お題4 ホラーorミステリー 『廃校の怪談』

 雲ヶ峰峡谷の狭間に、雲ヶ峰村と言う小さな集落があった。


 現在は人口の減少で限界集落となっているこの村は、一時期とは言え最も繁栄していた頃は人口五千人の町であったそうだ。


 大人が増えれば、子供も増える。子供たちの明るい未来の為に、教育の場が設けられたのは当然の事だった。


 人口の減少と相まって次第に維持する理由が無くなった学校は、小中一貫校を経て閉校となったのは、避けようのない時間の流れだったのだろう。


「…」


 真っ暗なトンネルの中、一人の青年が車を走らせている。


 向かう先は、雲ヶ峰村にあるという廃校だ。


「…」


 青年は先に向かった廃墟巡回を趣味とする友人が、例の廃校へ向かったのを最後に連絡を取れなくなった事を不審に思い雲ヶ峰に向かっている。


 不愉快なラジオを消した車内は、重々しい沈黙が詰め込まれていた。


「…雲ヶ峰中学校。ここか」


 自宅から車を走らせること、五時間。ようやく目的の場所に辿り着いた青年は、目的の校舎を見上げる。


「…ジッとしていてもあのバカは見つけられないか」


 青年は意を決して、廃校の中へと入って行った。


 廃校となってからは、出入りする人が少ないのだろう。一歩進む毎に足元に溜まった埃が上空に舞い上がる。


 入って見て初めての感じたのは、中学校の割には校舎が狭いというものだった。確かに自分が中学を卒業してから、身長も伸び体格も大人になっただろう。それでも全体的に、中学生が通うには校舎が狭く感じる。


「中小一貫校だったとは、聞いていたけど…」


 生徒が少なくなった学校では、教員も少なくなってしまう。学年が別の生徒同士でも、同じ教室を使って授業を行うのだ。普段から使われていなかった教室には、しっかりと戸締りがされている。もしかしたら狭く感じる原因は、開かない扉がただの壁の様な印象を与えているからなのかもしれない。


「…」


 物音一つしない静かな空間に、青年の足音だけが木霊している。


 職員室と書かれたプレートが、扉の上に掛けられている。用意して来た懐中電灯の明かりは心ともないが、文字を読むのには十分な光量をもっていた。


 職員室前の廊下には、当時通っていた学生に向けたお知らせ用紙が張り出された掲示板が目に入る。


「ん…?」


 掲示板の張り紙が二重になっている用紙に気が付き、上の紙をめくりあげる。


「子供の落書き…こんな所に?」


 色鉛筆で力を込めて書かれたのだろう描かれた物体の輪郭が歪み、何が描かれていたのか正確に判断することが出来ない。


 ただその絵に描かれた少女の体から、無数の黒い線が飛び出している様に見える。


「髪の毛か?」


 青年はこの絵の題材となった少女が嫌われていて、四方に伸びきった髪の毛を掲示板にこっそりと貼り付けたのだろうと考えた。


 校舎の中を一通り見て回っても青年の友人は一向に見つからず、一旦引き上げて明るくなってから村の廃墟を一つずつ調べる事にした。


 校舎を後にしようと玄関に向かって歩を進めていたが、急に何かに右足が引っ張られた。


「…っ!」


 青年が足元を照らして見ると、太く白い紐が右足に絡まっていた。


 必死に振りほどこうともがいたが、紐は絡み付いて剥がれず、強く引っ張られたのかバランスを崩して転倒してしまった。


「ハァ…何なんだよっ!?」


 足が引っこ抜かれると錯覚するほどの強い痛みを感じ、青年が意識を失うと数秒も経たずに青年は校舎の奥へと引きずり込まれた。


 次に青年が目を覚ましたのは、暗闇の中であった。


 その空間は野菜が腐った様な悪臭で満たされ、時折何かを啜るようなそれでいて何かを咀嚼する音が不気味に響いている。


「…何なんだよ」


 青年は自らを律しようと、小声で一言呟いた。


 抗いがたい不安に圧し潰されそうになった青年は、光を求めてポケットの中からライターを取り出し、縋る様に親指を擦った。


「ああ、点いたァ」


 火を灯すと自らが閉鎖空間に居る事を認識させられた。そこは白い糸で作られたボールの中であった。


「これ…足に絡み付いてた奴か?」


 これが糸ならライターの火で燃やすことが出来るかも知れない。祈る様に両手で糸を炙ると次第に穴が開き、時間が掛ったが外へ出る為の穴を開けることが出来た。


「うっ」


 穴を開けた事でより濃厚な悪臭に包まれ、込み上げる物を堪えて辺りを見渡した。


 糸の外から見れば、青年が入れられていた物が虫の繭だと理解できた。だが青年の精神を大きく揺さぶったのは、地面に敷き詰められた無数の繭と、天井から吊るされた蠢く卵。そして人骨とそれにこびり付いた腐肉であった。


「おぼぅ…うげぇ」


 あまりの光景に遂には堪え切れず、胃の中身を吐き出した。


「…はぁはぁ」


 胃液で喉を焼き、沸き上がる恐怖心に足を振るわせながらも、早くここから逃げだしたい。半狂乱になりながら、どこかに出口は無いかと周囲を見渡す。


「…とびら?」


 見つけた。


 ミツケタ。


 どちらが先に見つけたのか、それとも同時だったのか、青年が扉を見つけたその時。彼もまた彼女に発見されたのだ。


「おい…いい加減にしてくれよっ!」


 扉に向かって走り出した青年の背後で、巨大な影が八本の足を動かしながら大きな音を立てて追いかけて来る。


 不安定な足場に足を取られながら、どうにかたどり着いた扉を開らこうと力を籠める。


「くっそ、開かない!」


 扉を良く見てみたらスライドして扉が収まる場所が、肉片で埋まってしまっている様子が視界に飛び込んで来た。


 このままでは、巨大な人食い生物に追いつかれてしまう。


「…そうだ、火が効くなら!」


 火を灯したままであったライターを怪物に向かって放り投げた。足元の繭が燃えてしまえば、時間稼ぎになると思い至ったからだ。


 ライターは怪物の上半身にぶつかり、その巨体に火が燃え移った。金属が引き摺られる様な甲高い奇声を上げ、火を消そうとしたのかその場で転げ回った。


「い、今の内だ」


 扉のつっかえになっていた肉片を掻き出し、スライドに必要なスペースを確保する。立て付けが悪いのか、なかなか開かない扉に渾身の力を込めて押し込む。


 自分が通れそうな僅かな隙間が開き、体を滑り込ませるように押し込む。


 扉の隙間を通り抜け残すは足首だけと言う処で、残った右足を小さな手が掴んだ。


「ああ、もう!」


 扉の向こうへ駆け出していた青年は、途端に体の制御を失って体が投げ出される様に転んでしまう。


 地面に顔をぶつけた鈍い痛みを感じる間もなく、急いで背後に振り返る。


「…あ、え?」


 青年が振り返った場所には、職員室の廊下に設けられた掲示板があった。


 嫌な予感がして、掲示板の二重になった紙を捲り上げる。そこには同じように描かれた少女が、青年の履いている靴によく似た物を右手で掲げていた。


「あ、ああ…」


 既に探しに来た友人の事など、頭の中に残っておらず青年は急いで車に駆け戻った。右足の靴が無くなってはいたが、人通りの少ない車道を運転するのに不自由はなかった。


 後日、友人が雲ヶ峰の廃校探索が楽しくて、数日外泊していたのだと連絡が来た。


 中学の方には行かなかったのかと、意を決して友人に聞いた。


「ああ、中学な。行って見たかったけど、十年前に谷が大雨で崩れたらしくてな。今もらしいんだ」

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