オフィスを走る

霜月かつろう

第1話

 同期の佐伯さえきをオフィスの中で探す。タイピング音が辺りから響き渡るのは昼休みが終わったばかりで見な小休止の後で張り切りすぎているからだ。あまり飛ばすと終業時刻まで持たないと思うのだが、そんなことは今はどうでもいいのに余計なことばかり頭を過るのは自分が混乱しているからだと斎藤智也さいとうともやは知っている。

「佐伯ちょっといいか」

 仕事中の佐伯を私用で捕まえるのは心苦しいがそうも言ってられない状況だ。こんな話同期の佐伯くらいにしか相談できそうにない。佐伯はモニターとにらめっこしていた視線をこちらに向ける。その目元は重くとても眠そうに見える。すまん。心の中で智也はそう呟く。

「斎藤。どうしたなにか問題でも発生したのか」

「いやそうじゃないだが、いや問題と言えば問題なんだけど、仕事は順調だから大丈夫で」

「ああ。わかったわかった。とりあえず屋上でいいか」

 佐伯は席を立つとずんずんと歩いて行ってしまう。智也より一回り大きく贅肉というよりは筋肉質でがっちりしているの体型は細身が多いオフィスではよく目立っていうる。佐伯のことをよく知らない女性社員なんかは必要以上に距離を取って道を空けているようにも見えるくらいだ。

 同期の佐伯とは妙に気が合った。そのほとんどが辞めてしまった中で会社に残っているのはふたりだけ。佐伯は実力はあるものの管理職には向いてないからお前に使われるほうがいい。なんていって智也の部下に納まっていたりする変わりものだ。

「一本いいか」

 静かにライターに火をつけてゆっくりと吸い始めた。始めからこちらの返事を待つ気なんてないその動作を見て、智也は自分が少しだけ落ち着き始めているのを実感する。佐伯がにやりとしたのが視界に入ってきて最初から手のひらの上なのだと思い知ったりもする。

「で、どうした。そんだけ慌ててるんだ。ただ事じゃなないんだろ」

「ああ。落ち着いて聞いてくれよ。俺に隠し子がいたらしい」

 佐伯は細い目を少し見開くと、ほう。とだけ呟くようにたばこの煙と一緒に吐き出した。

「斎藤って結婚してたっけ」

「いやしてない。それは知ってるだろう」

「まあ、確認だな。それで、その様子だと自分の子どもを認知してなかったことか。お前にもそんな時期があったんだな。でもまあいいじゃなか。結婚もしてないし特に問題もないだろう」

 嬉しそうにしている佐伯が少し気になるがそんなことはどうでもいい。

「それが大問題なんだよ。その子どもがこの会社にいたんだ」

 流石の佐伯もそれには驚いたようで表情から余裕が消えていく。

「順番に話を聞こうじゃないか。いくつの時の子だよ」

「多分19」

「これまた意外だな。若気の至りってやつか。んでどこのだれがお前の子どもでなんで急に発覚したんだ」

「それが営業の三島みしまさんって新人いるだろ」

「ああ、覚えている。斎藤のお気に入りだって言ってた子じゃないか。なんだ自分の子に惚れてたのか」

 そんなんじゃない。どこか透明感がありその立ち振る舞いに昔の彼女を重ねていただけだ。それに冗談交じりで入社式の時にだれが好みか話していただけに過ぎずそれを言い出したのは外ならぬ佐伯自身だ。それをまるで智也が好き好んでそんな話をしていたように話すのは止めてもらいたいが今はそれどころじゃない。

「その子が歌を歌っていたんだ」

「歌?」

「歌だよ。銀の龍の背に乗ってやつ」

「それがどうしたんだよ。まあオフィスで歌ってんなら変と言えば変だけどそれがお前の子どもとどう関係があるんだよ」

 まあ直接は関係ないのだが、少し気になって声をかけてしまったのだ。最初はたわいもない会話だった。こんなおじさんと話していてもつまらないだろうと、おじさん特有の自虐ネタに走った時だ。

『私お父さんいないんでいたらこんなんだったのかなって思って楽しいんです』

 そう言った。三島という苗字自体は珍しくないから放置していたけれどそれと三島さんと昔の彼女の面影重なり過ぎて、気になってしまったのだ。我慢できずにあれやこれやと踏み込んで聞いてしまった。

「そしたらちょうどなんだ。昔の彼女と別れた時期と彼女が生まれた時期が」

「それ。たまたまかもしれないし、たとえそうだとしてもお前の子とは限らないじゃん。別れる直後なら相手が浮気してた可能性だってあるわけだし」

 詳細を聞いて佐伯が少しつまらなそうにし始める。いやこっちには確信めいたものがある。遺伝子レベルで通じているのだ。そう思える。来世になったってこのつながりを断てるものではなく、運命でつながっているのだと智也は信じて疑わない。

「じゃあさ、確認してきてやるよ。斎藤の娘の三島さんですかって」

 いたずらっ子みたいな笑みを浮かべた佐伯がたばこの火を消すと急に走り始めた。

「えっ、いや。まてって」

 そう言ったところで止まるやつじゃない。筋肉質なだけあって足も速い。智也も追いかける様に走り始めるけれどいっこうに追いつける様子はない。いや、少しだけ手加減しているのだ。自分はずるいやつだとそう思う。こうなることをなんとなくだけど予感していて佐伯に相談したのだ。自分では確認する勇気が持てなくて。たとえそうだっとしたらどうしたらいいのか分からなくて。謝ればいいのか。彼女の母親に会いに行ったほうがいいのか。なぜ黙って産んだと問い詰めるべきなのか。

 オフィス内を走りながらこのまま佐伯がことを進めてくれるのを期待している。こんやつだからなにも教えてくれなかったのかもしれない。当時このことを告げらていたらどうしていたのだろう。受け止めきれずに逃げ出してたのかもしれない。

 今なら受け止めることが出来るのだろうか。19年知らなかった父親の事をどう思うのだろう。いまさらなんとかできることなのだろうか。

 いくら走っても彼女たちには追い付かないのかもしれない。それでも、ちゃんと受け止めて見せると智也は心に誓う。

 まあ、本当に親子だった場合の話だ。結果は先にしかない。先にしかないならどんなにずるくても進めばいい。それが大人になった特権だ。

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