山の子 第一章(1-1)
――朝来県史編纂委員会編『朝来県史 通史編中世』
一
巨木の林立する山奥の深い森。
久々に里帰りした
「それで
火乱坊は、僅かに黒味がかった赤の羽毛に覆われた頭を傾げつつ、敬愛する師にそれを示して見せた。
「蓑か。お前が作ったものか?」
「いいえ、もう五月です。蓑はなくとも旅には困りますまい」
「違うのか。では誰かの落とし物か?それとも誰かに貰うたか?…どれ、貸してみよ」
火乱坊は、平時にはいつもそうする通り、鉤爪を短くしまい込んだ手で、同じように爪をしまった手の上に、蓑を乗せた。
「これは…
火乱坊の師は、菖蒲原に住まう鬼神を、いつも〝鬼婆〟と呼ぶ。おそらく師匠と〝鬼婆〟が生まれたのは、同じくらい昔のはずだ。それも、想像を絶するほどの昔だ。
弟子達は、師の〝鬼婆〟を聞く度に、思わずにやけてしまうのだった。
「そうです。今しがた、菖蒲原から使いがありまして、伝言と共にこれを」
「内容は?」
「使いが言うには、〝姉妹の代わりに何時ぞやの礼物を預ける。これから帰る子に渡してくれ〟とのことで。それだけ言うとすぐに帰りました」
「〝姉妹〟?あぁ、なるほど。あの鬼婆達は姉妹であったな。〝何時ぞやの礼〟とは?」
「さて。何のことやら…」
「やれやれ、あの鬼婆め。年寄りはこれだから困る。〝これから帰る子〟に渡せと申したのか?……菖蒲原の鬼婆が言うことなれば、定めし人狗の誰かではあろうが。さりとて誰が帰るかなどは流石のわしにも分からんぞ。まことにそれだけか?」
「確かにそれだけです」
「ふうむ…」
火乱坊は、鳶のような大きな目で蓑を見詰める師匠を、同じような大きな目でじっと見守った。師匠の目は面白い。弟子は皆そう言っている。火乱坊には、師匠のように目で何事も語るような才能はなかった。
ややあって、師匠は
「火乱坊。誰が帰って来るのか、いま分かったぞ」
「誰です?」
答える代わりに顎をしゃくってみせる師に従い、火乱坊はクスノキを見上げた。大きな、立派な樹だ。人界であれば御神木だといって祀られそうな程、立派で長生きの樹だ。ここではそんな樹ばかりが生えている。
「……あぁ、なるほど。私にも分かりました」
樹上で羽を突くのに夢中になっていた一羽の鳶は、老人達が揃って自分を見ているのに気がついた。
「そうとなれば、〝何時ぞやの礼〟とは…。あれは何年前であったかのう?」
「三年、いや四年前でしたかな」
「おう、そうじゃ。それくらいであったな」
この山で最も古く、最も偉大な存在――大天狗の太郎坊は、親しみを込めて鳶に語りかけた。
「よくぞ戻ったな、野分丸。お前の友人はいつ頃舞い戻るのだ?」
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