【バレンタイン特別編】高島湊の縁談~薔薇とチョコレート~

ホテル・ニューグランドの奥、“主”の執務室。

その一角にある豪奢なソファにグッタリと身を沈めて話しているのは、UGNMM地区支部長であり高島重工の若き会長でもある高島湊だった。


「……という訳なんだ」


湊の愚痴混じりの話を要約すると、昼間に叔母から連絡があり、仕事の話もそこそこに「縁談」を勧められた、という事だった。その長さと執拗さに閉口した湊は、この部屋の主との予定を口実に逃げてきたのだった。


「バレンタインにチョコでもねだりに来たのかと思えばそういう事か」


そう言ってくっくと笑うのは、瀟洒な服を纏った少女。この部屋の、そしてMM地区の“主”。

“赤い靴はいてた女の子”のレネゲイドビーイング、荒絹かれんだ。

少女はソファに歩み寄ると、湊のほど近くへ背側からもたれかかった。


「まぁ仕方あるまいよ。あれの気持ちも察するに余りある」


と機嫌良さそうに答えるかれん。元来面倒見が良い性格という事もあり、湊が頼ってきてくれた事が嬉しいのだった。(みなとみらい地区のレネゲイドビーイングのまとめ役なんて事をしているからも当然なのではあるが)

反対に湊は不満そうな顔をかれんへと向けた。


「気軽に言ってくれるねかれん。だが、俺はまだ23だぞ」

「それがどうした。今でこそこの国は晩婚化が進んでおるが、それも最近のこと。遅いくらいよ、湊」


2人とも常ならぬぞんざいな口のきき方。人前では女主人と従者然としているが、付き合いは湊の年齢と同様23年にも及ぶ。人目が無ければ気安い仲であった。


「それに……あれらは高島の行末が不安なのよ。今、本家の当主たるお主の元で高島一党は結束し、会社も、このみなとみらいの地も順調じゃ」

「だが、先はどうだ?我の庇護を受ける高島本家の血筋は、ただ独りお主が残るのみ。FHの活動が激化する中、お主に何かあったら揉めるは必然」

「ならば早く世継ぎを──と分家の者らが考えるのも無理はあるまい。政略結婚を強要せぬだけマシというものよ」


そこまで言った後、かれんは湊の目元を隠す様にそっと撫でた。


「それに……我もそうじゃ。常に我の傍に居てくれた高島の人間が居なくなるのは……寂しい」


かれんの手が湊の髪を梳いて落ちた。


「かれん……」


湊が見たのはしかし、かれんのにんまりとした笑顔であった。


「だから早く結婚せよ湊。そして我にお主のやや子を見せるがよい。お主はすっかり大きく生意気になってしまったが、子供の頃は可愛かった。お主の子であればそれはそれは可愛いだろうよ」


かれんの軽口。いつもなら流せるそれを、昼のわだかまりが残っていた湊は流す事ができなかった。思わず半眼でかれんを睨む。


「ん、どうした湊。なぜ恐い顔をしておる」


だから、かれんの意地の悪そうな笑顔に、つい口が滑った。


「私が恋人を作らない理由は……初恋のヒトを今も忘れられないからです」


それを聞いてかれんは驚き、喜んだ。なんの事は無い、心配は杞憂だったのだと。


「ほう!それは初耳じゃの。湊も存外一途ではないか。ふふ、“初恋は実らぬ”などと言うが、安心するがよい。お主は立派な男となった。求愛を拒む者はそうはおらんだろう」

「……本当ですか?」


そこでかれんは何かを思い付いた様だった。だから湊の言葉に潜む真剣さに気付けなかった。


「うむうむ、本当だとも!さて湊。お主の想い人が誰か教えよ。一応我の方からそっと様子を伺ってやろ……」


言いながら端末を取りにソファから離れようとするかれん。

その手を、しかし湊が掴んだ。

バランスを崩したかれんを、湊がソファ越しに抱き留める。


「何を……」


と口を開きかけたかれんが見たのは、初めて見る感情に揺らめく湊の瞳。

湊はかれんを丁寧にソファに下ろすと、傅いて恭しくその手を取った。


「私にとっては昔の事ですが、貴女にとってはごく最近のこと。幼き故の蛮勇を、覚えておいでではないですか?」


湊が離した少女の手首には、鎖で編まれたブレスレットが輝いていた。


「仰られた通り貴女から何かを頂けるとは思っていません。ですが、私からの贈り物はお受け取りください」


だが、その湊の言葉に反応は無かった。かれんはブレスレットを見たまま一向に動かない。

その様子を見て急に気恥ずかしくなってきた湊は、一礼して部屋を出ていく。


「すまない!忘れてくれ……!」


勢いよく閉まった扉の揺れで、ブレスレットに付いた“かれん”の薔薇のチャームが“しゃらん”と鳴った。


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──はたして次の日、事態は急展直下の展開を見せた。

かれんは突如として高島一族をウェブ会議に召集すると、あらためて一族の変わらぬ庇護を約束し、本家の後継者問題についても自らの対処を明言したのである。

親族一同は「湊の婚約者はかれん様が世話をしてくれる」と安心した様だった。

次々と接続が切られ、その場にはかれんと湊だけが残った。


「……まぁ、あれだけ言えば暫くは大人しくしているでしょう」


気まずい沈黙の後、先に口を開いたのはかれんだった。なぜかその口調は人前用の物のままだ。


「かれん……その、ありがとう」

「愚かな人。昨日は言うだけ言って逃げ出して。もう立派な大人になったかと思えばそうでも無かった様ですね」

「ぐ……すまない」


肩を落としている湊を横目に見ながら、かれんは腕を組んで言った。


「いいわ。許します。今日の事も、そして……昨日の事も」


かれんは手にしていた箱を、机に叩きつける様にドンッと置くと、湊を睨みつけながら言った。


「人の心は移ろいやすいもの。あなたが心変わりするまで、好きになさい」


かれんの有無を言わさぬ迫力に頷くことしかできない湊をよそに、少女はその身を深紅の血汐と化し、消えた。

置かれていった箱の中身は、ニューグランドのケースに入った──どう見ても手造りの──ボンボンショコラだった。


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ホテル・ニューグランドの自室に現れたかれんは、ふらふらとソファに倒れこんだ。

そこは、湊が自らを抱き留めた場所。

「──本当に、愚かな人」

それは誰に向けた言葉だったのか。

どうであれ、少女の頬が、腕に光るチャームの色に染まっていたことだけは、確かな事だった。

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