未明
江戸川台ルーペ
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暗闇から瞬きを一つして、僕らはスタートを切った。
真っ白な世界だ。景色は何もない。地面さえ白い。横を見たら、誰も服を着ていない。裸の人間たちが地平線の先まで横に連なりゆっくりと歩いている。そこでは地平線ですら白い。
始まったな、と僕は思う。
慌てるんじゃねえぞ、と心の中で誓う。
と言っても、走り出そうとしても、膝まで雪のように真っ白いおが屑のような粉が積もっていて、思ったように進めない。振り返ると、自分の足二本分の溝がこれまた地平線の向こうまで続いている。いつの間にかずいぶんと遠くまで来たものだ。足を引き抜くようにして前へ進む。ここでは重力さえ白い。
隣の人が気になる。
しかし、恥ずかしくて声が掛けられない。なんと言っても、みんな裸なのだ。何故裸なのだろう。ずいぶんと心細い。腕を広げて一本分の遠さで一緒に歩いている誰かが両隣にいるのが感じられるが、ちらりと視線を送るのも不躾に思える。男性か女性かもわからない。しばらく前だけを見て歩く。ここでは性別も白い。
いつの間にか足が軽い。
膝まで積もっていた何かが自分の足を捉えることはもうない。後ろを振り返ると、何人かが歩を止めてじっと前を見て立っている。彼らはもう、前に進めない。それは僕が歩みを止められない事から分かる。止めようとしても止まらない。自分の肩越しに声を掛けようとするが、言葉が喉に詰まってでてこない。彼らは小さくなっていく。僕は忘れてしまう。ここではさようならさえ白い。
やがて小走りになった。
歩くだけでは遅いのだ。景色が白いだけでは退屈だし、試しに走ってみたらとても楽しい。速度を上げると風景が色付く。風が感じられる。白かった匂いが密度をもって鼻をつく。色んな空気が混ざり合って明るく肺を満たす。靴を履いて軽く走っている。隣の人たちに目を向けると、差が出てきた。数名は僕の前にいて、数名は後ろにいる。僕はもっと前に行きたい、と思い始める。もっと早く走れるはずだから。
一度上げたスピードは落とせない。その事に気が付いたのは、初めて息切れを起こした時だった。
鼻が乾燥し、喉が痛い。ちょっと歩いて休もうとしても、左右規則正しく前へ前へと運ぶ足が止まらない。これはまずい、と僕は焦る。こんなつもりじゃなかった。ちょっと退屈して、走ってみただけなのだ。少し前へ出て気持ちがよくなりたかっただけなのだ。駄目だ、これはキツい。咳き込みながら、何とか息を整えようとする。吐きそうになってえずく。軽々と前を走る奴らが憎い。ここでは憎ささえ白……くはない。もう周囲に白いものは何一つとして存在しない。
いっそ、足を止めてしまった方が楽なのではと真剣に考える。誰が走れと命令したのだと、諸悪の根源を求める。糞が、と涎を垂らす。そいつをぶっ殺してやる、と心に誓う。だが思い付くのは自分の顔だけだ。
自分の顔、と僕は思う。
どんな顔をして走ってんだ?
ねえ、と隣の人に声を掛ける。
気が付いたら隣の人は姿を消している。
前にもいない。
後ろにもいない。
ここでは鏡が映すものだけが白い。
(了)
未明 江戸川台ルーペ @cosmo0912
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