第60話 少年王、姉姫を説得する

 僕の言葉に、姉さんはしばらく驚きを隠せないといった表情のままだった。

「私……は、……ずっとエドのそばで……あなたを支えて……」

 そして、その薔薇色の頬に涙の雫を溢す。


 僕は、非情だと知っていても、それに対して首を横に振る。

「姉さん。婚姻は王族に生まれた者の義務だ。それはわかってくれているね?」

 僕は、ゆっくりと、穏やかな声で。彼女を幾らかでも傷つけずに済むように、丁寧に言葉を紡ぐ。


「……わかっています。でも、私は、……エドのそばで、エドを支えていたい。唯一の姉弟として……」

 ついっと、もう一雫、彼女の頬に涙が伝う。彼女はその涙を拭おうともしなかった。


「僕も、気持ちは一緒だよ。姉さん。……でもね、ノートンの建国王の血を継ぐ王族として、この国の維持と血を繋ぐという責務が、僕達にはあるんだよ」

 そういうと、姉さんの枕元に座っていた僕は、上体を寄せてポケットからハンカチを取り出し、姉さんの濡れてしまった頬を優しく拭う。


「姉さんにお願いしたい事は、早く安全な土地に離れ、その地で婚姻を結ぶこと。そして、ノートンの血を継ぐ男児最低二人産む事だ。……僕は、その男児のうち一人を、養子に迎えて、王太子にしたい」

 僕は、真っ直ぐに姉さんの瞳を見つめて、ゆっくりと諭すように訴える。


「……エド? じゃあ、あなたは?」

 僕の先の発言に、姉さんが首を傾げる。それはそうだろう。僕は、僕の子供にではなく、姉さんの子供に跡目を継がせると告げたのだから。


「僕は、正式な結婚はしない。……僕が、前王の子かどうか確証がないことは知っているだろう?」

 姉さんの問いに、僕は同じく問いかけて返す。

 そして、姉さんも知っている。僕の母、王太后がどんな出自でどんな女だったかを。

 だから、二人の間に沈黙が漂う。


「……姉さんに、ノートンを離れている間に、僕はこの国の粛清を行う。手段も問わないつもりだ。膿を出し切り、姉さんの子供を受け入れることができるくらいに安全な国に、体制にしてから、譲位する子を受け入れさせてもらいたい」

 僕のその言葉に、姉さんが首を傾げた。


「……でも、そんなこと、王太后殿下が……」

 姉さんが口にした懸念に、僕は即座に首を横に振って返す。

「王太后も、その手のものも、背後で動いていた公爵もなぜか、亡くなっていてね」

 僕は、静かににっこりと微笑んでみせる。

 それとは対照的に、姉さんの顔が青ざめる。


「愚かだね。。公爵家にあった毒は、かなり高濃度でしかも量があったことから、姉さんの件は、公爵経由で入手されたものとして処理されたよ」

 僕の顔は微笑んだままだ。そして、姉さんの顔も青ざめたまま。


「……エド……、それであなた、大丈夫、なの……」

 母殺しともしかしたら父殺し。その両の罪をまだ十二の歳で背負った僕を心配してくれているのだろうか。ただ、優しく、美しい、姉。だが、彼女は強くない。

 まだ汚濁に塗れたこの国ではなく、どこか安全な国に、誠実な男に護られているのが、彼女には相応しいのだ。


「僕は大丈夫だよ、姉さん。……セーレ、おいで」

 声をかけると、すっと静かに扉が開いて、セーレが部屋に入ってきて、僕の隣に並ぶ。勿論、人の姿だ。

「セーレと申します。国王陛下をお護りする任を賜っております」

 そう言って、セーレが姉さんに礼を執る。

 まあ、『僕を護る任』という表現もあながち間違いではないね。セーレも、普段はなのに、こういう場面ではいい言い回しをする。


「ここだけの話、彼女は僕の最大の武器であり、心も支えてくれます。……私を一人残していくわけではないのです。……姉さん。ご安心して、良い国へ嫁いでください」

「……本当に、あなたに任せて良いのね、セーレ」

 僕の言葉を飛ばして、姉さんは、セーレをじっと見る。その目は、完全に値踏みと嘘は見逃さないという目。


「……私は、エドワード陛下だけをお慕いしております。陛下の理想を実現するための最強の駒となりましょう。そして、そのお心も、その美しいお心のままでいらっしゃれるよう、お支えしましょう」

 そう言って、僕の瞳を見て柔らかに微笑み、そして、その笑みを浮かべたまま、姉さんに頭を下げる。


「……そう。エドはもう、一人ではないのね。……そして、エドは、私に、別の形であなたの力になって欲しいと言っている。……そうね?」

「はい。……姉さんがお倒れになっている間で申し訳ありませんが、フォルトナー王国へ打診をしています」

 僕がそう告げると、姉さんの顔が曇る。

「……フォルトナー……。フォルトナーよね。ノートンから独立宣言をした……」

 そんな国では、ノートンを嫌っているのではないか、そう心配しているのだろうか。それは、当然の懸念だろう。


「姉さん、そこは、あちらに移った元宰相が、我々のことを良く伝えてくださったようですよ。相手方からも、好意的な返答を書簡で受け取っています。……王太子であるアベル殿下が、是非、姉さんとお会いしたいと」

 僕は、姉さんを励ますようにその肩をさすり、覗き込んで微笑みかける。


「……王太子殿下。このノートンの血がフォルトナー王家に混じっても良いということ?」

 まだ疑心暗鬼なのか、姉さんの言葉は疑問系だ。

「フォルトナーは武力と国力こそ優れていますが、血統の重みに欠ける。そして、ノートンはその真逆。ノートンも、今の混迷期を除けば、建国王の時代からの由緒ある血筋です。フォルトナーにも、利はあるのですよ」

「そう……かしら」

「そうです。そして、姉さんの産む王子二人心身ともに健やかに育ち、それぞれの国の王となれば、国同士の諍いの起こる可能性も限りなく低くなりましょう。後日、先方が竜にて迎えをよこしてくださるそうです。一度、お会いしましょう」


 竜で、と先方が申し出たのは、おそらく反対派などの差金で、フォルトナーの地で姉さんに何かがあれば、それを契機に戦争を仕掛ける口実となってしまう。

 我々の身の安全は勿論、そうした政治的配慮までを気にかけて、フォルトナー国王陛下が申し出てくださった。


 ありがたい。早く、姉さんに、安全な土地で護ってくれる伴侶に出会って欲しい。

 ーー姉弟の別れは、寂しいけれど。

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