クレイフィザ・スタイル ―リズ―

一枝 唯

第1話 どうぞこちらへ

 元通りにしてくれ、と男は店内に駆け込んできた。


 〈クレイフィザ〉の小さなショールームにいた年若い従業員は、驚いた顔でまばたきをした。


「いらっしゃいませ。先日は有難うございます」


 少年のような従業員はぺこりと頭を下げた。


「今日は、どうなさいましたか?」


「元通りに、してくれ」


 切羽詰った様子で繰り返したのは、二十歳を少し越えたほどに見える、焦げ茶色の髪をした若い男だった。


「金なら払う。だが、この前のヴァージョンアップをなかったことにしてほしいんだ」


「は? あの……」


 困った顔で、従業員は客を見た。


「当店の主人は、きちんとご説明いたしましたよね。ヴァージョンアップにより〈リズ〉が以前と異なる反応をするかもしれないことも、元には戻せませんということも」


「それは聞いたが……しかし」


「お客様にサインをいただいた同意書もございます」


「判っている。だが」


 男はがっくりと肩を落とした。


「何とか、ならないか」


「なりません。お客様からのご希望がない限り、バックアップは取っていないんです」


 すげなく従業員は言った。


「ご要望通りのメンテナンスとヴァージョンアップを行いました。何がご不満なんですか?」


「違うんだ」


 男はうつむいた。


「あれはリズだが、リズじゃない」


「何を仰っているのか判りません」


 従業員は息を吐いた。


「申し訳ありませんが――」


『私には、判るようだよ』


 不意に声がして、男はびくりとした。


「マスター。お聞きだったんですか」


 咎めるような雰囲気で店の少年は言った。


『盗み聞きをしていた訳じゃない。たまたま、スイッチを切り忘れていたんだ』


 見えにくいようどこかに設置されているスピーカーから、「マスター」、つまり〈クレイフィザ〉店主にして工房主の声が響く。


『トール。そちらのお客様を二番の部屋へ』


「判りました」


 こくりとうなずいて、助手のトールは肩をすくめた。


「どうぞこちらへ、お客様」


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