~嫉妬~
図書室で資料をじっくり読んでいたら、いつの間にかお昼を過ぎていた。
朔夜、先に来ちゃってるかな?
ちゃんと約束はしてないし、朔夜が勝手に言っていただけだけど、私は言われていた喫茶店に向かっていた。
だって仕方ないでしょう?
帰る場所は朔夜のところしか無いんだから。
朔夜にそう仕向けられたと思うと、怒りに似た気持ちがわいてくる。
でもどうしようもない。
頼みだった協会は全くあてにならなかったし。
「結局は自分次第ってことか……」
はぁ……と思わずため息が漏れた。
でも……。
「でも、朔夜がいたからあの事件任せて貰えたのよね……」
それを思うとかなり複雑な心境になる。
いや、そこら辺のこと考えるのはもうよそう……。
考えたって仕方ない。
とにかく、朔夜と合流したらこの事話して協力して貰わないと。
素直に協力してくれるかどうかはわからないけど、佐久間さんにあれほど念を押されたのだから言わない訳にはいかない。
「……でも、無理そうよね……」
眉間に軽くしわを寄せ、
その顔で、きっと「何故俺がそんなことしなきゃならないんだ?」とか言いそう。
朔夜とは会ってまだ数日しか経っていないけれど、あの俺様で唯我独尊気味の性格は結構分かりやすい。
分かりたくは無いけれど、分かりやすい。
朔夜がどんな反応をするか想像してしまうと、段々話したくなくなってきた。
佐久間さんには悪いけれど、朔夜に内緒で一人で調査を初めてしまおうかと思ってしまう。
「って、そういうわけにもいかないか……」
仮にも本部部長の指示だ。
逆らう訳にはいかない。
「はぁ~……」
今度は重く長いため息を吐きながら、私は朔夜が待っているであろう喫茶店にゆっくり足を進めた。
喫茶店が見えてきて、朔夜の姿を探す。
朔夜は遠目からでも目立つからすぐに見つかった。
テラスの方にいるから良く見える。
でも、そこに居たのは朔夜だけじゃなかった。
朔夜の向かいに、美女が座っていたのだ。
二人は楽しそうに歓談している。
私は、五メートルほど離れたところで立ち止まり、その様子をただただ見ていた。
美男美女でお似合いの二人。
絵になる風景。
ねえ朔夜、その人は誰?
今一番言いたいセリフ。
そして、今一番言いたくないセリフ。
何故なら、そのセリフに乗せようとしている感情に気付きたくなかったから。
小さく芽吹いたこの感情は、まるで小さな竜巻のように私の心をかき乱そうとしている。
私は突っ立ったまま、それを抑えようとしていたけれど……。
視線の先の朔夜が、美女の頬に指先で触れた。
顔の線を伝って、顎を持ち上げる。
その親指が、唇をなぞった。
「……っ!」
もう、見ていられなかった。
胸が苦しい。
息がちゃんと吸えない。
苦しくて、涙がにじんだ。
私は耐えきれなくてその場を離れようとした。
なのに……。
「あっれ~? 君どうしたの? 泣きそうな顔してるよ~。俺が慰めてあげようか?」
嫌に明るい声が目の前に立ち塞がった。
知らない男性。
その軽そうな風貌と口調でナンパだと分かった。
何でこんな時にナンパが……。
「どいて、私今すぐここから離れたいの」
苦い顔をして突っぱねた。
まともに相手なんかしてられない。
「そっか~じゃあ何処行く?」
私の言葉を聞いてないのか、それとも聞いていたのに無視したのか。
ナンパ男はそう言って私の肩を抱いてきた。
なにこのナンパ。しつこい!
「離してよ!」
朔夜がこっちに気付いちゃうじゃない!
気付いていないか確認しようと、横目で朔夜の方を見る。
すると朔夜は、気付いて居ないどころかむしろこっちに近づいて来ているところだった。
わー来た!
「ちょっ、本当に離して」
「ん? 何、あの男から逃げてんの?」
ナンパ男が私の視線の先を見て、察して言った。
「あーもう、そうよ!」
私はもうやけっぱちで叫ぶ。
今はナンパ男の事より、朔夜の顔を見たくない気持ちの方が強かった。
「じゃあついて来いよ。撒いてやる」
「へ? はあ!?」
私の返事も聞かずにナンパ男は私の手を引いて走く。
引っ張られて転びそうになる。
転ばないためには一緒に走るしかない。
私は仕方なくナンパ男について行った。
「望!」
後ろで朔夜の声が聞こえたけど、私は振り返りもせず無視した。
ずっと手を引かれて走って、ずいぶんと入り込んだ場所で止まる。
私は息を整えながらナンパ男に言った。
「とりあえずは、ありがとう……でももういいから。手、離して」
「それはダメだね。あんたをある人のところまで連れて行かなきゃならない」
ナンパ男はそう言うと、私を引き寄せ抱き上げた。
「なっ!? ちょっと!」
抗議しようとしたら、顔が近づいて来る。
「何をっ……!?」
キスされると思った。
でもナンパ男は私の顔を逸れ、首筋にその顔を埋めた。
「触り心地良さそうな肌してるぜ。あの人のモノじゃなかったら今すぐ犯してやるのに」
耳元で囁かれ、首筋に息がかかる。
熱い吐息は、私に恐怖を覚えさせた。
「っや……!」
得意の合気道で切りぬけようと集中しようとした。
でも、ナンパ男がそのまま私の首筋に舌を這わせる。
「っ! ぃやぁっ!」
嫌悪感がどうしようもなく湧き上がって来て集中出来ない。
せめてもと、ジタバタ暴れたけれど男からは逃れられなかった。
「良い反応するぜ。ああ……本当にあの人のモノじゃなけりゃあなー」
男の手がイヤらしくうごめく。
徐々に荒くなっていく熱い息を肌がしっかりと感じ取ってしまう。
もう、泣きそう……。
自分がこんなに弱いとは思わなかった。
何人もの違反吸血鬼を捕まえていたから、強くなっていると思っていた。
確かに強くなった。
何も出来なかった昔よりは。
でも、精神面は弱いままだったらしい。
恐怖を感じてしまうと、身がすくんで思うように体が動かない。
初めて朔夜と会ったときもそうだった。
朔夜の美しさに恐怖を覚え、思わず体が逃げようと後退りしていた。
そう。
私は植えつけられた恐怖を、未だに克服など出来ていなかったんだ。
「ぃやだぁ……」
自分の弱さを思い知らされ、泣きそうな声で訴える。
「うわっスゲーそそられる……抑えきかなそうだ」
男の手が服の中に入ってきて腰の辺りを撫でた。
ゾワリと、寒気に似た感覚が脳にまで伝わって来る。
「っ絶対にやだぁっ!」
私は助けを求めるかのように大声で叫んだ。
誰かが来てくれるかなんて考えた訳じゃなかった。
ただ、この状況から脱したい一心で叫んだだけ。
答えてくれる人がいるなんて、思っていなかった……。
「俺のモノに手を出すとはいい度胸だな」
澄んだ空気のように、冷たい声が響いた。
同時に、ナンパ男の首に太い腕が巻き付く。
「うぐっ」
絞められたのか、男が苦しそうにうめき私を離した。
男から離れた私は状況を把握する。
朔夜が、男の首を絞めていた。
その表情に、容赦という言葉はない。
口元は笑っているけれど、目が全く笑っていない。
先程聞こえた声と同じく、とても冷たい色をしていた。
そんな朔夜が瞬間的に腕に力を込めると、男の意識がなくなった。
地面に倒れた男を見てホッとする。
死んではいない。
ただ、“落ちた”だけだ。
朔夜は男が当分動かないことを確認すると、今度は私に向かって来る。
私は思わず後退りした。
だって、朔夜の目は変わらず冷たい。
……ううん。
冷たい中に、ひそかに炎が見えるかのよう。
朔夜は、怒っていた……。
でも、ここまで近付かれてしまってから朔夜から逃げることは無理だ。
すぐに目の前に来られ、腕を掴まれた。
引き寄せられ、顎を強く掴まれる。
「うっ」
静かな怒りをたたえた瞳が私を睨む。
そして私は、喰われた……。
噛みつくような、幾度目かのキス。
でも、今回は今までと違って優しさが欠片ほどもない。
貪って、本当に喰われているような気分。
苦しい……。
まともに息が出来ない。
そして、腕を掴んでいた朔夜の手が服の中に入ってきた。
「ぅんっはっ……やっんんぅー!」
流石にそれ以上は勘弁してほしい。
話すことは出来なくても、うめいてその意思を伝えた。
すると朔夜は一度唇を離す。
「あの男には許して、俺は駄目か? ふざけるな」
それだけ言うと、私の反論など聞かずにまた唇を合わせた。
「んんぅっ!」
違うのに……。
好きでされていたわけじゃないのに。
反論の声は喉の奥に押し込められる。
朔夜のキスは更に深くなって行った。
朔夜の手は私の中の女を呼び覚まそうとしている。
私の意思なんて関係なく。
いや。
こんな無理矢理……。
こんなのいやぁ!
私は、耐えきれず泣いた。
「うっふぅ、ん……ひっく……」
唇は塞がれていても、嗚咽は漏れるため朔夜もすぐに気付く。
「泣くか? いいさ、泣いて嫌がる姿に俺はそそられるからな」
そう言って朔夜は皮肉気にクツリと笑う。
そんな朔夜に腹が立ったけれど、私はまず誤解を解きたかった。
「私そいつに好きでされてたわけじゃない!」
はっきりと言ったけれど、朔夜は納得しなかった。
「じゃあ何故こいつと一緒に俺から逃げた?」
「っ! それは……」
「答えられないなら、このまま黙ってヤられてろ」
冷たく言った朔夜は、顎を掴んでいた手を喉を伝って下げ、鎖骨を撫でた。
「ぃゃぁ……」
今にも消え入りそうな声が出る。
朔夜はそんな私の反応にニヤリと笑い、耳の縁を舐めてきた。
「っ!?」
このままだと本当に最後まで行ってしまう。
でも、止めて貰う為には正直に言わなきゃならない。
「今日は昨日の様に抵抗しないんだな。やっぱりそいつにシテもらってよかったのか?」
耳元で憎々し気に囁かれた言葉は、私の心を傷つけた。
違う。
違う違う違う!!
悲しくて、悔しくて……涙が滲む。
感情が席を切ったように溢れ出て、言葉となった。
「そんな名前も知らない男なんか関係ない!」
私は悲痛な気持ちで泣きながら叫んだ。
朔夜はそれでも止める気はなさそうだったけれど、私はその隙に続ける。
「そいつはナンパしてきただけ。貴方から逃げたかったから、仕方なくついて行っただけよっ!」
そこまで言って、やっと朔夜の手が止まる。
朔夜の胸元の服をぐっと掴む。
嗚咽を漏らしながらうつ向いていたから、朔夜の顔は見えない。
いや、見たくないんだ。
朔夜が今どんな顔をしてるか分からないから。
「じゃあ何故俺から逃げた」
私は朔夜の胸元を掴む力を強めた。
まだ、思い出しただけで胸が苦しくなる。
心の奥底から、混沌とした嫌な感情がじわじわとわいてくる。
その感情の名前を私はもう知っていた。
でも、認めたくなくて眉を寄せる。
「言え」
でも、短気な朔夜に耳元で凄まれた。
「っ!」
こうなったらもうヤケクソだった。
「朔夜が悪いんだから!」
うつ向いたまま、私は叫ぶ。
「あんな綺麗な人と楽しそうに話して……しかもあんな事までして……」
「あんな事?」
「唇に触れてたじゃないっ!」
口に出した瞬間、その光景がまざまざと思い出された。
堪えて溜め込んでいた痛みが、さらなる涙として溢れてくる。
とめどなく溢れる涙は視界を揺らす。
それに伴う嗚咽は言葉を奪った。
朔夜はそんな私の顎をまた掴み、上向かせる。
きっと酷い顔してるだろう私の顔を、ジッと見つめていた。
「ふぅっ……見ないでよぉ……」
涙で朔夜の顔はよく見えない。
ただ、徐々に近づいて来ているのは分かった。
ぺろっ
「っ!?」
頬を舐められた。
ぺろぺろと、涙を拭うように優しく。
そして最後に、唇を吸われる。
朔夜の舌が、優しく私を愛撫していた。
朔夜……。
分かって、くれた……?
朔夜の優しい手に、唇に。
嬉しくて一筋涙が零れた。
腕が自然と朔夜の背に回る。
思わず、抱き返そうとしていた。
でも――。
「うっぐぅ……」
突然朔夜がうめき声を上げて私を離した。
見ると、倒れていた男が朔夜を羽交い締めしている。
「ノンキにイチャついてんなよ。それにその女はあの人……
男はそう叫ぶと、朔夜の首筋にかぶりついた。
「ぐっ!」
こいつ、吸血鬼!?
こんな状態になって初めて気付いた。
だって吸血鬼と人間の違いなんて、普通はあまり分からない。
「くっ」
朔夜は珍しく顔を歪めてうめく。
何とか男を振り払ったものの、結構血を吸われたようで地に膝をついた。
「朔夜!」
いつもの余裕がない朔夜が心配で、私はすぐに彼に駆け寄る。
でも、その私の腕を男が掴んだ。
「お前はこっちだよ。十六夜さんが待ってる」
「嫌! 大体十六夜って誰よ!?」
片手で朔夜にしがみついて、何とか男の力に逆らいながら叫んだ。
私の叫びに男は嘲笑う。
「知ってるはず……いや、忘れられないはずだぜ?」
嫌な予感がした。
男の言葉をこれ以上聞いてはいけないような予感が。
それでも、男の口は私の思いに関係なく言葉を紡ぐ。
聞きたくなくても、男の言葉は耳に届いた。
「数年前、お前を無理矢理モノにした人さ。あの人はお前を望んでる。だから俺が迎えに来たんだ。来いよ!」
「っい…ゃ……」
その十六夜が起こした事件を協会で受けたばかり。
仇として、捕まえるつもりでいた。
なのに、数年前のことを思い出すだけで恐怖を感じてしまう。
乗り越えられたと思っていたけれど、実際は変わりなかったみたいだ。
今日はとことん自分の弱さを思い知らされる日らしい。
私はろくな抵抗も出来ず、また男の腕の中に収まってしまった。
「大人しくしてろよ? 行く……ぜ…?」
突然、男の様子がおかしくなった。
私を捕まえている腕の力が弱まり、顔に脂汗がにじんでいる。
「な、んだ……これは……? 何かが、体の中で……暴れてっ!?」
私を離して、男は苦し気に喉と胸を掻くように押さえた。
そのままヒザをついた男の苦しみ様は、異常だった。
「うっぐああぁ! くっがあっ!」
うめき、地面をのたうちまわる。
私は男の異常な苦しみ様に、目を見開き後退った。
朔夜のところまで戻ると足を止める。
「バカが……不用意に純血の血なんか飲むからだ……」
膝をついている朔夜が呟く。
男の絶叫が続く中、朔夜の声ははっきりと聞こえた。
「純血の血は……普通の吸血鬼には強すぎる」
朔夜の呟きを耳にしながら、私は男がゆっくり動きを止めていくのを見ていた。
「死んだ……の?」
動かなくなった男を見つめたままで、口を動かす。
その私の言葉に、朔夜がゆっくり立ち上がりながら答えた。
「まだ死んではいないはずだ。そいつが純血の血にたえられるかどうかで決まるな」
そして後ろから肩を抱かれる。
「そいつは放っておけ。帰るぞ」
「え? でも……」
私は男を本当に放っておいて良いのかどうか迷った。
「自分を無理矢理連れ去ろうとした男を心配しているのか?」
朔夜は「とんだ甘ちゃんだな」と私を嘲笑う。
そしてふぅー……と辛そうに息を吐き告げた。
「どっちにしろ何も出来ない。そいつの体力次第だ」
そう言って私の肩を引く。
今度は私も素直に従った。
だって、確かに朔夜の言う通りだし、私に何も出来ることが無いならいたって意味がない。
肩を抱かれたまま、朔夜の車が置いてある場所に連れて来られた。
特に言葉を交わさずに車に乗り込み、帰路につく。
朔夜からは、さっき血を吸われた直後の余裕のなさを感じない。
あのときはかなり危ないのかと心配したけど、どうやら思い過ごしだったみたいだ。
良かった……。
そう思った直後、その気持ちに私は眉をひそめる。
私の心は、もう随分朔夜に傾いていた。
マンションに戻り、エレベーターに乗り込む。
朔夜はずっと何も話さない。
十六夜の事とか、聞きたくはないんだろうか?
疑問に思いながらも、私から話しかけることはしなかった。
今はまだ色々と気持ちが複雑だったから。
エレベーターが最上階につき、私達はやっぱり無言で部屋の中に入った。
「くっ……」
中に入った途端、朔夜が小さくうめき床に崩れ落ちる。
「朔夜!?」
私は驚いて、膝をつき朔夜の様子を見る。
顔が真っ白だ。
ううん。
寧ろ青白い。
やっぱり、血を吸われたから?
「朔夜、立てる?」
とりあえず、ベッドに寝かせないと。
こんなところではろくに休ませることも出来ない。
でも朔夜の意識は朦朧としているようで、私の言葉に返事はない。
仕方なく、私は朔夜を引きずってベッドまで運んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます