相棒は手首の上に住んでいる
K-enterprise
KAC2021
KAC20211 おうち時間
第一話 相棒は手首の上に住んでいる
「閉館……だと?」
新しいトレーニングウェアに身を包み、意気揚々と辿り着いた市民体育館の入口に貼られた一枚の紙は、『新型感染症による県内の警戒度が4だからしばらく閉館します』といった内容が書かれている。
くそっ、事前に調べておかなかった自分のミスだ!
体重の推移が順調だったばっかりに、こんな初歩的なミスをしてしまうなんて……。
……反省は後だ、すぐ切り替えろ。
市民体育館のジムルームが使えないとなると……そうだった、そもそも、田舎の街に有名どころのジムなんてのは無く、そこらへんを走るしか選択肢は無かったんだ。
昼間ならともかく、冬の、ろくに街灯も無い道……。
走ったことはある。でも、犬に吠えられたり、歩行者に嫌な目を向けられたり、無灯火の自転車とぶつかりそうになった記憶が浮かぶ。
それに、今日は冷たい雨が降っている。
本格的にアパートの中でできる手段を考える頃合いだった。
―――――
「食後三時間での血糖値が、300? あ~こりゃ立派な糖尿病だね」
状態異常「糖尿病」が確定した瞬間だ。だから鑑定(医師の診察)なんて受けたくなかったんだ。
「あ、あの、どうすれば……」
冗談を言ってる場合じゃない、重度の生活習慣病の診断を受けて、そのままでいられるほど豪胆な神経を持ち合わせてはいない俺は、この昔馴染みの医師にすがるしかないのだ。
「食事制限と適度な運動。それと投薬だね。大丈夫、今ならまだ間に合うから」
「わかりました! なんでもやります!」
「……まあ、今までそれができなかったからこの結果なんだけどね……」
ヤバい、医師のモチベーションがダダ下がりだ。
「今度こそ! 死ぬ気でやります」
「そこは生きるためにって言おうよ」
苦笑する医師は、俺にいくつかのアドバイスをした。そして具体的ないくつかの目標数値を提示した。
これはクエストだ。状態異常を「正常」に戻すため、俺は行動を起こすんだ!
と意気込んだ数か月前。
食事も運動も案の定三日坊主だった。
「あのさあ……合併症で透析したり、指や足を切断したり、目が見えなくなったり、そして最後に死ぬよ?」
今度こそ死の宣告だ。
「……すみません」
「謝られてもねぇ。それに、そのスマートウォッチ、もっと活用すればいいんじゃない?」
「……これを?」
勤務先の後輩のアドバイスで購入した、某有名どころの腕時計を掲げ見る。
「ワークアウトとかさ、目標設定に対し自分の活動の結果が見えるのって励みになるよ?」
ピンとこなかったが、すがろうと決めた医師のアドバイスだ。とりあえず使ってみるか……。
……。
………。
…………これは!
人の達成感や行動動機ってやつは、異世界物のステータスに表されるように、成長の過程が見えたり、現状を知るってのが必要なんだろう。
辿り着く地点が明確でも、現在位置がわからなければ、距離も所要時間もわからない。
自分の心拍、歩数、活動時間、こういった観測だけである程度の類推は可能で、そこからはじき出された数値の累積が、設定した目標に到達したか否か、また、何日間継続しただの、過去最高の記録だの、めっちゃ教えてくれて、成功体験を刺激してくれる。
相乗効果で他の数値にもこだわった。
体重、体脂肪率、摂取カロリーなどだ。
これらが記録できるアプリを導入し、ヘルスケアアプリとスマートウォッチの連携は、まるで俺専用のトレーナーだ。
効果は劇的だった。
「HbA1cが7.9か、前は11でしたからね、大幅改善です。これを6以下に持っていきましょう。体重もずいぶん落ちましたね。次の検診は、二か月後、期待してますよ」
月一の検診が、二カ月に一回になった。
数値の意味も大体わかるが、素人なので医師の指針にお任せだ。
今の俺の行動が間違っていないって、その事実だけで十分さ。
「先輩、痩せたッスね」
隣の席から、ふくよかな高橋がしみじみと言ってくる。
「おう、まだまだだけどな!」
「今何キロくらいなんスか?」
「75キロだな」
「……この前まで100近くあったッスよね?」
「ああ、20キロ以上落ちたな」
「病気じゃないんスか?」
「病気なんだよ! お、スタンドタイムだ、ちょっと散歩してくる」
手首に住んでいる優秀なマネージャーは俺の都合などお構いなしだ。だが、その冷酷非情なところにプロ意識を感じる。実に頼りがいのある相棒だ。
会社帰りはワークアウトの時間だ。
最初は膝の負担が大きすぎてゆっくりとしたウォーキングだったが、今では3キロ程度まで軽いランを続けられるほどになっている。
そりゃそうだ。今まで20キロの米を担いで生活していたのと変わらんのだからな。
格安で利用できる市民体育館のジムルームには、最新式のランニングマシンが10台並んでいて、多くの市民が活用していた。
今着ているウェアもずいぶん緩くなってしまった。
よし、次の日曜日、コンプレッションウェアと共に、ワンサイズ下のウェアを買うぞ! と更なるモチベーションが湧き上がる。
―――――
で、現在、新型感染症による市民体育館の閉鎖、と。
冗談ではない!
次の検診まで後三週間。それまでに70キロを下回るのだ!
一週間に約1.5キロ! なあに、コツを覚えた俺様と左手首に装備した現代の神器に不可能は無い!
だが、狩場が無ければ経験値は稼げないのだ。
早く何とか対策を考えねば……。
冷たい雨の中、傘を差しながら国道沿いを歩き、アクティビティの「ムーブ」と「エクササイズ」の進捗を確認しながら、アパートの中でできる〝狩り〟の方法を考える。
普通に考えれば、現在のメインワークアウトであるランニングがベストなんだろうが、個人用のランニングマシンは、価格も評価もいまいちなんだよな……。
それに、体育館のマシンですら走行時の衝撃は大きくて、アパートでは他の部屋から苦情も必至だろうし、かと言ってウォーキングだけでは物足りない、わがままな体になってしまっている。
毎分140以上の高心拍を、40分以上続けられる、その手段が喫緊の課題だ。
「先輩、オレも使い始めましたよ」
「何を?」
「スマートウォッチ」
「なんで?」
「なんでって、これ使えば痩せるんでしょ?」
「ふっ、素人が……いいか?お前がどんなすごい武器を手に入れたとしても、剣術ってスキルが無きゃその武器はナマクラ以下だ。スライムすら倒せず、なんだこの武器、役に立たねーじゃんって放り出すのが関の山だ」
「はぁ……」
「その武器を活かすためにどうするか、何をするか、その思考の果てに、体重が、脂肪が、体脂肪率が、減るんだよ!」
「大変なんッスね……」
「深淵を覗け、そうすればソレはお前に道を授けてくれるだろうさ、おっと、深呼吸の時間だ。すーはー」
同僚の啓蒙も大事だが、生半可な覚悟でスマートウォッチ道に手を出されて、挙句の果てに「これ使えないッスね」なんて言われたらと思うと腹立たしいのだ。
使えないのと使わないのは全然違うのだ。
だいいち、俺にむりやりスマートウォッチを買わせたのは、そもそもお前だろうが。
あれか? 実験台にでも使ったわけか?
まあ、そんなことはどうでもいい。
今は現状を打破する一手を考えよう。
定時に上がった俺が向かった先はホームセンター。
健康器具コーナーで、目的のブツを見つけた。
これこそがラストダンジョン前の狩場。
最後の経験値上げ。
その器具には「おうちの中で運動不足解消!」なんてポップが貼ってある。
そいつの名前は「トランポリン」だ。
アパートに帰宅し、さっそく組み立てる。
静寂性が売りの最新型のこいつは金属のスプリングなんて使っていない。
高強度ベルトによる反発、八本もある足、耐震、耐衝撃に特化したボディ。
ここは一階だが、念の為、耐震マットを敷いていざプレイ。
音が、しないだと?
べいんべいんといった、素材が奏でるわずかな振動はあるが、徐々に飛ぶ高さを上げても問題ない!
これは行ける!
俺はワークアウトの中から「トランポリン」を探すが、無い。くそっ需要が無いのか。ならば「その他」だ。心拍と継続時間、モーションセンサーのログが取れれば、消費カロリーは丸裸にできる。
問題は、どのくらい連続で使用できるか、だ。
適度な負荷と一定以上の時間が無ければ、有酸素運動は成り立たない。
続ける事5分。心拍は140程度を維持。
少しきついか……。
心拍を130程度まで落とし、更に10分。
もう少し負荷を下げ、そしてついに無限コンボを見極めた。
俺は、テレビや映画を見ながら経験値を上げ続けた。
ムーブもエクササイズも継続時間はうなぎのぼりだ。
「誰?」
二カ月ぶりに通院した際、医師はこんな失礼な第一声をかましてきた。
「69.5キロ、なんとか間に合いましたよ」
「いや、やりすぎだから」
新型感染症によって強制的に生み出された環境。
その「おうち時間」に代表される様々な制約は、望まれようがなんだろうが我々に等しくやってくる。
その中には、命がけで運動という習慣を続ける必要がある人だって多いのだ。
だからこそ、これは制約ではなく「機会」と思おう。
外因が変えられないのなら、自分の行動で対応すればいいのだ。
スマートウォッチでも、トランポリンでも、それらは選択肢の一つにすぎないのだから。
そう、人はしたたかだ。
思う以上に「無理だ!」って限界は遠いものだ。
病院を出て、スマートウォッチのサイドボタンを押して、アシスタントを呼び出し「ありがとうな」と声をかける。
『よく聞き取れません』
俺の相棒は照れ屋みたいだ。
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