第1-7話 月夜の眼鏡の訪問者

 星と月が綺麗な夜だ。そんな夜にとびきり似合う、漆黒のマントに身を包んだ男の姿がそこにはあった。


 磨き抜かれた眼鏡を着用しており、七三分けの髪と鋭く赤い眼光、愛想のない表情から、いかにも堅物かたぶつそうなイメージを受ける。


「今日は空気がんでいていいですね。空のお散歩には絶好の日です」


 ──なんだか、職質みたいだなと、状況にそぐわない感想を抱く。念のためたずねはしたが、すでに臨戦態勢だ。


 すると、男は深々とお辞儀をして、こう言った。


「魔王幹部四天王が一人、クロスタ・デオ・シーレルトと申します」


 ──やはり、魔王幹部だったか。敵に首を見せるとは、いい度胸だ。


 私も真似して、相手にあえて、首を差し出す形で礼をする。


「ご丁寧にありがとうございます。──ルスファ王国第一位王位継承者、マナ・クラン・ゴールスファと申します」


 なぜ名乗るのか不明だが、魔王の指示なのだろうか。魔王には何度か会ったことがあるが、あの魔王なら、例えこれから殺す相手であっても、礼儀をわきまえろと教えていてもおかしくはない。


 ゆっくりと顔を上げた瞬間、視界の中心に迫る刃が見え──氷で短剣を創造し、受け止める。


 ──遅い。


「速い──」


 すかさず反対の手に火のグローブを顕現させ、鳩尾みぞおちを下から殴り上げる。


「くっ……」


 クロスタが空中で体勢を整えている隙に、辺りを氷点下の空気で包み、絶対零度の風を、その全身に浴びせる。


 氷結に抗おうと、体の内側から熱を起こすクロスタの周りに、無数の氷の剣を生み出し、放つ。


「ぐはあっ!!」


 だが、これで串刺しになってくれるほど、相手も甘くはない。腕を犠牲にして他を避ける。咄嗟の判断力は素晴らしいものだ。


 そして、魔族は人間に比べ、怪我の治りが早いので、腕の一本ごときでは、致命傷にはならない。


 直後、地面に叩き落とされたクロスタは、宙に浮かぶ私を見上げる。


「……強い」

「これでも、人類最強と呼ばれる身ですから。大人しく帰ってくださるのであれば、今日は見逃しましょう」

「見逃す、だと……?」

「殺さないように言われているので。その代わり、逃げないというのであれば」


 私は立ち上がろうとするクロスタが持つ剣を、手首ごと風でさらい、手中に収め、手首は地面に転がして返す。すぐにくっつくだろう。


「この剣であなたを背中から突き刺し、魔王城の外壁に固定しておくのも悪くないかもしれませんね」


 クロスタが手首を拾っている間に、刀身の長い剣を横凪ぎに、極めて軽く、振るって、感触を確かめる。


 こうして近くで見ると、なかなかいい剣だ。とはいえ、クロスタが全力を出しきる前だったので、剣にとっては少々、燃焼不足だったかもしれない。


 そんな風に考えて刀身を撫でてから視線を移すと、クロスタが縫合ほうごうした手に魔力を集中させている──いや、そう見せかけて、闇の魔法を発動させようと、力を溜めているのが分かった。


 時間が経つごとに闇の純度が上がり、魔力はより強大なものになっていく。


「この魔法が発動すれば、確実にこの都市は消滅する。降参するなら今のうちですよ」


 ──少し、困ったことになった。クロスタに降参する気はさらさらないようだ。それでも、負ける気はまったくしないが、かと言って、手加減できるような相手でもない。


 何より、一番の問題は、このまま魔法が発動すると、彼が気絶しかねないことだ。


 私が魔王幹部と戦ったことは、できれば伏せておきたい。殺さず見逃した、となると、色々と面倒だからだ。


 となると、自力で魔王城まで帰ってもらうか、迎えを呼んでもらうしかないのだが──、


「誰か、迎えの方をお呼びになってはいかがですか?」

「……この魔法が何か、ご存じなのですか?」

「すべてを飲み込む闇の魔法、ホールですね。魔法で相殺そうさいするのも、剣で切るのも無理だと存じますが」

「ならば、なぜ、平然として──」

「打ってみれば分かりますよ。その代わり、あなた一人だけが闇に吸い込まれることになるかもしれませんが……まあ、殺してはいないので許されるでしょう。多分」


 引き下がってくれると助かるのだが──そういうわけにはいかないらしい。


 となれば、私も全力で止めるしかない。


「食らえ!」


 クロスタが自滅覚悟でアスファルトにホールを叩き込む直前、私はクロスタの肩に触れて、瞬間移動させ、矛先を空へと変える。


 ホールの発動条件は、ホールと物体との衝突なので、空に向ければ、こんな夜を好むよっぽど変な鳥でもいない限り大丈夫だろう──そこに、カラスが一羽、いた。


「どうやら、あちらの味方のようですが、不意打ちに続き、挨拶直後の攻撃、そして二対一とは──卑怯ですね」


 ホールは発動と同時に、球状に広がり、そのとき範囲内にあったものはすべて飲み込まれる。


 鳥なら本能で逃げるはずだが、あの鳥は、まるで、自爆覚悟で向かう戦士のようだ。間違いなく、ただの鳥ではない。


 そのカラスの羽を、私は手刀の風で切り、飛びにくくした上で魔法の風を浴びせて、無理やり地面に落とす。


 やっとカラスがいなくなったと、安堵したのも束の間、今度はホールの軌道上にクロスタが瞬間移動した。その瞬間、彼の眼鏡が割れた。


 どうやら、一握りだけ、魔力を残しておいたらしい。これで、クロスタが魔力を使いきったことと気絶することは確定だが、それでも、気合いだけでなんとか保っているようだ。


 ──その一握りが、計算外だった。


「諦めの悪い……」


 カラスにはクロスタを持ち帰る役目があるため、深追いしてくることはないだろう。私に負けたと知られて都合が悪いのは、向こうも同じだ。


 だが、先の、時を止める魔法の消費が、思った以上に激しかったようだ。まなを助けようと、焦っていたとはいえ、刺客がいることを知っていながらの判断にしては、やや浅はかだった。


 魔力の残量を考えるに、おそらく、瞬間移動でクロスタの元に移動するのが限界だ。その時点で私も魔力切れになり、意識を失うことだろう。あるいは、彼を魔法で移動させたとしても同じだ。


 それに、空にホールを放置しておくのは、やはり、確実に安全とはいえない。


「となれば、ホールを消滅させた方がいいですね」


 そこで、意識がある今だけ使える、裏技のようなものがある。非活性の魔力を、活性化されている魔力を用いて無理やり活性化させ、残量を超えた魔法を発動するのだ。


 数日眠ることになるか、最悪の場合、死ぬことになるが、背に腹は変えられない。全魔力を注げば、今ならまだ、対処可能だ。都市で暮らす人々の命を天秤てんびんにはかけられない。


 私は辺りを見渡し、手頃な高層ビルめがけて、少量の魔力を利用し、一足飛びで移動する。それから、壁を跳躍と疾走を利用して駆け上がり、屋上へとたどり着く。


 そこからさらに、残量すれすれの魔力を使って飛び上がり、ホールにできる限り近づく。そして、


「はあっ!」


 使える限りの魔力を解放し、時空に大きな歪みを生み出す。別名、無限収納とも言われ、なんでも入れることができる歪みだ。


 ホールは衝突する物体を得られないまま、溢れんばかりの魔力を制御する発動者を失い、膨張しつつあった。


 ──ビルを丸のみにしそうなほど大きなホールを、歪みに収納する。


 一繋ぎの大きな歪みを作り出そうと思えば、歪みを調整し、途切れないようにする必要がある。大きくなればなるほど、波打つそれを制御するのは困難となり、並外れたセンスと莫大な魔力を必要となる。


 だが。


「──いける」


 広げた歪みに、ホールが収納されていき──、完全に入りきったのを確認して、魔法を解除する。


「馬鹿な……!」

「──私の勝ちですね」


 その結末を見届けて、クロスタは意識を失ったようだ。


 一方、私は沈みゆく意識をなんとか引き寄せ、落下の衝撃に備えようとする──が、全身のどこにも力が入らない。いや、正確には動けないと言った方が正確か。


「アー」


 ──あのカラスの仕業だ。カラスが私の動きを魔法で封じているのだろう。


 なんとか体勢を変えようとするが、指先一つすら動かない。マンションの屋上からこのまま、逆さまに落ちて、果たして、無事でいられるだろうか。魔法で治療することもできるが、即死の場合はなんともならない。


 地面が近づいてくるがまだ動けない。そのうちに、自然と目が閉じていく。


 だが、恐怖はない。死を受け入れているわけではない。


 ──ただ、助けが来ると、信じているから。


「マナ──!!」


 風で落下の勢いが消え、腕に優しく抱き止められる。


 やっぱり、来てくれた。


「大丈夫、マナ!?」


 口を動かそうとしてみるが、まったく動かない。目も開きそうにない。これは夢なのではないだろうかと思ってしまうほどに、すべての感覚がぼんやりとしていた。ただ、彼が助けてくれたのだろうと、その実感だけがあって。


「マナ、マナ!」


 ──うるさい。今は、静かに眠らせてほしい。


「ねえ、マナ!」


 ──あーうるさい。本当にうるさい。少しは黙っていられないのか。心臓も呼吸も瞳孔どうこう反射も正常だ。ちゃんと生きている。


「マナアアア、マアアアナアアア!!!!」

「うるさい……!」


 空気中の魔力を取り込み、少しは気力が戻ったのか、やっと目を開けることができた。


 ──だが、気がつくとそこは、宿舎の部屋だった。


「起きたのね、良かったわ」


 近くには、まなの顔もあった。はっとして起き上がると、外から日が射しているのが見えた。


「マナアアアアァァァ……!」


 あかりが顔中から体液を出して、私に抱きつこうとするのを、避ける。


「汚いので近づかないでください」

「ばっで、ばだが、ばだがああああ!」

「気持ち悪いです。何言ってるか分かりませんし。この通り元気ですから」

「……あんた、丸一日寝てたのよ。覚えてないの?」

「──そんなにですか?」


 となると、今は二日後の朝で、私は昨日学校を休んだということか。とはいえ、魔力を使い果たせばこうなるのはある程度分かっていたが、


「まさか、あれからずっと、あかりさんはこの調子なんですか?」

「ええ、そうよ。学校に連れて行くのも無理そうだったから、もう放っておいたわ」


 ──聞こえた寝息に視線を落とすと、あかりはベッドの端に顔をのせて、眠っていた。目が半分くらい開いていて、怖い。いや、気持ち悪い。


「──クレイアさんがここにいるということは、まだ始業前ということですね」

「ええ、そうだけど……まさか、行くつもり?」

「はい。この通り元気ですし。連続でお休みすると、皆さん心配されるかもしれませんから」


 ぐがーと、イビキをかくあかりの顔に、私はティッシュをぺたぺたと貼り付ける。よくくっつく顔だなと思いつつ。特に深い意味はない。


「起きたときにあんたがいなかったら、あかりが宿舎を壊しかねないから、やめてあげなさい」

「それなら、今、起こせばいいだけの話です。あかりさん、起きてください」

「んー……」

「ほら、行きますよ」


 そもそも、泣きすぎで休むなんて、死んでいたわけでもあるまいし、大袈裟だ。加えて、私とあかりは今のところ、他人だ。昨日も休んでおいて、次の日、睡眠不足で休むなど、許されるはずがない。


 なかなか起きないあかりに痺れを切らし、私はその耳を思いきり引っ張る。千切れない程度に。


「いでででっ!」

「早く起きろ」

「今日は、休ませて……」


 私はあかりの襟首えりくびの後ろを掴んで引き寄せる。何か言おうとして、一昨日の服のままのあかりから、少し、かぐわしい臭いがすることに気がつく。私ももしかしたら、同じ臭いがするかもしれない。


「クレイアさん、私、臭いますか?」

「まあ、ほんのり」

「……昼には必ず行きます」

「そう。伝えておくわ」


 まなは部屋を出る直前、私の方を振り返り、


「そうそう、この間はありがとう。地図はあかりが取り返してくれたわ。このお礼はいつかさせてもらうから」


 そう言い残して去っていった。彼はちゃっかり、地図を取り返していたらしい。自分で盗ませたのだから、当然、そのくらいはやってもらわないと困るが。


「──とりあえず、お風呂に入りますか」


 いでみたが、自分の臭いはよく分からなかった。本当に臭うだろうか。ショックだ……。

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