金色の風

鱗卯木 ヤイチ

第一章

「マジかよッ!」

 ヘルメットの中で晃がそう叫んだ時には既に手遅れだった。

 一時停止の標識を無視して飛び出してきた車が、すぐそこに迫る。オレは少しでも衝撃を和らげようと身体を車とは逆方向に傾けるが、全てを避けるまでには至らなかった。その車は容赦なくオレを弾き飛ばした。

 ぶつかった衝撃でオレは、物の見事に転倒し、飛び出してきた車とは反対側へとまっすぐに滑ってゆく。その先にあるのは、ご丁寧に頑丈なフェンスが設えられた中央分離帯。このままではフェンスに激突し、ぞっとしない結末になりそうだった。

 カーリングストーンの様に道路を滑るオレは、必至で身体を揺らして進路を変えようと試みる。が、このスピードで進路を変えるのは土台無理な話だった。そのままオレは中央分離帯にぶつかりそうになったその時、奇跡が起こった。スタンドが路面の窪みに引っ掛かり、車体の向きが変わったのだ。

 よし、これでいい!

≪ガジャン!!≫

 大きな音が深夜の大通りに響きわたった。そして車の遠ざかる音が聞こえた後、夜はまた静けさを取り戻した。


 晃は元々走っていた車線のちょうど真ん中にうつ伏せになって倒れていた。晃自身がフェンスへ直撃することは避けられたものの、反動でまた元の位置に跳ばされていた。

 深夜だったこともあり、交通量が皆無だった事が幸いした。昼間であったら間違いなく後続の車に轢かれていただろう。


「……いっつつ……」

 晃は立ち上がり、身体の状態を確かめた。衣服は所々擦り切れているが、骨折などの酷い怪我はしてなさそうに見える。

「くっそ! 突然飛び出してきやがって! ……っつ、あれ、俺のバイクは? あぁ! フェンスにぶつかって……。うわっ、結構ひでぇ! 大丈夫かよ?

 くそっ、俺のバイクをどうしてくれるんだ! ……って、あれ!? 車がいねぇじゃん! ちくしょう! 逃げやがった!!」

 やはり先程聞こえた車の音がそうであったらしい。恐ろしくなったのか、面倒に巻き込まれることを避けるためか、とっとと逃げ出したらしい。

「あー……、ちくしょう……。……とりあえず、警察に連絡するかぁ……」

 晃はスマホの無事を確かめて、警察へと連絡した。


 それから程なくして警察がやって来た。しかし、そこからが長かった。

 警察はひき逃げをした車の特徴や車種やナンバーについて聞き終えると、今度は不審者を扱うように、晃が何故こんな深夜に走っていたか、家はどこかなどを根掘り葉掘り聞き始めた。晃は不機嫌になりつつも、なんとか最後まで警察の相手をやり遂げたのは称賛に値する。

 病院に行かなくても良いかと晃は警察に何度も聞かれたが、これ以上時間を取られるのは真っ平御免と固辞して、早々にその場を後にした。

 警察から解放された時には、夜が明けようとしていた。



「……なんとか動いてくれて良かった。お前が廃車になったら俺はどうしようかと……」

 晃はそう言って車体を撫でる。

 家まではあと50Km程度だった。この速度で走り続けられれば、あと1時間ほどで家に到着するだろう。

「……それにしてもひでぇなぁ。お前、かなりボロボロになっちまって……。まぁ、散々これまで乗ってきたせいもあるけどな」

 晃はそのまま独り言を続けようとする。晃にしては珍しかった。普段走っている時は寡黙なのだが、このように饒舌なときは、大抵とても機嫌が良い時か、それか何か思う事がある時かのどちらかだ。

「俺が16歳の時に免許取って、親に借金してお前を買って……。もう12年かぁ。思えば、色んなところに行ったよなぁ」

 そう12年。晃と『オレ』が出会ってから、もう12年が過ぎた。

≪ブルルッンッンッン≫

 先程から『オレ』のエンジンの音に時おり異音が混じる。

 ぐっ……。今回はちょっと派手にぶつけ過ぎた。エンジンとマフラーがフェンスに直撃し、その余波でフレームもかなり歪んでしまっていた。

 しかし、晃がフェンスに直撃する前に運良く方向転換が出来たのは本当に幸いだった。あのままフェンスに突き進んでいたら晃はおそらく無事ではいなかっただろう。

「おい、大丈夫かよ……。思った以上にダメージ食らってんな……」

 あぁ、晃、もちろん大丈夫だ。『オレ』が必ず無事にお前を家まで送り届ける。今までだって、そうだっただろう?

「……帰ったら、ちゃんと整備してやるからな。またこれからも一緒に色んな所に旅に行こうぜ……」

 ……そうだな。また、一緒に行けるといいな、晃。

「……」

 そうだ、晃、覚えているか?

 ふたりだけで旅をした最初の時、道に迷って予定よりかなり遅くなったよな。家の近くに着いた頃には既に朝方で、『オレ』達はヘトヘトで、もう二度と旅になんて出るものかと思ったけれども、朝焼けで真っ赤に染まった空を見て、また旅に出ようって思ったんだよな。

「……あの日の空、綺麗だったな……」

 図らずも晃が『オレ』と同じことを考えていた。

≪ブルルッンッンッンッッブンッンッッッ≫

 ほら、晃、あの空見てみろよ。あの時みたいに真っ赤だ。

 ……凄いな、晃。

「……真っ赤だ……。あの日と同じくらい、いや、それ以上に真っ赤で……、綺麗だ」

 ……あぁ、本当に綺麗だ。

≪ッッゥッブルルッンッンッッブッッ≫

「……大丈夫か? 頑張れ! 家に帰ったら絶対に直してやるからな!」

 大丈夫だよ、晃。そんな心配そうな顔で見るなって……。

 ちゃんとあの日と同じように、『オレ』がお前を無事に家まで送り届けるよ。

≪ッッゥッブッッブッッ≫

 ……最高だな、晃。

 またあの時みたいに、こうして一緒に走れて……。

≪ブルッッゥブッブルッッバッッ≫

 これまでお前と一緒に走れてとても幸せだったよ。

≪ッッブッッッブルッッゥブッルッッッッ≫

 晃……。また、いつか……、ふたりで旅に行こうな……。


 茜色に染まっていた空は、次第にその色を黄金色に変えてゆく。

 そして黄金色の空からは、金色に輝く風が吹き流れ、世界に彩をつけてゆく。

 その金色の風の中を、『オレ』と晃はただまっすぐに、家へと向かって走り続けた。

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金色の風 鱗卯木 ヤイチ @batabata2021

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