝心なこと。良いな?」
勝時の言葉に合わせ、小要兵衛も念を押すように一歩前に出た。
「心得ておりますとも。お任せくだされ」
二人の妖討使は顔を見合わせると、頷き交わして実量の家を後にした。名主の身を案じて集まっていた村人達に、機嫌良く声をかけながら。
妖討使はそれから大慌てで、名内に野営する郎党等を呼び集め、勢揃えを行った。たった二人の御家人にしては、率いている員数は総勢三百人程と多い。これには実量も驚いた。
――おう、こんなに連れてきておったのか。これはどうも、兵粮は自弁ではないな。国衙から下されておったと見える。がめつい連中じゃ。腹の心配は要らぬくせに、わし等に酒肴の用意をさせておったとはよ……。
苦々しげに見守る実量の前を、二人に率いられた軍勢が通り過ぎて行く。全員ではない。一部は、後備えとして残して行くという。
特に評判の悪い郎党の一団が、誇らしげに胸を反らして歩いて行った。村人にとってはそれ等と変わらぬ程迷惑な小要も前澤も、兜には金色に輝く
「見てみろ、全く素晴らしい景色ではないか。お前の主人も、戦う時にはあんな風になるのか?あれを見ておると、見た目と中身とは、必ずしも一致せぬと良く分かるな」
行列が過ぎ去った後、実量は人狗の政綱から預けられた栗毛の雄馬に声をかけて言った。馬――
「太刀など
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