8話

「逃げろ!」


 ポルックスの声で、私達は一斉に逃げ出した。男達も追ってくる。背後で二発の銃声が響いた。誰も当たっていない。おそらく威嚇射撃だ。

「とにかく、街をでましょう!」

「思った以上にやばい事態だ!」

 夕焼けに沈む街を、私達は縫うように走る。何事かとざわめく民衆の隙間を、男達がすり抜ける。

 奴らはどこまで追ってくるだろう。

 街を抜ければ諦めるだろうか。

 それとも、森の奥まで追ってくるだろうか。

 もし諦めないのなら……。


「アネモネ!」

 横を走るマリアが言った。

「大丈夫! なんとかなるよ!」

 銃を向けられ、追われている最中、なんて呑気な言葉だろう。私はふっと、口元を緩めた。

「そうだね、なんとかなる」


***


 逃走を続けるアネモネ達は、ついに街の端までたどり着きます。しかし追手は止まりません。彼女達はなおも逃げ続けます。


***


「どこまで追ってくる気だよ!」

 街の雑踏ははるか遠くに霞んでしまった。私達の足音と、追い走る彼らの足音だけが辺りに響く。

「森に入れば撒きやすく——」

 マリアの声は、乾いた銃声にかき消された。

 後ろの男が発砲したのだ。

 街の外れで、人気のないことが災いした。銃で私達の足止めをしようとしている。


 いや違う。殺そうとしている。


「どうして……」

 別の男が再び発砲する。カストールの足元の地面が弾ける。カストールは少しよろけたが、当たってはいないらしい。

 それを見たポルックスは、その手を周囲のガラクタに向ける。

「いい加減にしろよお前ら!!」

 木材の破片や鉄製の工具が次々と宙を舞い、男達に向かって突進する。

 二人の男に命中したが、それでも勢いは衰えない。


「確定だ」

 男達はポルックスに狙いを定めた。



 ——。



 それは一瞬だった。


 銃声だけが、耳の奥に残る。


「なん……」

 ポルックスを狙う凶弾は、カストールに阻まれた。

 衝撃からか、カストールの顎は上を向く。赤い液体が散る。


 そして、カストールは倒れ込んだ。


 銃声だけが、耳の奥に残る。


「姉貴っ!!」

 ポルックスが姉の元に駆け寄る。

 私とマリアも、立ち止まった。

「姉貴! しっかりしろ!」

 ポルックスはカストールを抱き抱えた。その地面には、赤い血溜まりができている。


 男達は銃を構えた。立ち止まった私達を、その銃口で捉えている。

「観念しろ」


 観念しろ?

 観念しろだって?

 カストールが何をした?

 私達が何をした?

 理不尽に追われて、撃たれて、そんな仕打ちを受ける理由がどこにある?

 食い縛った歯が軋む。

 もういい。

 最初からこいつらを吹き飛ばせば良かったんだ。

 もっと早くやれば良かったんだ。

 カストールが撃たれる前に。

 その前にこいつらを——

「アネモネ!」


 私の両腕を掴んだのは、マリアだった。

「今はっ……!」

 その瞳は、ぼろぼろと涙をこぼす。

「今は早く、カストールを安全なところに……!」

 カストールには、まだ息がある。ここで男達を蹴散らしても、すぐに次がくるだろう。

 治療のために今、必要なのは……。

「私が風で運ぶ」


 周囲の風を巻き込んで、上昇気流を産む。私とマリア、ポルックスとカストールを包み、上空へと浮かび上がらせる。男達は狼狽し、発砲を繰り返す。しかしもう、当たらなかった。

 風は私達四人を乗せて、森の奥深くへと運ぶ。

 草原をかき分け、安全な場所にカストールを下ろした。


 血はまだ、止まっていない。


 目は虚ろに、呼吸は浅く、もう痛みすら、感じていないかもしれない。

「姉貴死ぬな! 姉貴!」


 赤く染まる草原を見て、私は一つ思い出した。


 かつて暮らしたあの村で、血の滲んだ私の傷が、すぐに治ったことを。

 理屈はわからない。でも私は、他者に力を与えることができる。マリアや双子達が、その魔法の出力を大きくしたように、カストールの治癒力を高めることはできないだろうか。


 私は両手を、カストールの傷にかざした。

 左目の熱を、両手へと流す。

 両手の熱を、カストールへと。


 治れ。


 治れ。


 吹き出ていた血が止まった。

 期待に呼吸がはやる。

 もっと力を。

 治れ、治れ、治れ。


 私の考えは、どうやら正しかった。



 だが、手遅れだった。


 カストールは、血を流しすぎてしまった。

 もう遅かった。


 カストールの、目の光が消える。

 その手を握り、ポルックスが泣いていた。


 傷は塞がっていた。


 傷は塞がっていた。


 あとどのくらい早ければ間に合っただろうか。

 私が、マリアに諭される前に、風で皆を運ぶ判断をしていれば?

 私が、怒りに流されそうにならなければ?


 マリアが私の肩を抱く。



 誰も何も言わなかった。


 なんでこうなったんだろう。

 私達が何をしたのだろう。


 私達は、人とは少し違う。

 不思議な力が使えるし、人より長い時間を生きる。


 でもそれだけだ。それ以外は、何も変わらないのに。


 焼き付いた記憶が、脳裏を焦がす。


 私と老人を、村から追い出そうとした人々。

 レオに石を投げつけた人々。

 カストールを撃った、男の銃。


 人の心が暖かいものだと言うのなら、

 優しさを、人の理想とするのなら、



 奴らはきっと、人間ではないのだ。

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